今週のハーパーカレッジの「アメリカ野球の歴史」のクラスは、メジャーリーグ初の黒人名選手、ジャッキー・ロビンソンがいかにアメリカ社会に影響を及ぼしたのかに焦点があたった。
デパルマ教授の話では、ジャッキー・ロビンソンほどものすごいプレッシャーの中で、プレーしたスポーツ選手はいまだかつていないだろうということだ。「The Soul of the Game」という映画を見ながら、1940年代のロビンソンの時代を振り返る。その当時二グロリーグで活躍していたサッチェル・ページという凄腕のベテランピッチャーとジャシュ・ギブソンという972本ものホームランを打ったとてつもない選手とジャッキー・ロビンソンの3人の交流を描く。

当時のブルックリン・ドジャースの会長ブランチ・リッキーは、この3人のうちメジャーリーグ初の黒人選手に若いロビンソンを選ぶ。「私は、心からの野球ファンだ。おそらくこの選択(黒人選手を使うという)は、国中を揺るがすだろう!」と予言したが、まったくその通りになる。
さまざまな中傷・誹謗、そしてきたないプレーを乗り越えて、ロビンソンは、果敢なプレーで、黒人選手の優秀さを証明することに成功する。運命の日、1947年4月15日のロビンソンのデビュー戦は、ヒットとともに、足で引っ掻き回す。当時、ロビンソンが塁に出ると、その速さと俊敏さで、ピッチャーは翻弄され、打者にフォアボールを出したという。別のビデオで、当時のロビンソンのプレーを見たが、走塁がめちゃくちゃ早く、デパルマ教授が、早回しのビデオを観ているようだと驚愕していた。
ロビンソンのドジャーズ入りは、ドジャーズ内の選手にもかなり影響があったらしく、一緒にプレーするのを拒否する南部出身の選手もいたという。スパイクを立てて、1塁手のロビンソンを怪我させる選手もいたり、脅迫も多かったという。ロビンソンの奥さんの心境はいかほどだったか?!
想像を絶するプレッシャーの中で、命を賭けてまで、自分のプレーを貫いた鋼のような精神力の持ち主のロビンソン。彼の活躍のおかげで、黒人選手に道が開かれ、人種差別廃絶への手助けにもなったというから、その功績ははかりしれない。ステロイドで選手生命を縮めている最近の丸太のような腕を持った選手たちとは、えらい違いだ。
ロビンソンは、野球の世界だけではなく、当時の社会全体に影響を及ぼしたところがすごい!ロビンソンの背番号42番は、全球団で永久欠番になっていて、毎年4月15日は、さまざまな選手とくに黒人選手が42番をまとって誇り高くプレーしている姿が全球団で見られる。今年4月15日はピンとこなかったが、このクラスで学んで、やっとその重要性が理解できた。
ロビンソンは、その素晴らしい人間性がにじみでているほど、素敵なマスクを持ち、穏やかで、謙虚さがただよう。ちょっとシャイな感じもある。その風貌と対照的にアグレッシブなプレーをガンガンしていたというから、黒人も白人もファンとしては、たまらないだろう。今の時代にロビンソンがいたら・・・きっと、一挙手一動を目をこらして見守るのだろう。映画の中のロビンソンは、本物と似ていた。
映画の最後に、ジャシュ・ギブソンが、野球ファンの少年と握手するシーンがでてくる。その少年は、その場面を大きくなってから回想しているのだが、少年が大人になり、メジャーリーガーとなって、その彼のロッカーには、なんと「ウィリー・メイズ」と名前が記されている。メイズは、4回も本塁打王になり、660号も打っている名選手。そのメイズの憧れが、ロビンソンで、メイズに憧れたのが、バリー・ボンズだというから、誠に歴史は面白い。ただ、現代のボンズがステロイドで話題のかなたに消えてしまったから、ロビンソンがもし生きていたら、さぞや遺憾であろう。
しかし、ロビンソンは偉大だが、そのロビンソンを雇うことに決めた白人のドジャーズのオーナー、リッキーの決断もすごい。彼が予言した通り、社会を揺るがした大きな社会現象にまで発展したわけだから。
