瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第15話―

2006年08月21日 20時52分55秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。

暑い日が続いているが、体調はどうだい?

暦上では秋でも、むしろ今時分の気候が1番辛い。

夏バテしない様、用心する事だ。


さて、人間の生活に関って来るとして、昨夜紹介した様な気持ちの好い妖精なら有難いが…悪意を持って近付いて来るのは困り者。

今夜お話しするのは、そんな困り者の妖精についてだよ。



昔、或る遠い国に1人の王が居た。

王は国中で1番美しい大聖堂を建てようと、心を砕いていた。

しかし基礎工事すら終えぬ内に、金庫のお金をすっかり使い果たしてしまった。

工事を完了するには、税金を増やして国民から徴収する以外方法は無い様思えたが、王はそれは宜しくない事だと考えた。


どうしたら良いか悩み、1人山に出掛けた或る日…奇妙な老人に出会った。

苦悩してる様子の王に、その老人は声を掛けて来た。


「何故お前さんは、物思いに沈んでいなさるのかね?」


老人に声を掛けられた王は、「考え込まずには居られません。素晴しい大聖堂を建てようと考え、工事を始めたというのに、もうお金が無いんですから」と、答えた。


すると老人が、「お前さんが頭を悩ます事なんて無いさ。このわしが見事な大聖堂を造ってやろう。王国の何処にも無い、素晴しい物をね。その為のお金も全く要らない。」と言った。


「じゃあ、何が御入用なんでしょう?」


頭の回る王が尋ねると、老人はこう言った。


「王よ、もし聖堂が出来るまでに、あんたがわしの名前を言い当てる事が出来たら、何も要らない。
 全部お前さんのものだ。
 けど、もし名前が解らなかったら、その時はお前さんの心臓を頂くとしよう。」


その時この奇妙な老人の正体が、山に棲む悪いゴブリン(小鬼の様な物)だという事に、王は気付いた。

けれども、聖堂を造るには長い長い年月が掛かるだろう。

きっと出来上がる頃には、自分は死んでしまっている。

死んだ後なら、自分の心臓がどうなろうと気にもならぬと、王は考えたのだ。

そこで承諾すると、ゴブリンの姿は消えてしまった。


昼の間は何事も起きなかった。

しかし夜になると大聖堂の土台周りに、何処からともなく大勢のゴブリン達が集って来た。

ゴブリン達は大きな石を軽々と抱え、大音響響かせ一晩中工事に励んでいた。


翌朝見ると、大聖堂の分厚い壁が、3フィートの高さまで、ぐるりと聳え立っていた。

焦った王は、ゴブリンの名前を言い当てようと懸命に考えては毎晩違う名を言ってみるのだが、工事中のゴブリン達は聞く度に皆笑って野次を飛ばし、「もういっぺん考えてみな」と言うばかりだった。


王は工事を遅らせようと、何かと新しい改良工事を考え出し、ゴブリンに申し入れたりするのだが、それでも僅か一晩で終ってしまうのだった。


とうとう高い塔が出来始めていた。

この分で行くと、いよいよ今晩には出来上ってしまうかもしれない…


王は何とか工事を遅らせる妙案は無いものかと、山中を彷徨い考えた。


歩き回ってる内…何時しか陽は沈み、王は深い洞穴の前までやって来ていた。

中からギャアギャアと凄まじい泣き声が響いて来る。

それは人間の赤ん坊が百人束になっても到底出せぬ様な、物凄い泣き声だった。


不審に感じ、耳をそばだてる…


やがて洞窟の中で雷の様な足音が轟き、赤ん坊をあやす様な、しわがれた歌声が届いた。


「泣かないの、泣かないの、可愛い坊や
 静かにおしよ、そうすりゃね
 
 お前の父さん、ファウル・ウェザー

 明日はお家に帰るでしょ
 王様の心臓お土産に
 素敵な坊やの玩具にね」


母親が歌う嫌な声は、王の耳には心地良い音楽に聞えた。

あのゴブリンの名前を告げていたからだ。

王はそっと洞穴を離れると、町までずっと走って帰った。


もう陽はとっぷりと暮れていて、例のゴブリンは塔の上に金ぴかの風見鶏を取付ける最後の工事をしていた。

王は下から有らん限りの声を張り上げ、こう叫んだ。


「真直ぐに付けろよ、ファウル・ウェザー!」


その途端、ゴブリンは高い塔から真直ぐに落っこちて、まるで硝子の様に、粉々に砕け散ってしまった。


取付ける最中でゴブリンが死んでしまった為、塔の上の金の風見鶏は、今も曲がったままだそうだ。
 


それにしても…人間の命を狙う凶悪な困り者とは言え、正直ゴブリンが気の毒に思えて仕方ない。

残された妻と子供の事を考えるとね…。

大体、基礎工事の時点でお金が尽きるとは、無計画にも程が有る。

まったくお役人様には困ったものだ。


自分の名前を当ててみろと持掛ける妖精話は、グリム童話の『ルンペルシュティルツヒェン』でも見られる。

日本でも鬼が橋を架けてやって、「名前を当てたら命は奪わん」と持掛ける昔話が残されているのだよ。


国が違っても、伝わる昔話に似た様な形が多く見える…

これは「全ての民族が1つから派生している」説を、実証付けるものだと考えられないかい?


…等と民俗学めいた落ちで〆た所で、今夜の話はこれでお終い。


さぁ…それでは15本目の蝋燭を吹き消してくれ給え…


……有難う……連日の熱戦で、観戦していた方もお疲れだろう。

どうぞゆっくり休んでくれ給え。


いいかい?……くれぐれも……


……帰るまで後ろは絶対に振り返らないようにね…。



『妖精Who,s Who(キャサリン・ブリッグズ、著 井村君江、訳 筑摩書房、刊)』より。
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異界百物語 ―第14話―

2006年08月20日 20時03分33秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。

今夜はプーアル茶を用意して、お待ちしていたよ。

今淹れるから腰掛けて寛いで居てくれ給え。


さて……妖精は恐ろしい存在で、人間とは相容れない者達だと、これまではお話して来たね。

しかし他方で、人間の生活に関わり合おうと、積極的に近付いても来る。

今夜から3晩は、それを実証する様な妖精譚を、お聞かせしよう。



昔、イングランドのセルクカークシャーと言う所に、器量良しだが陽気で怠け者の娘が居た。

当時は女性の仕事として糸紡ぎが必須だったが、娘はそれよりも野原を彷徨って花を摘む方が好きだった。

反対に娘の母親は家庭的かつ、とても上手な紡ぎ手だったので、娘にやり方を根気良く何度も教えた。

…が、全く物にならず、終いには堪忍袋の緒を切らしてしまい、娘を寝室に閉じ込めると、糸車と7人分の繰り綿を運び込んで、こう言った。


「この7つのかせに、3日の内に糸を紡ぎなさい!
 でないと2度と外に出させないからね!」


憤然として母親が行ってしまうと、娘は涙が涸れるまで泣いていた。

母親が真剣に怒っている事を理解した娘は、1日中ずっと糸車に取組んでいたが、生来の不器用さ故、容易には行かない。

糸を縺れさせ、手に豆を作り、糸を舐めるので唇は傷付き、それでも何とか瘤だらけで太さがまちまちの糸を、3フィート(1フィートは約30.48㎝、つまり約1mって事ですか)程紡いだが、とても織ったり編んだり出来そうな代物ではなかった。

