゛まるかん人゛プラトーク

元気とキレイを追求すると、人生は楽しく過ごすことと・・・!?

「俊寛」に見る地方観

2007-10-27 14:08:00 | 社会・経済

法政大教授 田中優子                                                     

都しのぐ豊かさなのに・・・                                                  国立劇場で松本幸四郎の「俊寛」を見た。幾度も見ているが、その                            たびに幸四郎の演技も味わいが異なり、私もその都度さまざまなこ                            とを考えている。今回は私は、今までとはまったく異なることが脳裏                            に浮かんだ。それは近ごろ気になっている「地域格差」である。僧侶                           であった俊寛は、謀反の罪で他の二人とともに鬼界ヶ島に流されて                           いる。舞台に出てくる俊寛の髪や髭は伸び放題、やつれて足腰も心                           もとない。そこへ、海女と結婚した仲間がやってくる。私はここでふと                           疑問がわいた。「なぜこんなにやつれ、弱っているのだろうか?なぜ                           髪も髭も伸び放題なのだろうか?なぜそんなに都へ帰りたいのだろ                           うか?」と。むろん芝居は象徴的表現であるから、日常をそのまま当                           てはめても意味がないのだが、この日はこのような「地方観」が引っ                           掛かっていたのである。ここは無人島ではない。海女もいれば漁師                            もいる。近松門左衛門の原作でも、硫黄を取って魚と交換している。                           俊寛がいた平安時代の京都に比べれば、生の魚や貝をふんだんに                           食べられる。気候は暖かく、食べ物は自然で美味で豊富、流行病や                           心配も無く、貴族社会の陰謀や人間関係のストレスもずっと少ない。                           プライドにこだわりさえしなければ、漁師の元で修業もできる。栄養状                         態、環境、運動量、多くのものが京都をしのいでいるはずだ。                               島に残ったら                                                     平安時代の実際の流罪では、一年を過ぎれば口分田が支給され、                           住民と同じように耕作もした。この作品が書かれた江戸時代では、                            漁師や農民の手伝いをしながら家庭を持つ者もいて、赦免されても                            島に残る例もあった。当然、自ら優れた漁師や農民になり、収益も上                          げて新しい生活をする場合もあったであろう。ちなみに江戸時代は地                          方の方が平均寿命が長かったとみられる。白米中心で住居が密集し                          ている江戸より、地方の方が栄養状態や衛生状態がよく、火災や震                           災の被害も格段に小さかったからである。このような事実に即して想                           像してしまった。もし俊寛が本当に賢い人なら「都至上主義」の発想                           を転換して、地元の人と同じように髪を切り髭もそり、洗いざらしのこ                           ざっぱりとした野良着を着て、日焼けしたたくましい相貌に真っ白な                            歯がのぞく好青年(俊寛は当時三十五歳ぐらい)の漁師になっていた                          はずである。やがて陰謀渦巻く都になんぞ帰りたくなくなり、白塗りに                          お歯黒の面々にも会いたくなり、「僕はこっちのほうがいい」と言って                           島に残る。船出をする人たちに言う。「僕は死んだってことにしてくれ」                          -そんな新しいスト-リ-が浮かんだのである(題名は「それからの                           俊寛」とか)。

地域の力実感                                                           九月は大学のゼミ合宿で佐渡と秋田に行った。江戸時代の日本は                           各藩が特産品を持ち、経済も法律も自立していた。漁や農や流通                            や鉱物資源で独自の産業が発展し、武士たちもそれに尽力してい                           た。漁で大金を稼ぐ者もおり、農村では優れた布や紙が生産され                             ていた。そういう地域の力を知らなければ江戸時代を知ったことに                            はならない。今でも日本の地域には、何でも自力で作って芸能もこ                            なす多様な能力を持った人たちがいる。地域でとれたものを食べれ                           ば、とにかくおいしい。ある学生は「どうしてこんなにおいしいのか分                           からないほど、おいしいものばかり」と言った。別の学生は「今は東                            京という中心地のために他の地域があるようでおかしい」と首をかし                           げた。祭りの中にコミュニティ-の力を感じ取り、原生林に分け入る                            ことで、地域の人たちが命がけで自然を守ってきた歴史を知った。                            多くの学生が、金で買えない豊かさを実感している。大学院に来て                            いるある社会人学生は、討論に使った「ジャパンク-ルと江戸文化」                          (奥野卓司著)を手にしながら、「これからは都心と地方を行ったり来                           たりの生活をしようと計画しています」と語った。歌舞伎をはじめとす                           るさまざまな日本のエンタ-テインメントが、地方と世界に広がりつ                            つあるからだ。金銭のみを価値とする競争原理が今なにを捨てようと                           しているのか。まずは私たちの目で地域文化という宝物を見ることか                           ら始めなければならない。

