昨日の台風は、午前中まで関東地方を混乱させたけど、午後はカラリと晴れわたり、なんとなく気が抜けるほどの変わりようだった。明け方4時ごろは、暴風雨が凄くて目がさめ、マンションの下水道がカラカラ鳴って、トイレの水も溢れそうになって、ちょっとこわかったけど・・・
息子たちの小学校と中学校からは、前日、保護者の判断で、登校を見合わせたり、遅刻させるようお手紙がきていた。朝子供たちがでかけるときは、判断に迷ったが、小学校の登校班の世話人さんが、「このぐらいなら、今いけるので、行かせます」との判断で、みんな登校。周りを見ても、中学生や他の班が登校していた。私は、登校させても、登校途中が心配なのと、帰りも心配だったので、本音としては家にいてほしかった。しかし、みんなが登校しているなら、うちだけ休ませるわけにもいかない。「ああ、アメリカなら、警報がでているときは、みんな学校を休ませるだろうなあ」と心の中で、ぶつぶつ。日本では、多くのお母さんたちは働いているから、ちょっとぐらいの台風で子供に家にいてもらっては困るのだろう。ニュースを見ても、電車が止まろうが何しようが、「会社に行かなくては困る!」とみんな必死で会社に向かう姿を映し出している。
下の息子を送り出して、しばらくしたら、世話人さんがピンポーンと来る。世話人さんが子供たちを見送っていった途中、息子の傘が全壊してしまったという。世話人さんが息子に傘をかしてくれたという。見ると無残にこなごなに壊れてしまっている。日本に帰国して、近くのスーパーで買った2つ目の傘だ。1つ目もあっという間に壊れてしまい、最近同じスーパーで買いなおしたばかり。「ああ、あそこのは、ダメですよ、うちも何本かこわれてますよ」と世話人さんが教えてくれた。
しかし、思うに下の息子はアメリカ育ちで、今まで傘というものをさす機会が少なかった。アメリカでは、常に車で移動していたので、傘が必要なかった。よって、息子には強い風に向かって傘をさすという知恵もないのではないか。風向きに逆にさしてしまうとあっという間に傘はおかしな形になるという経験を知らない。「あーあ、傘のさしかたまで、指南せないかんのか!」と知る。ほんとに、小さな頃から備わっていなければならない小さな小さな生活の知恵というものが、帰国子女には欠如しているのだ。いや、これは勝手な私の想像で、もしかすると、体で覚えているのかもしれなくて、単に傘がぶっ壊れただけかもしれない。
車社会でない日本ではレインコートも長靴も必要だ。あわてて、着せた兄のお下がりのレインコートはきつきつで、ズボンは丸出し。でもないよりマシなので、無理矢理着せる。同じくお下がりの長靴は小さくて入らない。つまりこれ以降、アメリカでレインコートや長靴をかっていないということだ。レインコートも長靴は兄が日本で使っていたものだから、小1ぐらいの大きさ。(小1の2月にアメリカにわたったから)両方買っておかなくてはと痛感する。日本に帰ってきて1年弱たったが、いまだに判断に迷うことや買わなくてはいけないことにでくわす。あーあ、アメリカは楽だったなあ。
さて、午後は雨もやんで、子供たちもいつもどおりの時間に家に帰ってきた。下の息子の話では、「学校で、台風のこわさで体が震えていた」と言う。他の友達は、平気だったらしい。日本にいると、みんな天候に対してなぜかとても鈍感になるような気がする。どんな土砂降りでも傘をさしながら、平気で自転車に乗って、ぬれるのを気にしない。車の中から見て、主人がこれだけは信じられないという。中には、子供を2人自転車に乗せて、果敢に雨の中自転車を乗り回している母親もいて、そのたくましさには驚く。車がない人たちは、天候なんて気にしちゃいられないのだろう。