そうこうしている内に、娘は泣きながら眠ってしまった。


翌朝早く目が覚めると、太陽は輝き小鳥が囀っていた。

爽やかな朝の景色を窓から眺めて…目の前に有る自分が紡いだ僅かの糸を見た娘は、こう思った。


「此処に居たって気持ちが落ち込むばかりだわ。
 外に出て冷たい空気に当り、気晴らしして来よう。」


そこで娘は母親に気付かれない様、階段をそっと抜き足で降り、母親の寝室を通り抜けると、ドアを静かに開けて、野原の方へ走って行った。


あちらこちら歩き回りながら、野原に咲いてるプリムローズを摘んだり、小鳥の囀りを聞いたり…

…そうして居つつも、頭の中に浮ぶのは母親の怒った顔。

早く家に戻って作業をしなければ…と思い出した頃、ふと傍に小さな土塚が在るのが目に付いた。

その近くには、穴開き石が転がっている。

娘はそこに腰を降ろすと、辛い立場を思い起して、わっと泣き出してしまった。


所で当時此の地の人は、穴開き石の穴を覗けば、妖精の姿が見えると信じていた。


泣いてる娘の耳に……穴の中から、奇妙な音が聞えて来た。

ブンブンという音と、それに合せて小声でキーキー歌う声。

顔を上げて穴を覗く娘の目に、奇妙な小さい老婆が、忙しなく糸車の棒を動かしたり、糸を長い唇から引張り出したりしている様が入って来た。


「好いお天気ですね、お婆さん。」


娘は誰にも愛想が良い性格だったので、気さくに話し掛けた。


「ああ、お早う、娘さん。」


そんな娘を気に入ったらしく、小柄な老婆もこう挨拶を返した。


「お婆さんの唇、どうしてそんなに長いのかしら?」


無邪気な子供の様に、娘が尋ねる。


「糸を引っ張る為だよ、娘さん。」


老婆は娘に、こう答えた。


「私もそんな風に唇をしなけりゃ行けないのかしら?
 でも上手く行かないのよ。
 ちっとも出来やしない。」


娘はこれまでの事情を皆話した。


「心配しなくて良いよ、娘さん。
 繰り綿を持っといで。
 あんたの母さんが催促するまでに、私がちゃんと紡いであげるから。」


老婆は親切に、こう言った。

そこで娘は飛んで帰ると、こっそり部屋に戻り、素早く繰り綿を取って、急いで戻った。


「所で、お婆さんは何と言う名前なの?
 糸にして貰ったら、何処に取りに行けば良いの?」


娘は老婆に尋ねた。

しかし娘から繰り綿を受取ると、老婆は見る間に消えてしまった。


娘はどうして良いか判らず…石に腰掛けて待っていた。

頭上の太陽は燦々と照らしてい、心地良い暖かさに、何時の間にやら娘は眠り込んでしまった。


辺りの空気が冷えた頃目を覚ますと…陽はすっかり沈んで、暗くなっていた。

娘の耳には前より大きく、紡いだり歌ったりする音が聞えて来る。

穴開き石から明りが漏れているのが目に入り、娘は膝を着いて中を覗いてみた。


――異様な光景が、穴の中に見えた。


洞窟に似た中に、沢山の奇妙な格好をした老婆達が、糸車の前座って、せっせと気狂いの様に糸を紡いでいる。

誰も彼も長い長い唇をして指は平たく、背中はせむしの様に曲っていた。

その中に、あの友達になった老婆も混じっている。

一際醜い老婆が離れて1人、皆からスキャントリー・マブと呼ばれ、敬われている様だった。

どうやら群れの中の長らしい。


「もう殆ど仕上がるよ、スキャントリー・マブ。」


友達になった老婆がこう言って笑う。


そうして――


「急いで糸を束ねておくれよ。
 あの娘が母親の所へ持って行くまでに、渡しに行かなきゃならないからね。

 それにしても、あの丘の小さい娘っ子は知るまいよ。
 私の名前が『ハベトロット』だと言う事をね。」


――と仲間達に言った。


今の言葉で、老婆の名前と何処で会うのかが解った娘は、部屋にすっ飛んで帰った。

するとハベトロットが現れ、美しく紡ぎ上がった7つの糸かせを、娘に渡してくれた。


「まあ、どうやって御礼をしたら良いかしら?」


娘が言うと――


「御礼はいいよ。
 但し、誰が糸を紡いだか、母さんに言っちゃいけないよ。」


――と、ハベトロットは言った。


そして「もし私が必要になったら、呼んでおくれ」と言い残し、暗闇の中消えてしまった。


その晩……娘の母親は、早目に床に入っていた。

ブラック・プディング(豚の血や脂肪の腸詰の事、要はソーセージです)作りを1日中行い、疲れていたからだ。


台所に降りた娘の目に、乾かす為たる木から下げられてた、そのブラックプディングが入った。

娘は美しく仕上げて貰った紡ぎ糸を、母親の目に付く様広げて置くと、乾かしてあったブラックプディングを火で炙って食べた。

酷くお腹が空いていた娘は、忽ち7つ全部平らげてしまった。

それから娘はそっと爪先で階段を上るとベッドに入り、頭が枕に付くか付かぬ内に、ぐっすり眠ってしまった。


次の朝、母親は起きて台所に入り、7つの美しい紡ぎ糸が置かれてるのを見付けた。


この地方のどんな上手な紡ぎ手がやったよりも、綺麗に仕上げられていた。

母親は驚いて、それらをマジマジと見詰た。


ふと気付けば、昨夜自分が一生懸命拵えた筈の、ブラックプディングが見えない。

ただフライパンだけが、火の傍に立てかけて有った。


母親は腹立たしいのと嬉しいのとが一緒くたになって、もうどう表現して良いか解らない気持ちになり、ベッドガウンのまま外へ飛び出すと、気狂いの様に大声で叫んだ。


「娘が紡いだ、7つ7つ7つ!
 娘が食べた、7つ7つ7つ!
 それも皆夜明け前」


あまりの大声に娘は目を覚ますと、急いで起きて服を着た。


驚き喚く母親の前、偶々若い領主が馬に乗って通り掛った。


「何をそんなに喚いてるのかね?おかみさん。」


領主がこう言うと、母親はまた歌う様に言った。

 
「娘が紡いだ、7つ7つ7つ!
 娘が食べた、7つ7つ7つ!
 もし私の言う事をお信じにならぬなら、どうぞ中に入って御自分の目で確かめて下さいまし、御領主様!」


そう言って母親が家に案内する。

領主は、台所に置かれた美しく紡いである糸の束を見ると、紡ぎ手は誰かと尋ねた。

そして、起きて下に降りて来た娘の姿を見ると、結婚したいと申し込んだ。

領主は凛々しく立派で心も優しいと評判高かったので、娘は喜んで「はい」と応えた。


結婚後…娘はたった1つだけ、困った事が有った。

それは領主が、あの時の様に、また彼女に素晴しい糸を紡いでくれと、何度もせがむ事だった。


困った娘は、あの穴開き石の所へ出掛けて行くと、ハベトロットを呼んだ。

驚いた事に、ハベトロットはもう娘の悩みを知っていて、こう言った。


「心配しなくて良いよ、娘さん。