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心にのこる旅風景

2007-10-23 14:31:00 | 社会・経済

40年ほど前になるが、JR(当時国鉄)とバスで九州を旅した。その                            頃には周遊券があり、汽車は地域限定ではあったが、何度も乗車、                           下車を繰り返し旅を楽しんだ記憶が在ります。そんな気ままな九州                           旅行で、ただ一箇所だけ、何時か再訪したいと心に強く焼きついた                           景観は長崎であった。今も小高い箇所からの展望で堪能した、海と                           帆船、そして市電が脳裏に去来しています。その後米国の西海岸、                           サンフランシスコとロスアンジェルスを訪問する機会が在りました。                            ハリウッドやリトル東京のあるロスよりも市電やシ-フ-ドの街シス                            コが記憶に鮮明です。函館市街をじっくりと時間をかけて散策した折                           にも、市電の存在は印象的でした。当地札幌に、ようやく新幹線が                            現実のものとして話題に上り始めています。そんな中、経済界は新                           幹線と表裏一対のように中心街に車の乗り入れをもっとスム-ズに                            促進しようとの考えもあるようです。地球環境の温暖化対策に最も問                          題になっている、車での排出を経済政策との兼ね合いとのバランスで                          各種考察しながらも、半減するような思い切った施策が求められてい                          ます。電気自動車や水素自動車等の低公害のの実用化の情報も現                           実味を帯びては来ています。だが、都心部と近郊都市間との政索の                           違いをもっと鮮明に打ち出す必要があると思われます。新幹線で大量                          に訪れてくる、観光客が空気の美味しい北国の都市のメインストリ-ト                          で、少々レトロな市電や二ヶ月に一度の何らかの祭りや行事が出迎                            えてくれることを想像したとき、旅の満足感は最高のものとなり、きつ                           と心に何時までも残るるでしょう。

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札幌市がごみ収集有料化考察の背景

2007-10-16 17:00:00 | 社会・経済

地球環境と密接なごみ。リサイクルの前に発生元減らして                                (北大公共政策大学院教授 吉田文和講演)                                        ごみは燃やせばなくなるかというと、なくなりません。日本の一般家                           庭からでるごみは、80%程度が償却処理されます。焼却すると、灰                           になって容積は十分の一程度まで小さくなりますが、その灰の埋め                           立て場が必要になります。ダイオキシン問題が発覚してからは、埋                            め立てもできず、焼却炉はダイオキシンが出ないように、多額のお金、                         税金をかけて対策を進めてきました。札幌の白石区にある清掃工場                           が良い例です。札幌市が建て替えを検討中に、ダイオキシン問題の                           緊急対策として示された基準を満たすため、ダイオキシンを取り除く                           設備を付けた結果、当初四百七十億円だった費用が、百億円多い                            五百七十億円に膨れあがったわけです。ごみを焼却すると温室効果                           ガス、主に二酸化炭素が発生します。全国の焼却炉から排出された                             2005年の二酸化炭素の量は、京都議定書の基準年となっている                            90年と比較しても、三割近くも増えています。ごみが地球環境と密                           接に関係しているのです。だから、リサイクルをしようというわけです                          が、リサイクルはごみを減らせるのでしょうか。日本は「循環型社会                           形成推進基本法」という法律を基に、家電リサイクルなど各種のリサ                           イクル制度をつくりました。制度面では、環境先進国といわれている                           ドイツより進んでいますが、ごみの発生元を減らさなければ、いくらリ                           サイクルが進んでも、エネルギ-を使うばかりで、根本的な対策には                           つながりません。                                                         では、ごみの分別はリサイクルにどう影響を及ぼしてるのでしょうか。