ただ、現代の黒人選手は、社会構造の変換に伴い、減少気味らしい。南米系、ご存知日本人選手に押され気味。このことは、ステロイド問題とともに、またゆっくり書いてみたいと思う。
デパルマ教授の話では、ジャッキー・ロビンソンほどものすごいプレッシャーの中で、プレーしたスポーツ選手はいまだかつていないだろうということだ。「The Soul of the Game」という映画を見ながら、1940年代のロビンソンの時代を振り返る。その当時二グロリーグで活躍していたサッチェル・ページという凄腕のベテランピッチャーとジャシュ・ギブソンという972本ものホームランを打ったとてつもない選手とジャッキー・ロビンソンの3人の交流を描く。

当時のブルックリン・ドジャースの会長ブランチ・リッキーは、この3人のうちメジャーリーグ初の黒人選手に若いロビンソンを選ぶ。「私は、心からの野球ファンだ。おそらくこの選択(黒人選手を使うという)は、国中を揺るがすだろう!」と予言したが、まったくその通りになる。
さまざまな中傷・誹謗、そしてきたないプレーを乗り越えて、ロビンソンは、果敢なプレーで、黒人選手の優秀さを証明することに成功する。運命の日、1947年4月15日のロビンソンのデビュー戦は、ヒットとともに、足で引っ掻き回す。当時、ロビンソンが塁に出ると、その速さと俊敏さで、ピッチャーは翻弄され、打者にフォアボールを出したという。別のビデオで、当時のロビンソンのプレーを見たが、走塁がめちゃくちゃ早く、デパルマ教授が、早回しのビデオを観ているようだと驚愕していた。
ロビンソンのドジャーズ入りは、ドジャーズ内の選手にもかなり影響があったらしく、一緒にプレーするのを拒否する南部出身の選手もいたという。スパイクを立てて、1塁手のロビンソンを怪我させる選手もいたり、脅迫も多かったという。ロビンソンの奥さんの心境はいかほどだったか?!
想像を絶するプレッシャーの中で、命を賭けてまで、自分のプレーを貫いた鋼のような精神力の持ち主のロビンソン。彼の活躍のおかげで、黒人選手に道が開かれ、人種差別廃絶への手助けにもなったというから、その功績ははかりしれない。ステロイドで選手生命を縮めている最近の丸太のような腕を持った選手たちとは、えらい違いだ。
ロビンソンは、野球の世界だけではなく、当時の社会全体に影響を及ぼしたところがすごい!ロビンソンの背番号42番は、全球団で永久欠番になっていて、毎年4月15日は、さまざまな選手とくに黒人選手が42番をまとって誇り高くプレーしている姿が全球団で見られる。今年4月15日はピンとこなかったが、このクラスで学んで、やっとその重要性が理解できた。
ロビンソンは、その素晴らしい人間性がにじみでているほど、素敵なマスクを持ち、穏やかで、謙虚さがただよう。ちょっとシャイな感じもある。その風貌と対照的にアグレッシブなプレーをガンガンしていたというから、黒人も白人もファンとしては、たまらないだろう。今の時代にロビンソンがいたら・・・きっと、一挙手一動を目をこらして見守るのだろう。映画の中のロビンソンは、本物と似ていた。
映画の最後に、ジャシュ・ギブソンが、野球ファンの少年と握手するシーンがでてくる。その少年は、その場面を大きくなってから回想しているのだが、少年が大人になり、メジャーリーガーとなって、その彼のロッカーには、なんと「ウィリー・メイズ」と名前が記されている。メイズは、4回も本塁打王になり、660号も打っている名選手。そのメイズの憧れが、ロビンソンで、メイズに憧れたのが、バリー・ボンズだというから、誠に歴史は面白い。ただ、現代のボンズがステロイドで話題のかなたに消えてしまったから、ロビンソンがもし生きていたら、さぞや遺憾であろう。
しかし、ロビンソンは偉大だが、そのロビンソンを雇うことに決めた白人のドジャーズのオーナー、リッキーの決断もすごい。彼が予言した通り、社会を揺るがした大きな社会現象にまで発展したわけだから。
ただ、現代の黒人選手は、社会構造の変換に伴い、減少気味らしい。南米系、ご存知日本人選手に押され気味。このことは、ステロイド問題とともに、またゆっくり書いてみたいと思う。