 此処にその領主さんを連れておいで。
 上手く私達がやってあげるからね。」


次の日の夕暮れ時、娘と領主は穴開き石の傍に立っていた。

領主が穴の中を覗く。

そこには醜い姿をした老婆が、大勢で糸を紡いでいた。

それを見て驚いた領主が言った。


「何故あの老婆達は、皆唇があんなに歪んでいるのだろう?」


それを聞いたハベトロットは、大声で領主に言った。


「自分で皆に聞いて御覧。」


領主が老婆達に尋ねる。

すると老婆達は、口々に掠れ声でこう言った。


「わしら糸を紡いで、紡いで、紡いでいるから――」


「そうそう、昔は皆、綺麗だったよ。」


ハベトロットは言った。


「だけど糸紡ぎ手はこんなになってしまうんだよ。
 あんたのお嫁さんだって同じさ。
 今は綺麗だけど、糸紡ぎをずっと好きでやっていればね。」


「やっては駄目だ!」


領主は叫んだ。


「今日から一切、彼女には糸車に触れさせない!」


「仰る通りに致しますわ、御領主様!」


娘は喜んでこう返した。


その日から領主と娘は、一緒に馬に乗って野山を駆け回ったり、田園を歩き回ったりして過す様になった。

そして繰り綿の仕事は、皆この年取ったハベトロットに渡して、糸に紡いで貰う様になったという。



『ハベトロット』は、この地方で糸紡ぎの守護妖精として崇められている。

手先の不器用な自分としては、是非親しくなりたいものだ。

それにしても、流石は年の功。

実に機知に富んだ答えじゃないか。

領主にとっては働き者の嫁さんよりも、綺麗な嫁さんのが良かったようだね。


…今夜の話はこれでお終い。


さぁ…それでは14本目の蝋燭を吹き消してくれ給え…


……有難う……今日は緊迫する試合が有ったお陰で、目が酷く疲れたんじゃないかい?

どうかゆっくり休んでくれ給え。


いいかい?……くれぐれも……


……家に帰り着くまで、後ろは絶対に振り返らないようにね…。



『妖精Who,s Who(キャサリン・ブリッグズ、著 井村君江、訳 筑摩書房、刊)』より。
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異界百物語 ―第13話―

2006年08月19日 20時55分54秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。

今夜も酷く蒸すね。

百物語をするのには相応しい…。


さて、今夜は長年に渡って誰も解けない謎をお話ししよう。

ミステリー好きで推理力に自信の有る方は、是非挑戦して頂きたい…。



大西洋のど真ん中に横たわるフラナン諸島。

事件はその内の最北最大の島、『アイリーン・モア島』で起きた。


1895年、北英燈台委員会は、この付近で難破事故が続発していた事から、島に燈台を建設する計画を発表した。

工事は困難を極め、予定は大幅にずれ込んだが、1899年12月、どうにか燈台に初めて灯火を入れられた。


しかし……1900年、クリスマスの11日前、その光が何故か忽然と消えてしまったのだ。


報告を受けて、北英燈台委員会は調査に向う事にした。

生憎の悪天候続きで、調査の船『ヘスペラス号』は、クリスマスの翌日、好天が戻ってから船を出した。

燈台へ行く為の船着場は、島の西側と東側の2ヵ所に造ってある。

好天が戻ったとは言え、波は未だ高く、『ヘスペラス号』は3回接岸を試みて、漸く東側の突堤に船を繋いだ。


『ヘスペラス号』の船長、『ジョセフ・ムーア』が信号を出す。


しかし、燈台からは何の反応も無い。


規則では旗が振られる筈なのに。


ムーア船長は不審に感じた。


アイリーン・モア島に居た燈台守は、3人。

ジェームズ・デュカット、ドナルド・マッカーサー、トマス・マーシャル…

…まさか3人同時に病気になったなんて事は無いだろう。


返事が無いので燈台に向ってみる。

ムーア船長が最初に燈台の入口に着いた。

入口は閉じたままだった。

口に手を当てて大声で叫んだ。

それから通路の急な坂を駆け上がった。

燈台正面の扉も閉じたままだった。

再び、船長は大声で3人の名前を呼んだ。


……しかし、何の反応も無い。


1階の大部屋に入った。


もぬけの殻だ。


暖炉に残っている灰に手を触れてみた。


……冷たい。


嫌な予感がした船長は、後から2人の船員が来るのを待って、一緒に上階の就寝用区画に登った。

ベッドは何れもきちんと作られていた。

整頓され、室内に乱れた様子は一切無い。


燈台長だったジェームズ・デュカットの日記を発見した。

最後の記入は12/15の午前9時。


燈台の灯火が消えた日だ…。


これは後日の調査から確認した事実なのだが……

15日の夜、『アーチャー号』と言う名の船が、アイリーン・モア島の極近くを通った。

その時、「燈台に灯火は入ってなかった」との事だった。


しかし、灯火用のオイルは、無くなってはいない。

灯心も切って揃えてある。

何時でも灯が入れられる状態にしてあった。


残された物全てが、整然と保たれている。

日記から、3人の燈台守が、その日まで基本的な仕事を、秩序良くこなしていた事が確認出来た。


しかし、その日の夕刻――島には燈台に灯を入れる人間が、1人も残っていなかった。


それ以外に考えようが無い状況だったのだ。


結局『ヘスペラス号』は、3人の燈台守へのクリスマスプレゼントを積んだまま、空しくルイス島へ戻った。


2日後、本格的な調査隊が、アイリーン・モア島に上陸した。


一体此処で何が起きたのか?


最初は、状況は極めて単純だと考えられた。

西側の突堤には、暴風雨の痕跡が歴然としていた。

海面から約20mの高さの場所にクレーンが有るが、これにロープが幾本も絡み付いていた。

また、海面から約14mの高さの岩の割れ目に、道具箱が常備してあった筈だが、これが見当らなかった。

恐らく、30mもの高波が大西洋から此処に砕けて、道具箱と共に3人の男を引っ攫ったのだ。

デュカットとマーシャルのオイルスキン(上下揃いの油布製の衣服)が見えないという事実も、この考え方の有力な根拠となった。

このオイルスキンは、突堤へ行く時にだけ、身に着ける物だ。


調査後、隊は以下の結論に達した。


2人はクレーンが暴風雨でやられるのではと懸念した。

その為、オイルスキンを身に着け、突堤へと向った。

そこに巨大な高波が横殴りに襲った…


……しかし、その場合、第3の男『ドナルド・マッカーサー』はどうなったのだろう?