例えば容器包装リサイクル法は九十七年から実施され、消費者が                            分別した瓶、カン、ペットボトルなどを自治体がそれを回収します。                            札幌では南区、東区にある二ヵ所で、資源ごみを機械で選別し、最                           後は人の手で分別しています。分別をやればやるほど、分別を実                            施する自治体は財政負担を強いられるわけです。自動車リサイクル                          は、当初一年間当たり五百万台というもくろみが、実際稼動してみ                            ると海外に流出しているなどから三百万台しか集まらない。中国な                            ど国境を越えたリサイクルが行われているのです。ちなみに不法投                           棄は、使用済みの廃家電や自動車が放棄されることが多かったの                            ですが、最近は、スクラップ鉄の市場価格が上昇しています。ある                            中国人研究者が路上に捨ててある車を見て笑いながら「中国では                            こんなことはありえない。誰かが真っ先に駆けつけてスクラップとし                            て回収し、なくなっちゃうよ」と言っていました。札幌市は「スリムシ                             ティさっぽろ計画」の素案を発表して、市のホ-ムペ-ジで掲載し                            ています。その中で、ごみの減量についての資料を紹介しますと、                            札幌の一般ごみの中身は、重量比でいうと、新聞紙などの紙ごみ                            が30%を占めます。ごみの中でも、紙やプラスチックなど資源とな                            るものを回収できれば、ごみ減量につながります。そのためには、                            一般のごみと資源となるごみを一緒に出させないようにする手を打                            っていかなくてはいけません。そのインセンティブ(動機付け)として                           有料化の問題も提案されているのです。ごみを減らすことで、今の                            北区篠路にある清掃工場の建て替えを中止したり、埋め立て地を                            延命させたりすることが目的です。財政が逼迫する札幌市はごみ                            処理の予算を減らし、その分を福祉関係の予算を増額するなど、                             選択肢の幅を増やそうとしているのです。                                           よしだ・ふみかず=1950年、兵庫県尼崎市生まれ。東京都立大                            経済学部卒業後、78年に京都大大学院経済学研究科終了。同年、                           北大経済学部専任講師、助教授を経て92年同学部教授。2005年                           北大公共政策大学院開設時から現職。ごみ減量を目指す札幌市廃                           棄物減量等推進審議会会長を努め、今年3月、家庭ごみ有料化を                             盛り込んだ答申書を市に提出した。

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釣り人締め出さず資源管理!?

2007-10-15 14:00:00 | 社会・経済

000_0476 北海道同様、北太平洋を旅したサケが戻って                             くる米国西海岸。中でもオレゴン州では、春の                            キングサ-モンに始まり、夏にはベニザケ、秋                            にはギンザケ、シロザケと、さまざまなサケ類が                           故郷の川を上ってくる。遡上数がピ-クを迎えた                                 9月。同州最大都市ボ-トランドの郊外を流れるクラカマス川                   の岸辺は、早朝からサケ釣りの人々でにぎわっていた。近くに住む                            ボプ・マクマレンさん(46)は平日だというのに、昼近くまでさおを振り                           続けた。「結婚記念日のごちそうに、妻にサケ料理を振舞いたいか                           ら」と言う。オレゴンでは、自分の釣ったサケが夕餉の食卓を飾るこ                            とはそう珍しいことではない。住民は多くのサケ料理を知っているし、                          その年の遡上状況にも関心を払う。サケの「帰郷」を祝い、祭りをす                            る地域もある。                                                          翻って日本。漁業資源保護の名の下、ごく一部の河川を除き、基本                           的に川でのサケ釣りは禁じられ、ス-パ-などで見る以外に、生の                            サケを目にすることは少ない。北海道はオレゴンと比べ、サケが遠い                           存在になっているような気がする。もちろんオレゴンの川だって、野放                          図に釣りができるわけでしない。さおは一人1本のみで、持ち帰れる                           釣果も制限される。違反者は州警察に厳しく摘発され、罰金が科せ                           られる。釣り人は年間25~50ドル(3000~6000円)のライセンス                          料を支払い、ふ化・放流や流域の植樹などのために応分の負担をす                           る。釣り人を締め出さずに管理し、そこからの収益を漁業や自然環境                          に生かす米国流。「サケの古里」北海道にとって、参考になりそうだ。                          (ポ-トランド 枝川敏実)

