今日は水木の仕事も一段落なので、パリ在住画家早川俊二氏の静物画の個展を見に行き、絵を堪能しながら、早川氏の生い立ち、ここまでの道のりを妻の結子さんとともに語ってもらった。私の興味深かった点は、どのようにして、早川氏という稀有な対象に誠実なアーティストができていったかということだ。2人の息子を持つ親として、強い信念を抱きながら、わが道を精進できるという精神力はどうやって身につけたかということ。短い時間なので、一部しかわからなかったが、少しここに記録しておく。
早川さんは、長野市の山々に囲まれた自然の中でのびのびと育つ。幼児の頃から絵はうまく、なんとそんな小さな頃から透視画法まで自然に身についていたというから、持って生まれた類稀な才能があったということだろう。ピカソの小さいときのような感じかしら。小中学生の頃には、自分の絵はうまいことにかなり意識しだし、前の投稿でも書いたように、中3でセザンヌに出会って以来、この道まっしぐらとなる。
しかし、早川さんのご両親は、早川さんが絵描きになるのには反対だったという。強い反対を受けながらも、自分のめざす方向をみきわめるために、結子さんの協力のもと、パリへ2人で行き、美術学校へ5年間も通う。学校へ通っている間は、結子さんがデザイナーとして、生計を立てて、早川さんをバックアップしていたという。自分の才能をひたすら信じて、一心不乱に絵に専念する若き早川さんの姿を想像してしまう。結子さんは、東京の美術学校時代に早川さんに出会い、「この人は(作品も人柄も)他の人と違うものを持っている!」とすぐにピーンときたというから、これまた人の才能をかぎわける嗅覚というか、そういう結子さんの感性をともなった聡明さも際立っているのだろう。
早川さんと結子さんは、「子供が興味を持ったものは、とことんのばすべきだ!」と私に強く言われた。うちの下の息子は、なぜか有毒動物や両生類に興味を異常に持っている。そのことを言ったら、「自信を持たせて、どんどん研究させてあげるように」と言われた。早川さんの小さいときもそうだったらしいが、他の勉強はできなくてもいいという。早川さんの学生時代は、他の勉強はまったくせず、絵ばかり描いていたという。
うちの主人がつねづね言っていることと全く一致していた。主人は、息子の有毒動物の話をとことん聞き、ジャパン・スネーク・センターに連れて行き、おたまじゃくしを飼ってやり、息子の興味ある世界をとても大事にしている。息子に向かって、「他の勉強なんてしなくてもいいから。」なんていう他の親が聞いたら「とんでもない!」というようなことを言っている。私は、主人が言っていることが頭ではわかっていても、学校の勉強ができていないと、ハラハラして、「ちゃんとやらせなくては!」とついつい思って、おしりを叩いてしまう。
しかし、今日の早川さんの話を聞いていると、一心不乱に自分の道を歩み、それを継続することが、大成する秘訣のような気がしてくる。ノーベル賞をとった下村さんも同じようなことを言っていた。子供がやりたいことを自由にさせることが大事だと。最近の子供たちは、親がさまざまな習い事を進め、毎日習い事や塾で予定をつめ、がんじがらめにしているような気がする。これでは、子供が秘めている感性というのは、でてこないのではないかと思う。一部の子供たちを見ていると、目に生気がないような気がする。親たちも働いているので、忙しく、子供たちの本当の才能の芽を見分けられなくなっているのではないか。
早川さんのすごいところは、親がつもうとした芽を自分の強い意思でのばしたところだ。そこまで、自分自身の才能に確信があったということだろう。ここだ!いかに自分自身に自信が持てるかだ。上の息子は、何でもそつなくこなし、勉強や運動もそこそこでき、しっかりしているため、私はいつもほめて育てた。その循環がいいせいか、ますます自分に自信ができて、しっかりするように自然になった。しかし、下の息子をほめて育てることが私はしっかりできていない。やろうと努力しているつもりでも、どうしても上の息子と比べてしまう。いかん、いかんと思いながら・・・
そして、早川さんの極めつけは、理想の絵画をめざして、人以上に努力を継続しているということ。揺ぎない自分自身の才能への確固とした自信と日々の努力が、神から与えられたたぐい稀な才能を開花させたのだ。勿論、結子さんのサポートがあったからだが。こう書いてくると、まるで、イチローのような感じもしてくる。しかし、普段の早川さんは、とても無邪気だ。絵以外のことを語ると、まるで少年のような雰囲気。誠実な人間味溢れる普通の人になる。おっと、ここまで書いて、個展のことを書いていないし、写真紹介もしていない。明日は、いよいよ読売に大きく早川さんの記事が掲載される。たのしみだ!
