Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

メジャーリーグ初の黒人選手、ジャッキー・ロビンソンに乾杯!~「アメリカ野球の歴史」のクラス

2008-07-12 | メジャーリーグ
今週のハーパーカレッジの「アメリカ野球の歴史」のクラスは、メジャーリーグ初の黒人名選手、ジャッキー・ロビンソンがいかにアメリカ社会に影響を及ぼしたのかに焦点があたった。

デパルマ教授の話では、ジャッキー・ロビンソンほどものすごいプレッシャーの中で、プレーしたスポーツ選手はいまだかつていないだろうということだ。「The Soul of the Game」という映画を見ながら、1940年代のロビンソンの時代を振り返る。その当時二グロリーグで活躍していたサッチェル・ページという凄腕のベテランピッチャーとジャシュ・ギブソンという972本ものホームランを打ったとてつもない選手とジャッキー・ロビンソンの3人の交流を描く。



当時のブルックリン・ドジャースの会長ブランチ・リッキーは、この3人のうちメジャーリーグ初の黒人選手に若いロビンソンを選ぶ。「私は、心からの野球ファンだ。おそらくこの選択(黒人選手を使うという)は、国中を揺るがすだろう!」と予言したが、まったくその通りになる。

さまざまな中傷・誹謗、そしてきたないプレーを乗り越えて、ロビンソンは、果敢なプレーで、黒人選手の優秀さを証明することに成功する。運命の日、1947年4月15日のロビンソンのデビュー戦は、ヒットとともに、足で引っ掻き回す。当時、ロビンソンが塁に出ると、その速さと俊敏さで、ピッチャーは翻弄され、打者にフォアボールを出したという。別のビデオで、当時のロビンソンのプレーを見たが、走塁がめちゃくちゃ早く、デパルマ教授が、早回しのビデオを観ているようだと驚愕していた。

ロビンソンのドジャーズ入りは、ドジャーズ内の選手にもかなり影響があったらしく、一緒にプレーするのを拒否する南部出身の選手もいたという。スパイクを立てて、1塁手のロビンソンを怪我させる選手もいたり、脅迫も多かったという。ロビンソンの奥さんの心境はいかほどだったか?!

想像を絶するプレッシャーの中で、命を賭けてまで、自分のプレーを貫いた鋼のような精神力の持ち主のロビンソン。彼の活躍のおかげで、黒人選手に道が開かれ、人種差別廃絶への手助けにもなったというから、その功績ははかりしれない。ステロイドで選手生命を縮めている最近の丸太のような腕を持った選手たちとは、えらい違いだ。

ロビンソンは、野球の世界だけではなく、当時の社会全体に影響を及ぼしたところがすごい!ロビンソンの背番号42番は、全球団で永久欠番になっていて、毎年4月15日は、さまざまな選手とくに黒人選手が42番をまとって誇り高くプレーしている姿が全球団で見られる。今年4月15日はピンとこなかったが、このクラスで学んで、やっとその重要性が理解できた。

ロビンソンは、その素晴らしい人間性がにじみでているほど、素敵なマスクを持ち、穏やかで、謙虚さがただよう。ちょっとシャイな感じもある。その風貌と対照的にアグレッシブなプレーをガンガンしていたというから、黒人も白人もファンとしては、たまらないだろう。今の時代にロビンソンがいたら・・・きっと、一挙手一動を目をこらして見守るのだろう。映画の中のロビンソンは、本物と似ていた。

映画の最後に、ジャシュ・ギブソンが、野球ファンの少年と握手するシーンがでてくる。その少年は、その場面を大きくなってから回想しているのだが、少年が大人になり、メジャーリーガーとなって、その彼のロッカーには、なんと「ウィリー・メイズ」と名前が記されている。メイズは、4回も本塁打王になり、660号も打っている名選手。そのメイズの憧れが、ロビンソンで、メイズに憧れたのが、バリー・ボンズだというから、誠に歴史は面白い。ただ、現代のボンズがステロイドで話題のかなたに消えてしまったから、ロビンソンがもし生きていたら、さぞや遺憾であろう。

しかし、ロビンソンは偉大だが、そのロビンソンを雇うことに決めた白人のドジャーズのオーナー、リッキーの決断もすごい。彼が予言した通り、社会を揺るがした大きな社会現象にまで発展したわけだから。

ただ、現代の黒人選手は、社会構造の変換に伴い、減少気味らしい。南米系、ご存知日本人選手に押され気味。このことは、ステロイド問題とともに、またゆっくり書いてみたいと思う。





息子、リトルリーグBGRAのオールスター戦で活躍!~続き

2008-07-12 | リトルリーグ
試合開始前のミーティングでは、詳しいルールの打ち合わせがあったらしい。監督は、ディビジョンの勝率の一番いいチームの監督が行う。息子のチーム、ナショナルリーグは、リーグ内で圧倒的な強さを誇るエンジェルスの監督、マイク。20人ぐらいのメンバーが片方チームにいるため、打順は公平にくじ。息子は、中間の11番目。ピッチャーは、各自1イニングづつ投げる。9イニングのため、9人のピッチャーが起用され、前回の投稿の写真に写っていた細身で背の高い速球投手コーリーが先発に選ばれ、息子は光栄にも最後の回のクローザーに選ばれていた。この日のために、新しいピッチングフォームも完成。主人とともに入念なピッチング練習をして、準備周到。

相手のアメリカンリーグが先攻。コーリーが気合を入れて、いつもの威圧的なフォームで、勢い良く投げ下ろすが、主人いわく、「気負っている!」ため、ストライクがなかなか決まらない。ヒットも連打され、1回で5点あっという間に取られ、「あーあ!」

逆に、ナショナルリーグは、リーグ屈指の剛速球ピッチャー、アダムにしっかり抑えられ、点数が入らない。アダムは、ディビジョンで息子のチームと対戦したとき、すごい接戦の試合の最終回を息子とともにクローザーとして、投げあい、お互い抑えたライバル。晴れの舞台で、実力が発揮できるのは、まさに本物!


気迫が漂うアダムのピッチング

2回か3回の裏、アメリカンが0点のときに、息子の打順が回ってきた。親の方がどきどきする。



息子は、落ち着いて、レフトに大きなヒットを放ち、軽々の2塁打。アメリカン初めての大きなヒット。得意の盗塁も決め、アメリカン初めてのホームを踏む。やれやれ!アメリカン頑張れ!

その後は、ナショナルの方が、常に先攻して、点数差を広げる。息子は、次の打順でも2塁打を打ち、活躍。無事役目を果たし、私たち親は、ほっとする。しかし、みんななんだかだれてきて、「早く終わらないかなあ!」ムードも漂っている。しかし、9回にならないと、息子のピッチングは見られない。

7回は、メジャーリーグでも恒例のセブンイニングストレッチで、マイクの前にお母さんと数人の選手が囲んで、「テイク・ミー・アウト・ツー・ザ・ボールゲーム」を大声でうれしそうに歌う。



夜の7時15分から始まった試合も攻撃が長かったため、10時前になってしまい、なんと9回は打ち切られることになってしまった。うっそー!そんなバカな!
息子のピッチングカットされてしまった。ひどすぎる!晴れの舞台をずっと楽しみにしていたのに・・・

終了式は、またしても、1人1人が呼ばれ、各リーグの監督からトロフィーが渡される。



あーあ、息子不完全燃焼。ピッチャーとしての快感を知ってしまった今、打撃だけ活躍しても満たされなくなってしまった私たち親子。誠にぜいたくな言い草。しかし、経験したら、あんなにあこがれてたオールスターもあっけなく終わるのね・・・一夜の夢か?!