100_0198サケ(タンパク質豊富で脂肪少なく)                                   産卵のため、故郷の川に戻ってくる秋が旬であ                           る。秋アジとも呼ばれ、河口付近でで捕ったもの                           が上物とされる。川を1日約14㌔の速さで上り、                           産卵後一生を終える。稚魚は初夏には海に下り、                          数年を過ごして再び川に戻って産卵する。5月ごろから沖合いで                 捕れるものもあり、漁獲量は北海道がトップである。一般にサケとい                                              う名称で販売されているのはシロザケだ。身の赤色はアスタキサン                           チンという色素を含んでいるためで、加熱しても変わらない。焼き魚                            やムニエルの他に、捨てるところがないというくらいに、多種類の料                           理で食べ尽くす。シロザケはタンパク質が豊富で、脂肪は少ないが、                           ギンザケやアトランティックサ-モンは脂肪が多い。                                    (二宮るみ子・管理栄養士)

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北海道経済活性化への提言「大久保徹夫」

2007-10-13 16:00:00 | 社会・経済

米マサチュ-セッツ州との姉妹関係                                       (おおくぼ・てつお=前在ボストン日本総領事館経済担当領事)                               

北海道経済活性化の鍵となる取り組みとして、海外との産業交流、                           とりわけ姉妹関係にある米国マサチュ-セッツ州との産業交流を提                           言したい。明治初期の開拓史時代には、マサチュ-セッツ州からク                            ラ-ク、ケプロンなど多くのエンジニアたちが北海道にやってきた。                            同州との経済交流はまさにそのときに始まったといってよい。札幌                            時計台、道庁赤レンガ庁舎、大通公園のいずれをとっても、当時の                           同州の技術や技術者の影響を受けたものである。わが国の姉妹都                           市交流は概して教育・文化交流に傾きがちだ。北海道と同州の交                            流も戦後、北海道大学とマサチュ-セッツ州立大学アマ-スト校                            (かつてクラ-ク博士が学長を務めていた)の大学交流から発展、                            最近では滝川市とスプリングフィ-ルド市、渡島管内七飯町とコン                            コ-ド市など市町村ベ-スの教育文化交流に広がりをみせた。                              1990年には、これまでの交流をベ-スに道と同州が姉妹関係を                            締結、知事ミッションの相互訪問などが行われるようになった。しか                            しながら、同州との間の経済交流、産業交流はいまだ本格化してい                           ない。90年代前半には北海道の経済ミッションが同州を訪問、ボス                           トンで経済セミナ-がか開催され、2000年にはセル-チ元同州知                           事率いる輸出促進ミッションが来道したこともあったが、いずれも目                            立った成果を挙げられなかった。同州側では、農産品の売込みなど                            のビジネス成果がなかった州知事ミッションに州民の厳しい目が向                           けられたと聞く。

05年10月には、姉妹関係15周年を記念して、吉沢慶信副知事                            (当時)を団長とするミッションが同州を訪問。州政府との公式行事                            以外に、道内出身のビジネス関係者との間で、実験的なバイオ分                            野の産業交流の試みも行われた。しかし、道側の準備不足などか                            ら今年5月にボストンで行われた世界最大のバイオ産業コンベンシ                            ョン「BIO2007」への派遣につなげることができなかった。州政府                            やマサチュ-セッツ北海道協会のビジネスメンバ-などが北海道                             のバイオ関係者の受け入れに歓迎の意を表明していただけに残念                           な結果であった。双方向の産業交流は、うまくいけば地域開発や産                           業振興など経済や雇用に好影響を及ぼす。道内でも、かって十勝圏                           がデンマ-ク・オ-フス地区と食品加工分野で、北見市がフィンラン                           ド・オウル市と寒冷地型建築技術分野で熱心に産業交流を行った。                           いずれも日本貿易振興機構(ジェトロ)の地域間産業交流事業をうま                           く活用した事例であった。海外地域との姉妹都市交流も、産業交流                           に視点を置き、地域がそれなりの予算と熱意ある人材を確保できれ                           ば、成功の可能性がある。マサチュ-セッツ州はバイオ分野では全                           米有数の拠点であり、道内出身の研究者も活躍している。10年に                           姉妹関係締結二十周年を迎えるのを契機に、双方のバイオを中心                            とする産業交流に産官学が積極的に取り組んでもらいたいもので                            ある。

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デイケア・デイサ-ビス !?

