法政大教授 田中優子
都しのぐ豊かさなのに・・・ 国立劇場で松本幸四郎の「俊寛」を見た。幾度も見ているが、その たびに幸四郎の演技も味わいが異なり、私もその都度さまざまなこ とを考えている。今回は私は、今までとはまったく異なることが脳裏 に浮かんだ。それは近ごろ気になっている「地域格差」である。僧侶 であった俊寛は、謀反の罪で他の二人とともに鬼界ヶ島に流されて いる。舞台に出てくる俊寛の髪や髭は伸び放題、やつれて足腰も心 もとない。そこへ、海女と結婚した仲間がやってくる。私はここでふと 疑問がわいた。「なぜこんなにやつれ、弱っているのだろうか?なぜ 髪も髭も伸び放題なのだろうか?なぜそんなに都へ帰りたいのだろ うか?」と。むろん芝居は象徴的表現であるから、日常をそのまま当 てはめても意味がないのだが、この日はこのような「地方観」が引っ 掛かっていたのである。ここは無人島ではない。海女もいれば漁師 もいる。近松門左衛門の原作でも、硫黄を取って魚と交換している。 俊寛がいた平安時代の京都に比べれば、生の魚や貝をふんだんに 食べられる。気候は暖かく、食べ物は自然で美味で豊富、流行病や 心配も無く、貴族社会の陰謀や人間関係のストレスもずっと少ない。 プライドにこだわりさえしなければ、漁師の元で修業もできる。栄養状 態、環境、運動量、多くのものが京都をしのいでいるはずだ。 島に残ったら 平安時代の実際の流罪では、一年を過ぎれば口分田が支給され、 住民と同じように耕作もした。この作品が書かれた江戸時代では、 漁師や農民の手伝いをしながら家庭を持つ者もいて、赦免されても 島に残る例もあった。当然、自ら優れた漁師や農民になり、収益も上 げて新しい生活をする場合もあったであろう。ちなみに江戸時代は地 方の方が平均寿命が長かったとみられる。白米中心で住居が密集し ている江戸より、地方の方が栄養状態や衛生状態がよく、火災や震 災の被害も格段に小さかったからである。このような事実に即して想 像してしまった。もし俊寛が本当に賢い人なら「都至上主義」の発想 を転換して、地元の人と同じように髪を切り髭もそり、洗いざらしのこ ざっぱりとした野良着を着て、日焼けしたたくましい相貌に真っ白な 歯がのぞく好青年(俊寛は当時三十五歳ぐらい)の漁師になっていた はずである。やがて陰謀渦巻く都になんぞ帰りたくなくなり、白塗りに お歯黒の面々にも会いたくなり、「僕はこっちのほうがいい」と言って 島に残る。船出をする人たちに言う。「僕は死んだってことにしてくれ」 -そんな新しいスト-リ-が浮かんだのである(題名は「それからの 俊寛」とか)。
地域の力実感 九月は大学のゼミ合宿で佐渡と秋田に行った。江戸時代の日本は 各藩が特産品を持ち、経済も法律も自立していた。漁や農や流通 や鉱物資源で独自の産業が発展し、武士たちもそれに尽力してい た。漁で大金を稼ぐ者もおり、農村では優れた布や紙が生産され ていた。そういう地域の力を知らなければ江戸時代を知ったことに はならない。今でも日本の地域には、何でも自力で作って芸能もこ なす多様な能力を持った人たちがいる。地域でとれたものを食べれ ば、とにかくおいしい。ある学生は「どうしてこんなにおいしいのか分 からないほど、おいしいものばかり」と言った。別の学生は「今は東 京という中心地のために他の地域があるようでおかしい」と首をかし げた。祭りの中にコミュニティ-の力を感じ取り、原生林に分け入る ことで、地域の人たちが命がけで自然を守ってきた歴史を知った。 多くの学生が、金で買えない豊かさを実感している。大学院に来て いるある社会人学生は、討論に使った「ジャパンク-ルと江戸文化」 (奥野卓司著)を手にしながら、「これからは都心と地方を行ったり来 たりの生活をしようと計画しています」と語った。歌舞伎をはじめとす るさまざまな日本のエンタ-テインメントが、地方と世界に広がりつ つあるからだ。金銭のみを価値とする競争原理が今なにを捨てようと しているのか。まずは私たちの目で地域文化という宝物を見ることか ら始めなければならない。