彼のオイルスキンは燈台に残されていた。

先に出た2人を助けようと飛び出し、自分も波に攫われたのか?


しかし、以上の推理は何れも成立しない事が直ちに判った。


誰かが、12/15は穏やかな1日だったと指摘したのだ。

暴風雨になったのは翌日からだった。


燈台長デュカットが、日記の日付を付け間違えたのではないかとの指摘も有った。


しかし、この考えもあっさり否定された。

前述した通り『アーチャー号』が、「15日の夜には灯が消えていた」と確認していたからだ。


以下の推理が出た。


穏やかな朝、3人は突堤へ向った。

その内に、1人が足を滑らせ、海面に落ちてしまった。

助ける為に、残る2人も海へ飛び込み、3人そのまま溺れ死んでしまった。


…しかし、突堤にはロープもライフベルト(救命浮)も有った。

海に飛び込まなくても、ライフベルトを投げれば、解決した筈だろう。


こんな推理も出た。


最初に足を滑らせて海面に落ちた男が、気を失ってライフベルトを掴む事が出来なかった。

…この場合も、2人の内1人だけが飛び込み、もう1人はロープの一端を握って突堤に残ろうとするのが自然ではないか?


更に、こんな推理も出た。


3人の内の1人が発狂してしまい、2人の仲間を殺してしまった。

その後、自分自身も海に身を投げた。


…しかし日記を読む限り、その可能性を仄めかす証拠は、一片たりとも無かった。


当時放送キャスターだったヴァレンタイン・ダイオールが、1947年にスコットランドの新聞記者イアン・キャンベルがアイリーン・モア島へ行った時の経験を引き合いに出し、著書『未解決の謎』の中で次の様な説明を試みている。


キャンベルが、穏やかな日に西側の突堤に立って、海を眺めていた時だ。

ふいに海面が盛上り、みるみる内に20mを越す高波となって、突堤に覆い被さって来た。

そして1分後、元の穏やかな海面に戻った。

あっという間の出来事だったそうだ。

潮の気紛れか?

或いは、海底で起きた地震の影響か?

理由は解らないが、まともに被っていたら、確実に海に引き摺り込まれていただろう…

キャンベルはそう確信して、背筋を凍らせたと言う。


海面の突然の理解を超えた『盛上り』は、それ程珍しい現象ではなく、これまでにも数人の人間が犠牲になっているそうだ。


3人の燈台守も、この人知を超えた『盛上り』に襲われ、姿を消したのではないかと、ヴァレンタインは推理したのだ。


しかし……この現象を認めても、未だ納得いかない点が残されていた。


マッカーサーはオイルスキンを身に着けていなかった。

という事は、仮に現象が起きたとしても、事件発生時点で、彼は灯台の中に居た。

……そう考えた方が自然なのだ。


仲間2人が高波に攫われたとして…それを知り、自分も一目散に突堤まで突進し、着の身着のまま海に身を投げる程、マッカーサーはとんまな人物だったのか?


こうして、多くのミステリーマニアが推理に挑戦し、現代まで尚解けない謎が残された。


――1900年、クリスマス間近の或る穏やかな日、アイリーン・モア島に居た3人の燈台守が、跡形も無く消失した……


高波に攫われたか、或いは異界に飛ばされたか……


さぁ…貴殿には、この謎が解けるだろうか…?



…今夜の話はこれでお終い。


それでは、13本目の蝋燭を吹き消して貰おうか…


……有難う……また次の御訪問を、お待ちしているよ。


いいかい?


くれぐれも……


……帰る途中で、後ろを振り返らないようにね…。



『世界不思議百科(コリン・ウィルソン&ダモン・ウィルソン、著 関口篤、訳 青工社、刊)』より。
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異界百物語 ―第12話―

2006年08月18日 19時58分13秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。

台風が近付いてる中、よく来てくれたね。


さて…昨夜予告した通り、今夜も妖精に恋した人間の話をしよう。



スコットランドに伝わる伝説――


昔、カーターホフと呼ばれる森に、『タムレイン』と言う妖精の騎士が棲んでいた。

タムレインは妖精の女王の命により森を守護してい、森に入った娘は、彼に金の指輪か緑のマントか、或いは処女を捧げなければならなかった。

或る日その掟を知らずに、ジャネットと言う名の王女が森に入った。
王女ジャネットにとっては、森は父王の領土だったので、気兼ね無く野薔薇を摘みにやって来たのだ。

花咲乱れる中、ジャネットが茎を折ろうとした途端――背丈の低い、緑の衣を纏ったタムレインが姿を現した。

驚き慌てるジャネットに、タムレインは件の警告を伝え、貢物を納める様言った。
生憎ジャネットは、金の指輪も緑のマントも持っていなかった。
それを聞いたタムレインは、彼女の手を押え付け、無理矢理処女を奪ったのだった…。

無理矢理とは言え、ジャネットはタムレインに心を奪われてしまった。
城に戻っても気もそぞろ…どうしても彼の事が忘れられない。

思い詰めた彼女は、再び森を訪れ、野薔薇を1本手折った。

――すると、忽ちタムレインが目の前に現れた。

彼は「どうしてまた此処に来たのか?」と、怒って彼女を問い詰めた。


ジャネットは、「貴方を愛してしまった。もう貴方無では生きられない。貴方と共に生きたいのです!」と、自分の思いを強く訴えた。
その言葉にタムレインは……心を動かされた。

実はタムレインは元々人間で、9歳の時妖精の女王に連れ去られて以来、妖精界で暮らす破目になったのだ。
そして何時か妖精の女王が、自分を地獄への貢物にする積りで居るのでは…と密かに恐れていた。
妖精界では7年に1度、地獄に貢物を贈る掟が有ったのだ。

自分を思うジャネットに心動かされたタムレインは、こっそりと自分を人間に戻す方法を教えた。

ハロウィーンの夜、妖精の騎馬行列を十字路で待っていたジャネットは、教えられた通り、3番目の白馬の騎士を素早く引き摺り下ろし、マントを掛けて抱締めた。

けれど腕の中に抱締めていたのは、ヌルヌルした感触のイモリ。
行列を邪魔された事に怒った妖精達が、猛烈に攻撃を仕掛けて来たのだ。

腕の中のタムレインは、魔法で様々な姿に変えられた。

恐ろしい毒を持つマムシに…

赤々と燃え盛る松明に…

焼け爛れた鉄に…

気味の悪いヒキガエルに…

終いには、羽ばたき飛んで逃げようとする白鳥に…

しかしジャネットは、その手を絶対に離そうとはしなかった。

懸命に戦い、用意していたミルクを掛け、マントに包んで必死に抱締めていた。

妖精達は遂に根を上げ、女王の恨みがましい声だけを残して、夜空高く飛んで行った。

人間に戻ったタムレインはジャネットと夫婦になり、子供も産れて幸せに暮したそうだ。



…中々感動的な話だろう?