2007-10-09 16:52:00 | 社会・経済

介護サ-ビスの中でも広く普及しているデイケア(通所リハビリ)と                            デイサ-ビス(通所介護)の、二種類の通所サ-ビスについての                             違い。デイケアは医師や理学療法士らによるリハビリが中心で、                             一方のデイサ-ビスは趣味活動や他の利用者との交流などを通じ                           て、介護が必要な高齢者の心身機能の向上を図る。介護サ-ビス                           は40歳から受けられる上、心身の状態も「要支援1」から「要介護                            5」までと幅広い。「施設側は利用者の要望に応えるためにサ-ビ                            スが多様化。通所サ-ビス施設によって事業内容に違いがある。                            例えば、送迎範囲が「区内だけ」「札幌市一円と石狩市の一部」まで、                         「金土日」は休む施設や「年中無休」などとさまざま。「原則、同姓介                          助」の施設もありで利用者の側で要望を確認のうえ選択することが                           必要なようです。「訪問系」の施設もお互いの利便性を把握して、                            何処にお願いをするか十分検討が必要なようです。

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札幌圏本当に不況?「藻谷 浩介」

2007-10-02 15:00:00 | 社会・経済

夏休み、酷暑の東京を脱出し、ひとときを家族で、札幌と十勝に遊                            んだ。沖縄と気温が逆転した日もあったという今夏の北海道。道産                            子は「昔こんな熱帯みたいな夕立はなかった」とぼやいていたが、                            北海道が熱帯なら東京はサウナ。道外からの亡命一家としては、                             十分涼しさを楽しめた。札幌では、最近当地に転勤した二男の同級                           生のご家族と再会。大通り公園に、サッポロファクトリ-に、札幌ド-                          ムと、皆で当地のファミリ-レジャ-を楽しんだ。不況というが、夏休                           みの北の都はまたずいぶんとにぎやかだった。誓って言うが、「好景                          気」の代表格とされる名古屋に家族旅行していたのでは絶対に味わ                           えない、豊かな時間と、雑踏のワクワク感が札幌にはあった。                              ※名古屋圏は大幅減                                                                      そう思うのは筆者だけではない。経済力の高さを誰よりもが認める                             大丸百貨店も、札幌店を新設投資していながら、名古屋店は持って                            いない。しかも東海地方を地盤とする松坂屋と経営統合するというこ                           とは、名古屋に直営店をもうつくらないということだ。「不況」の札幌に                          出て、「好景気」の名古屋に出ないとは、いかなる判断なのか。199                           8年度と2003年度の商業統計を比較すると、人口五百四十万人の                          名古屋都市圏の小売販売額(すべての店の売り上げの合計)は、実                           は五千億円近くも低下している。ところが周辺都市を含め人口二百四                          十万人の札幌都市圏の小売販売額は、ほとんど減っていない(同期                          間に百億円強の減少)。こういう数字をきちんと分析した大丸は、札幌                          には進出したが、名古屋店はつくらないとの決断をくだしたわけだ。                          「北海道は不況のどん底だ」と主張したいお歴々は、こういう事実自体                          を否定したがる傾向がある。だが、以上のような結果は決して不思議                           ではない。                                                             ※20歳~50歳代カギ                                                     旺盛にモノを買うのは、おおむね20歳~50歳代である、ということを                           否定できる人はいないだろう。ところで、札幌周辺五市(札幌、江別、                          石狩、北広島、恵庭)に住んでいる20歳~50歳代の数は、2000                           年~2005年の五年間に一万四千人増加した。対して愛知県の20                           歳~50歳代の人口は、移住してきた外国人の方を入れても、同時期                           に三万八千人も減少している。これが、札幌と名古屋の小売販売額の                         減少の程度の違いに直結しているのだ。ちなみに首都圏一都三県                           (東京+埼玉+千葉+神奈川)の、同時期の20歳~50歳代人口は、                         二十三万人の減少。1998年~2003年度の一都三県の小売販売                           額は、二兆一千億円の減少となっている。北海道は不景気のどん底                          であると主張したい皆さんには受け入れがたいだろう。だが事実として                        は、札幌周辺は国内に本当に数少ない20歳~50歳代の人口が増え                         ている地域であり、小売商業者にとって最後の聖域だったのだ。北海道                        は不況だというのは、有効求人倍率や失業率をみた判断だ。しかしな                          がら、現に20歳~50歳代の人口が増え、モノの売り上げが下げ止ま                          っている地域を、不況呼ばわりしていればいいというものではない。                           札幌の皆さんはもっと自信を持つべきだ。もちろん、いい話ばかりでは                          ない。この話にはきちんと落とし穴がある。次回に、その落とし穴を指                          摘させていただくので、楽しみにお待ちいただきたい。                                   (もたに・こうすれ=日本政策投資銀行地域振興部参事役)

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