~この項つづく
写真は、左から、早川さん、Kuni、結子さん
早川さんは、長野市の山々に囲まれた自然の中でのびのびと育つ。幼児の頃から絵はうまく、なんとそんな小さな頃から透視画法まで自然に身についていたというから、持って生まれた類稀な才能があったということだろう。ピカソの小さいときのような感じかしら。小中学生の頃には、自分の絵はうまいことにかなり意識しだし、前の投稿でも書いたように、中3でセザンヌに出会って以来、この道まっしぐらとなる。
しかし、早川さんのご両親は、早川さんが絵描きになるのには反対だったという。強い反対を受けながらも、自分のめざす方向をみきわめるために、結子さんの協力のもと、パリへ2人で行き、美術学校へ5年間も通う。学校へ通っている間は、結子さんがデザイナーとして、生計を立てて、早川さんをバックアップしていたという。自分の才能をひたすら信じて、一心不乱に絵に専念する若き早川さんの姿を想像してしまう。結子さんは、東京の美術学校時代に早川さんに出会い、「この人は(作品も人柄も)他の人と違うものを持っている!」とすぐにピーンときたというから、これまた人の才能をかぎわける嗅覚というか、そういう結子さんの感性をともなった聡明さも際立っているのだろう。
早川さんと結子さんは、「子供が興味を持ったものは、とことんのばすべきだ!」と私に強く言われた。うちの下の息子は、なぜか有毒動物や両生類に興味を異常に持っている。そのことを言ったら、「自信を持たせて、どんどん研究させてあげるように」と言われた。早川さんの小さいときもそうだったらしいが、他の勉強はできなくてもいいという。早川さんの学生時代は、他の勉強はまったくせず、絵ばかり描いていたという。
うちの主人がつねづね言っていることと全く一致していた。主人は、息子の有毒動物の話をとことん聞き、ジャパン・スネーク・センターに連れて行き、おたまじゃくしを飼ってやり、息子の興味ある世界をとても大事にしている。息子に向かって、「他の勉強なんてしなくてもいいから。」なんていう他の親が聞いたら「とんでもない!」というようなことを言っている。私は、主人が言っていることが頭ではわかっていても、学校の勉強ができていないと、ハラハラして、「ちゃんとやらせなくては!」とついつい思って、おしりを叩いてしまう。
しかし、今日の早川さんの話を聞いていると、一心不乱に自分の道を歩み、それを継続することが、大成する秘訣のような気がしてくる。ノーベル賞をとった下村さんも同じようなことを言っていた。子供がやりたいことを自由にさせることが大事だと。最近の子供たちは、親がさまざまな習い事を進め、毎日習い事や塾で予定をつめ、がんじがらめにしているような気がする。これでは、子供が秘めている感性というのは、でてこないのではないかと思う。一部の子供たちを見ていると、目に生気がないような気がする。親たちも働いているので、忙しく、子供たちの本当の才能の芽を見分けられなくなっているのではないか。
早川さんのすごいところは、親がつもうとした芽を自分の強い意思でのばしたところだ。そこまで、自分自身の才能に確信があったということだろう。ここだ!いかに自分自身に自信が持てるかだ。上の息子は、何でもそつなくこなし、勉強や運動もそこそこでき、しっかりしているため、私はいつもほめて育てた。その循環がいいせいか、ますます自分に自信ができて、しっかりするように自然になった。しかし、下の息子をほめて育てることが私はしっかりできていない。やろうと努力しているつもりでも、どうしても上の息子と比べてしまう。いかん、いかんと思いながら・・・
そして、早川さんの極めつけは、理想の絵画をめざして、人以上に努力を継続しているということ。揺ぎない自分自身の才能への確固とした自信と日々の努力が、神から与えられたたぐい稀な才能を開花させたのだ。勿論、結子さんのサポートがあったからだが。こう書いてくると、まるで、イチローのような感じもしてくる。しかし、普段の早川さんは、とても無邪気だ。絵以外のことを語ると、まるで少年のような雰囲気。誠実な人間味溢れる普通の人になる。おっと、ここまで書いて、個展のことを書いていないし、写真紹介もしていない。明日は、いよいよ読売に大きく早川さんの記事が掲載される。たのしみだ!
~この項つづく
写真は、左から、早川さん、Kuni、結子さん