これには男女の立場を逆転にした姉妹編の様な伝説も残されているが、そっちは残念ながら旦那が臆病風に吹かれたせいで、妻を諦めるという悲しい筋になっている。
愛を手に入れる為には、何ものをも恐れない勇気が必要という事だろう。

…今夜の話はこれでお終い。


さぁ…それでは12本目の蝋燭を吹き消して貰おうか…


……有難う……また次の御訪問を、お待ちしているよ。


いいかい?


くれぐれも……


……帰る途中で、後ろを振り返らないようにね…。



『妖精とその仲間達(中村君江、著 河出書房新社、刊)』より。
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異界百物語 ―第11話―

2006年08月17日 20時35分28秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。

お盆も過ぎたね。

残暑はきつくても、少しづつ秋の気配が増して来るだろう。


さて、今夜と明日の晩は、夏の終りに相応しく、ラブ・ロマンスでもお話しようか。


「大抵の妖精は、人間にとって危険な存在だ」と話したが、その妖精と恋に落ちて、夫婦になった人間の話も伝えられている。

場所はイギリス、ウェールズの山間、或る蒼く澄んだ湖にて――



或る若者が湖の岸辺で、牛達に草を食べさせながら、パンを食べていた。

ふと湖の方を見ると…乙女が1人、長い金髪の巻毛を梳かしている。

あまりの美しさに、若者は一目で心を奪われ、長い間見惚れていたが、夜明け近くになると、乙女の姿は次第に薄れて行った。

若者は慌てて持っていたパンを差し出し、自分の妻になってくれと求婚した。(食べ掛けのパンを差し出してプロポーズってのも凄いような…)

しかし乙女は「貴方のパンは硬過ぎますわ」と言い、煙の様に姿を消してしまった。


恋に破れ気落ちした若者を心配した母親は、次の日柔らかい練り粉のパンを持たせたが、今度は柔らか過ぎると駄目出しされてしまった。


そこで今度は軽く焼いたパンを持たせた所、これは気に入った様で、乙女は陸に上って来た。


そして妻になる事を承知したが、「もし自分を3度叩いたら、姿を消しますよ」と、若者に注意した。


乙女が持参金として連れて来た水牛のお陰で、若者の農園は栄え、2人は幸せに暮した。


4年経った或る日の事、近所の赤ん坊の洗礼式に、農夫と妻は出掛けた。

楽しく語り合っている人々の間で、突然、妻が泣き出した。


「悲しみと苦しみがいっぱいの此の世に産れて来るなんて、可哀想だわ!」


それを聞いた農夫は、慌てて妻を小突いた。

小突かれた妻は…哀し気な顔して農夫を見詰め、言った。


「気を付けてね、貴方。1度叩いてしまったのよ。」


それから幾月も経たぬ内に、赤ん坊は死んでしまった。

皆が悲しみに暮れているお葬式の席で、妻はまたもや非常識な振る舞いをした。


「赤ちゃんは、罪と苦しみから逃れられて、良かった!」


言いながら笑い踊る妻を止めようと、農夫は再び軽く叩いてしまった。


「気を付けてね、貴方。これで2度叩いてしまったわ。…後1回でも叩いたら、私は消えてしまうわよ。」


再び妻が、哀し気な瞳をして言った。


暫くして農夫と妻は、老人と若い娘との結婚式に招かれた。

その席で、妻はまた突然、わっと泣き出し言った。


「お金の為に、愛してない老人に嫁ぐなんて、残酷だわ!」


驚く人々の視線に焦った農夫は、三度、妻を黙らせようと軽く叩いた。


――その瞬間、


「3度目よ、貴方…」


という言葉を残して、妻の姿は消えてしまった。


行方を捜して農夫が湖に行ってみると、乙女が連れて来た牛の最後の1頭が、湖の中に消えて行く所だった。


それっきり、湖の乙女は、2度と姿を現さなかったそうだ…



仏の顔も三度まで。

幾ら妻が非常識な振る舞いをするからといって、DVは宜しくない…そんな教訓話に思えなくもないかい?


…今夜の話はこれでお終い。


さぁ…それでは11本目の蝋燭を吹き消してくれ給え…


……有難う……また次の御訪問を、お待ちしているよ。


いいかい?


くれぐれも……


……帰る途中で、後ろを振り返らないようにね…。



『妖精とその仲間達(中村君江、著 河出書房新社、刊)』より。
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異界百物語 ―第10話―

2006年08月16日 21時21分35秒 | 百物語
やぁ、いらっしゃい。

そろそろ来る頃だと思って、紅茶を用意してお待ちしていたよ。

アールグレイだが、好みかい?

砂糖は幾つ入れようか?

ミルクは如何するかな?


…今夜は送り盆だったね。

迎え盆に訪れた近しい立場の霊を、あの世に送り返してあげる日さ。

13日からこっち…暫く人の気配を多く感じたりはしなかったかい?


さて、今夜も英国での話を聞かせよう。



英国、イニス・サークと言う所に、『カサリーン』と言う若い娘が居た。

カサリーンは、つい最近、最愛の恋人を亡くしてしまい、酷く悲しんでいた。


或る夜、道端に座って嘆いていると、何処からともなく、美しい貴婦人が現れた。

そしてカサリーンに、何をそんなに嘆いているのか聞いて来た。

カサリーンは、恋人と死に別れた事情を、その貴婦人に話した。

それを聞いた貴婦人は、カサリーンに薬草で編んだ輪を与え、「この輪から覗いて御覧」と言った。


カサリーンが輪を覗くと……そこには、死んだ筈の恋人の姿が在った。

恋人は蒼褪めていたが、黄金の冠を被り、高貴な人達と楽し気に踊り戯れていた。


貴婦人はカサリーンにもっと大きな薬草の輪を与え、輪から葉を1枚取って燃やせば、毎晩恋人の元を訪れる事が出来るだろうと話した。


「だけどね、お嬢さん。
 注意しておきますよ。
 
 煙が立ち昇っている間、祈りを唱えても、十字を切ってもいけない。

 …さもないと、貴女の恋人は永遠に姿を消してしまうでしょう。」


そうカサリーンに警告すると…貴婦人の姿は、何処にも見えなくなってしまった。


それからというもの、カサリーンは妖精の国を訪れる事にしか、興味が持てなくなった。

毎晩、部屋に閉籠り、薬草の葉を燃やした。

それが煙っている間、カサリーンは夢現の中、明るい丘の上で、恋人と楽しく踊るのだった。


そんなカサリーンを、母親は酷く心配した。

教会にも行かず、懺悔もせず、以前とは様子がすっかり変ってしまったからだ。


或る夜、母親はこっそり2階に上り、ドアの割れ目から、カサリーンの部屋を覗いた。


――カサリーンが、葉に火を点け、恍惚状態でベッドに横たわっているのが見えた。


驚いた母親は、どうか娘の魂をお救い下さいと、跪き聖母マリアに祈った。

それから、いきなりドアを開けると、胸の上で十字を切った。


するとカサリーンが、ベッドから飛び起き叫んだ。


「お母さん!お母さん!死人が私を捕まえに来る!ほら…此処に!!」


そう言うと、発作を起したかの様に、のたうち回った。


直ぐに司祭が呼ばれて、カサリーンの体の上、祈りを唱えた。

そして、薬草の輪に呪いの言葉を吐いた。

司祭が祈っている間に、薬草はみるみる灰になった。


すると漸く、カサリーンの様子が静まった。


……だが、力尽きた様に、遂に夜中になる前、息を引き取ってしまった。



死者を悼み過ぎる行為は危険であると警告してる話らしいが…。


現代に置き換えて、ネットジャンキーへの警告話とも読める様だというのは…少々穿った見方過ぎるだろうか?

あんまり楽しいからといって、行きっ放しは宜しくないって事だね…。


…今夜の話はこれでお終い。


さぁ…それでは10本目の蝋燭を吹き消して貰おうか…


……有難う……また次の御訪問を、お待ちしているよ。


ああ、待ってくれ給え…

…また、お茶を残しているじゃないか…。


……確かに飲み干したって?

…本当におかしいねえ……。



…それでは、どうか道中気を付けて帰ってくれ給え。


ああ、帰ったら、家に入る前に必ず塩を撒く事をお忘れなく。


でないと貴殿の左肩に覆い被さった………いや…何でもないよ。


そして、いいかい?


くれぐれも……


……帰る途中で、後ろを振り返らないようにね…。



『イギリスの妖精 ―フォークロアと文学― (キャサリン・ブリッグズ、著 石井美樹子・山内玲子、訳 筑摩書房、刊)』より。
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異界百物語 ―第9話―

2006年08月15日 21時04分10秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。

今夜は麦茶を淹れて、お待ちしていたよ。

今度こそ、きっちり人数分だ。

さぁ席に着いて、楽にしてくれ給え。


妖精の起源が堕ちた土地神だったり、死者の群れだという事は、昨夜お話したね。

その為彼等は、夏至や冬至といった季節の節目が来ると、その世界の門を開いて、人前に姿を現すのだと、長く考えられていたのだよ。


古来、日本でも有った考えだ。

太陽暦と太陰暦との違いから、日本での夏至の行事は、次第にお盆へと移行したがね。


兎も角も、太陽の力が最も強まる時、弱まる時は、魔物が跳梁跋扈し易いとの考えが、世界中で有る訳だ。


さて…今夜は、そんな異界からの訪問客について話そう。



古代のイギリスに、『ヘルラ王』と呼ばれた王が居た。

或る日、王が狩に出掛けた所、山羊に乗った不思議な物がやって来た。

人間の半分の大きさしか無く、毛が生えた足の先は山羊の蹄になっていて、頭は大きく、長い赤髭を生やし、小鹿の様な斑入り毛皮を着ていた。

醜悪な姿をしていたが、非常に丁寧な言葉遣いで、王の様に振舞った。


「ヘルラ王、ようこそおいでなされた。
 私は力有る国と、そこに住む数知れぬ者達を支配している王です。
 その者達全ての、王への親愛の情を伝える為に、こうしてやって参りました。
 貴方様が地上の世界を治めている王の内で、最も優れた方で在り、他の王より抜きん出ていらっしゃるからです。

 次の年に催されます貴方様の婚礼の宴の客となります事は、私にとって実に名誉な事です。
 貴方様が間も無く結婚なされる事を、貴方様御自身は御存知無いかも知れませんが、私達には判っているのです。
 フランス王が美しい娘を貴方様に嫁がせる為に、使者をこちらに寄越し、もうこちらに着く事になっています。
 明日の朝、一行は到着するでしょう。
 私は貴方様の結婚の席に出るでしょうが、丁度1年後の同じ日に行われる私の婚礼の席に、今度は貴方様が出る事になるのです。

 その年まで、さようなら。」


こう言ったかと思うと、まるで虎の様な素早さで、消えてしまった。


次の日、その小さな王が言った通り、フランス王の使者が到着し、王女の手を取りヘルラ王に差し出させた。

王女のその美と善良さは、遠い西の国でも驚く程だったという。

王は結婚に同意し、その年の内に2人は喜びに包まれ、結婚した。


婚礼の祝宴が始まり、2人がテーブルに着こうとした時、ふいにあの時の小人王が、沢山の従者を連れて現れた。

お陰で主賓席・大広間はいっぱいに埋め尽くされ、中庭の外まで溢れ出したが、彼等は光る絹のテントを幾つも立てて、そこに入った。

華やかな服を着た召使達が、次々にテントから、素晴しいワインと上等の御馳走を運んで来る。

それは、これまで呑んだ事も食べた事も無い、素晴しい物だった。

召使達は、用の有る所には何処にでも現れ、用が無ければ現れなかった。

楽士達にうっとりする様な音楽を奏でさせ、素晴しい贈物を花嫁の前に山にして積上げる。

宴会の席に居たフランス王女も招待客達も、今迄こんな素晴しい接待を受けた事は無く、全ての人々が満足を口にした。

しかし饗された物は皆、小人王達が持参して来た物で、ヘルラ王の倉庫からは何1つ運び出されはしなかった。


祝宴の最後に、小人王はヘルラ王に言った。


「優れた王よ。
 私は約束を皆守りましたぞ。
 今度は貴方様が約束を守る番です。
 
 1年後の丁度この日、私が貴方様をお祝いしました様に、貴方様も私の結婚を祝って下さい。」


こう小人王が言うと、従者達は皆テントに戻ったが、次の日鶏が鳴かぬ前に、全ては消え失せてしまっていた。


ヘルラ王は約束を忘れなかった。

1年を通じて王は、この高貴な友に相応しい贈物を集めていた。


1年後のその日が来ると、再び小人王が沢山の従者を引連れ現れたので、ヘルラ王は贈物を積んだ騎士達と共に出発した。

程無くして高い崖の前まで来ると、突然、入口の扉が現れ、一行は天井高く暗い洞窟の中へと入って行った。

中には松明が灯されていた。


洞窟の中を突き進んで行くと…奥には緑の草原が広がっていた。

目の前には、大きく立派な城が聳えている。

小人王は親切な言葉でヘルラ王に挨拶をすると、王をその素晴しい宮殿へと導き入れた。


婚礼の宴が催され、それは3日3晩、楽しく続けられた。

ヘルラ王は贈物を捧げ、小人王もお返しに贈物をくれた。


祝宴が終り、王はそれらの宝物を馬に積むと、再び暗い洞窟を案内されて通って行った。

別れの時、案内した小人王は、ヘルラ王に小さな猟犬を渡した。

その犬は、馬の鞍の上に座れる程の小ささだった。


「王よ、この猟犬が馬の鞍から飛び降りるまで、馬から降りてはいけないという事を話しておきましょう。」


この忠告を残して、小人王は行ってしまった。


一行は扉を通り馬を進めた。

扉は一行の背後で、ガタンと重々しく音を立てて、閉じられてしまった…


久し振りに出た外界は、何もかもすっかり変ってしまっていた。

何より、自分達の城が何処にも見えない。

困惑して馬を進めて行く内……一行は1人の農夫に出会った。

ヘルラ王は彼を呼ぶと、自分の王妃の名を出し、行方を尋ねた。


農夫は、暫く考えてから、こう答えた。


「…旦那、何だか良く判らないけど、あんたさんは古いウェールズ語を話していなさる…。
 しかし、その言葉は彼此200年も前に使われなくなった物さ。
 あんたさんが言いなさる王妃の名前を、わしも聞いた覚えは有るけど…ずっと昔に、この国を支配していたヘルラ王と結婚した方だったとか。
 伝えられてる話じゃ、王はあの高い崖から洞窟入って行ったままで、それっきり消息を聞かないそうだ…。」


農夫の話を聞いて、驚愕した王の騎士達の幾人かが、地面に飛び降りた。


その足が地面に着いた途端――長い年の重みで、直ぐに体は塵と成り果て、崩れてしまった。


王は他の騎士達に馬から飛び降りるなと叫ぶと、馬を進めて行った。


今でも、ヘルラ王と騎士達の一行が、気狂いの様になって馬を駆けさせているのを、人々は目にする事が有ると云う。

一行は猟犬が鞍から飛び降りるのを待っているのに、犬は決して降りようとしないからだ。


犬は最後の審判の日まで降りないだろうと云われている……



…異界では時の流れ方が違うらしい。

もしも呼ばれたとしても、決して行かないようにした方が良いだろう。

彼等が死者であると言うなら、その世界は恐ろしい『冥界』である訳だからね……


…今夜の話はこれでお終い。


さぁ…それでは9本目の蝋燭を吹き消してくれ給え…


……有難う……また次の御訪問を、お待ちしているよ。


ああ、待ち給え…

…また、お茶を残しているよ…。


…え?そんな筈は無い…?

ちゃんと飲み干した筈だって……?


全くおかしな話だ……確かに、この場に居る人数を確認して、淹れてるのだがね……


まぁ、いいだろう…。


それでは、道中気を付けて帰ってくれ給え。


いいかい?……くれぐれも……


……絶対に後ろを振り返らないようにね…。



『妖精Who,s Who(キャサリン・ブリッグズ、著 井村君江、訳 筑摩書房、刊)』より。
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異界百物語 ―第8話―

2006年08月14日 20時52分01秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。

今夜は番茶を用意して待っていたよ。

嫌いではないだろう?


さてと…今夜も引き続き、妖精話をお聞かせしよう。


私達日本人は『妖精』と聞いて、綺麗な羽の生えた蝶の様に艶やかに舞う存在を想像するだろうが…実際にはこちらで言う所の『妖怪』に当るものだ。

美しい姿の物も居れば、恐ろしい姿をしていて危険な物も居る。


妖精の国は、地下に在ると広く信じられている。

これは妖精の先祖が、かつては信仰の有った土地神だったり、死者の霊だったりする事から来てるそうだ。

何れにしろ……深く付き合うには、危険な存在と言えよう。



イングランド北部に伝わるお話。


或る旅人が、険しい山道を1人で歩いていた。

しかし途中で日が暮れてしまい、旅人は道に迷ってしまった。

このまま闇の中を彷徨っていたら、崖から転げ落ちてしまうかもしれない…けれど、この寒さの中座り込んでいたら、凍えて死んでしまう…

弱り切った旅人は、少しでも寒さから逃れられる場所が無いものかと、そろそろと手探りで進んで行った。


程無くして、前方に微かな光が見えた。


近付くと、それは粗末な石造りの小屋の中で、燻っている火だという事が解った。

小屋は羊飼いが羊の出産時用に建てた物らしく、旅人はこれ幸いと中へ入って行った。


そこはまるで洞穴の様な石造りの小屋で、中には腰掛けられるくらい大きな石が、向い合う様にして2つ置いてある。

火の左側には山積みになった焚き付け、右側には太い2本の丸太。

旅人は、焚き付けを何本か燃やして火を大きくし、右手の石に座って悴んだ手足を温めた。


旅人が腰を下ろすと同時に、扉がさっと開いて、奇妙な姿をした物が1人入って来た。


旅人の膝くらいの背丈しか無い小人だったが、恰幅は良く逞しい体つきをしていた。


小人は、子羊の毛皮の上着を羽織り、モグラの毛皮で作ったズボンと靴を履き、雉の羽根を刺した緑苔の帽子を被っていた。

旅人を無言で睨み付けると、ドスドスと左手の石の上、旅人と面を合せる様に腰を下ろす。


それを見ていた旅人も、口を開かなかった。

小人の正体が『ドゥアガー』と言う、人間に悪意を持った妖精である事に気付いたからだ。


2人は見詰め合ったまま、黙って座っていた。


火が小さくなり……段々と小屋の中が寒くなって来た。


旅人は我慢出来なくなり、焚き付けを何本か取上げると、火を大きくした。

ドゥアガーは恐ろしい顔して旅人を見たが、しかし何も言わなかった。


暫くすると旅人に向って、大きな丸太の1本をくべろと、無言で合図して来た。

…しかし、旅人は何もせず、黙ってじっと座っていた。


遂にドゥアガーは、自分からその大きな丸太を1本取った。

丸太はドゥアガーの体より倍も長く太かったが、ドゥアガーはそれを膝で易々と折り火にくべた。


炎が赤々と上ったが、また直ぐに小さくなってしまった。


ドゥアガーが旅人に、「これくらいの事も、お前は出来ないのか?」と馬鹿にする様な仕草をしたが、何か罠が有ると考えた旅人は、寒くてもひたすら我慢して、そのままじっと座っていた。


漸く、光が微かに隙間から射し込んで来て、遠くで雄鶏の無く声がした。


その途端――ドゥアガーの姿は、小屋や火ともども消えてしまった…


明るい日の光の下……旅人は、自分が峡谷を見下ろせる、大きな岩山の突端の上座っている事に気が付いた。


……あの時、丸太を取ろうと、ほんの少しでも右へ動いていたら、谷から滑り落ち、骨がバラバラに砕けて死んでいただろう。



…今夜の話はこれでお終い。


さぁ…それでは8本目の蝋燭を吹き消して貰おうか…


……有難う……また次の御訪問を、お待ちしているよ。


ああ、また…お茶を残しているね。


…え?「確かに自分は、ちゃんと飲んだ」って…?


おかしいね……今度こそ間違い無いよう、淹れた筈なのだが……


まぁ深く考えるのは止めにしておこう…。


それでは、道中気を付けて帰ってくれ給え。


いいかい?……くれぐれも……


……絶対に後ろを振り返らないようにね…。



『妖精Who,s Who(キャサリン・ブリッグズ、著 井村君江、訳 筑摩書房、刊)』より。
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異界百物語 ―第7話―

2006年08月13日 21時23分26秒 | 百物語
やぁ、こんばんわ。

今夜はお茶を用意して待っていたよ。

ほうじ茶は嫌いかい?


え?暑い日に熱い茶は無いだろうって?

…大丈夫、直ぐに涼しくなるさ。


さてと……今夜は、昨夜紹介した『アハ・イシカ』から、間一髪逃げられた人間のお話をするとしようかな。



舞台は昨夜と同じ、スコットランド高地地方。

ヘブリディーズ諸島の1つ、アイラ島に、牛を沢山飼ってる農夫が居た。

その内の1頭に、丸い耳をした可愛い雄の仔牛が産れたと云う。

農場に居た物知りな老婆が、この仔牛は唯の牛じゃない……『クロー・マラ』だと告げた。


『クロー・マラ』と言うのは、水棲馬『アハ・イシカ』同様、水棲の妖精と言うか化物だが、『アハ・イシカ』と比較して、性質の穏やかな水棲牛だった。


老婆の助言により、仔牛は3年間、他の仔牛から離され、毎日雌牛3頭分の乳で育てられた。


すると、仔牛は素晴しい雄牛に成長した。


或る日の事、農夫の娘が入江で牛達の番をしていると、1人の見知らぬ若者がやって来て、娘の隣に座った。

若者は金髪で蒼い目をしていて、大層美しかった。

人懐こい微笑を少女に向けながら、気さくに話し掛けて来る。

その微笑に、少女はうっとりと見惚れてしまった。


会話はとても弾み、暫くすると、若者は娘に髪を梳かしてくれるよう頼んだ。


この当時この地では、愛情表現として、仲の良い男性の髪を女性が梳かす行為は、普通に見られた。


すっかり若者に気を許していた娘は、横になった若者の頭を膝に乗せると、彼の髪を掻き分け、優しく梳かし始めた。


そうしてる内に、うとうとと眠くなり……うっかり櫛を髪の中に落としてしまった。

慌てて拾上げようとして――


――若者の美しい金髪の間に、緑の海藻が生えているのを見付け、ぎょっとした。


娘は、若者が恐ろしい水棲馬の化物、『アハ・イシカ』であると気付いたが、悲鳴を堪え、勇気を振り絞り、小声で歌を歌いながら、そのまま優しく梳かし続けた。


娘の歌う歌を聴いてる内に…変身している怪物は、静かに眠ってしまった。


それを見て、娘はそっと気付かれないようエプロンを外すと、そろそろと膝から外し、眠っているアハ・イシカをその場に残して、足音を立てないよう、農場に向って逃げ出した。


もう一息という所で、後ろから凄まじい蹄の音を立てながら、獰猛な水棲馬が迫って来た。

娘は恐ろしくなって悲鳴を上げた。

捕まれば水中に引き摺り込まれ、八つ裂きにされてしまう。

その時、娘の悲鳴を聞いた老婆が、クロー・マラを解き放った。

クロー・マラは唸りを上げながら、アハ・イシカに挑みかかって行った。


2頭は激しく戦いながら、湖深くに沈んで行った。

翌日、クロー・マラの死体が岸に打上げられたが、アハ・イシカが現れる事は、もう2度と無かったそうだ。



…今夜の話はこれでお終い。


さあ…それでは7本目の蝋燭を吹き消して貰おうか…


……有難う……また次の訪問を、楽しみにして居るよ。


ああ、まだお茶を飲んでいないようだが。


…え?「自分の分なら、ちゃんと飲んだ」って…?


おかしいな……確かに人数分、淹れた筈なんだが……


まあ、あまり深くは考えないでおこう…。


それでは、道中気を付けて帰ってくれ給え。


いいかい?……くれぐれも……


……後ろは振り返らないようにね…。



『妖精Who,s Who(キャサリン・ブリッグズ、著 井村君江、訳 筑摩書房、刊)』より、記事抜粋。
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異界百物語 ―第6話―

2006年08月12日 19時54分42秒 | 百物語
いらっしゃい、今夜もよく来てくれたね。

さあ…何時もの席へどうぞ。


昨夜に続いて、今夜も水場に纏わる怪異をお話ししよう。


日本でも外国でも、大抵の水場には怪異が付き纏う…

これは何故だか解るだろうか?


実際に事故が多かったのも有るのだろうが、水難から…主に子供を守る為でもあったのではないだろうか?


そんなような事を思いながら、今夜の話を聞いて頂きたい。



スコットランド高地地方の海や湖には、『アハ・イシカ』と言う名の、恐ろしい水棲馬が居ると言い伝えられている。

普段は毛並の良い美しい馬の姿をしているが、もしもうっかりその背に乗ろうものなら、一気に水の中に引き摺り込まれて食べられてしまうと言う。


パースシャーのアバーフェルディー近く、小さな湖畔で有ったと伝えられてる話だ。


或る日曜の午後、7人の少女と1人の少年が連れ立って散歩に出掛けた所、湖の近くで可愛い仔馬が1頭、草を食べているのを見付けた。

仔馬は大層白く美しい毛並をしてい、少女と少年の姿を見ると、人懐こく側に擦り寄って来た。

1番年上の少女が気に入り、仔馬の背によじ登ると、皆にも登って来る様、声を掛けた。

少女達は1人づつ、次々とよじ登った。

全員乗っても、まだまだ余裕が有る様に見える。

しかし用心深い性格だった少年は、仔馬が少女達を背に乗せる度に、少しづつ体が大きくなっていってるのに気が付いていた。

その為、湖の近くに有った大きな岩の陰に、こっそり身を隠した。


すると突然仔馬が振向き、少年を見て人間の言葉で、「来いよ小僧、背中に乗れよ!」と喚いた。


驚いた少女達は一斉に悲鳴を上げ、飛降りようとする。

…しかし手が仔馬の背にくっ付いて離れない。

仔馬は少年を捕まえようと、岩の間を出たり入ったり走り回った。

けれども少年はすばしこく逃げ回り、岩場の更に奥へと、必死で走り込んだ。


仔馬は遂に諦め、泣き喚く少女達を背に乗せたまま、湖の中に飛び込んでしまった。


………翌朝、7人の少女達の肝臓だけが、湖岸に打上げられていた。



「…だから決して、自分達だけで水場に行っちゃいけないよ。解ったかい?」

そんな、昔のお母さん方の声が聞える様な気がしないかい?


…今夜の話はこれでお終い。


さあ…それでは6本目の蝋燭を吹き消して貰おうか…


……有難う……また次の訪問を、待っているよ。

そう言えば明日、関東では迎え盆だね…。


道中気を付けて帰ってくれ給え。


いいかい?……くれぐれも……


……後ろは振り返らないようにね…。



『妖精Who,s Who(キャサリン・ブリッグズ、著 井村君江、訳 筑摩書房、刊)』より、記事抜粋。
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