一番びっくりするのは、雷に対してだ。アメリカなら、少しでも光ったら、絶対外に出ない。スポーツをしていたら、コーチたちはすぐにやめさせる。上の息子の野球のリーグで、1人のコーチが車にでた瞬間に雷に打たれて亡くなった。そのときの印象が強く、私は雷と聞くと、子供たちを車の中か室内に入れさせる。いつも天候にはみんな敏感で、逐一テレビのウエザーチャンネルをチェックし続ける。でも、日本では雷の中、みんな悠々と歩いている。これはどうしてなのだろう。雷に打たれたという被害が少ないのだろうか。とにかく、理解に苦しむ。
息子たちの小学校と中学校からは、前日、保護者の判断で、登校を見合わせたり、遅刻させるようお手紙がきていた。朝子供たちがでかけるときは、判断に迷ったが、小学校の登校班の世話人さんが、「このぐらいなら、今いけるので、行かせます」との判断で、みんな登校。周りを見ても、中学生や他の班が登校していた。私は、登校させても、登校途中が心配なのと、帰りも心配だったので、本音としては家にいてほしかった。しかし、みんなが登校しているなら、うちだけ休ませるわけにもいかない。「ああ、アメリカなら、警報がでているときは、みんな学校を休ませるだろうなあ」と心の中で、ぶつぶつ。日本では、多くのお母さんたちは働いているから、ちょっとぐらいの台風で子供に家にいてもらっては困るのだろう。ニュースを見ても、電車が止まろうが何しようが、「会社に行かなくては困る!」とみんな必死で会社に向かう姿を映し出している。
下の息子を送り出して、しばらくしたら、世話人さんがピンポーンと来る。世話人さんが子供たちを見送っていった途中、息子の傘が全壊してしまったという。世話人さんが息子に傘をかしてくれたという。見ると無残にこなごなに壊れてしまっている。日本に帰国して、近くのスーパーで買った2つ目の傘だ。1つ目もあっという間に壊れてしまい、最近同じスーパーで買いなおしたばかり。「ああ、あそこのは、ダメですよ、うちも何本かこわれてますよ」と世話人さんが教えてくれた。
しかし、思うに下の息子はアメリカ育ちで、今まで傘というものをさす機会が少なかった。アメリカでは、常に車で移動していたので、傘が必要なかった。よって、息子には強い風に向かって傘をさすという知恵もないのではないか。風向きに逆にさしてしまうとあっという間に傘はおかしな形になるという経験を知らない。「あーあ、傘のさしかたまで、指南せないかんのか!」と知る。ほんとに、小さな頃から備わっていなければならない小さな小さな生活の知恵というものが、帰国子女には欠如しているのだ。いや、これは勝手な私の想像で、もしかすると、体で覚えているのかもしれなくて、単に傘がぶっ壊れただけかもしれない。
車社会でない日本ではレインコートも長靴も必要だ。あわてて、着せた兄のお下がりのレインコートはきつきつで、ズボンは丸出し。でもないよりマシなので、無理矢理着せる。同じくお下がりの長靴は小さくて入らない。つまりこれ以降、アメリカでレインコートや長靴をかっていないということだ。レインコートも長靴は兄が日本で使っていたものだから、小1ぐらいの大きさ。(小1の2月にアメリカにわたったから)両方買っておかなくてはと痛感する。日本に帰ってきて1年弱たったが、いまだに判断に迷うことや買わなくてはいけないことにでくわす。あーあ、アメリカは楽だったなあ。
さて、午後は雨もやんで、子供たちもいつもどおりの時間に家に帰ってきた。下の息子の話では、「学校で、台風のこわさで体が震えていた」と言う。他の友達は、平気だったらしい。日本にいると、みんな天候に対してなぜかとても鈍感になるような気がする。どんな土砂降りでも傘をさしながら、平気で自転車に乗って、ぬれるのを気にしない。車の中から見て、主人がこれだけは信じられないという。中には、子供を2人自転車に乗せて、果敢に雨の中自転車を乗り回している母親もいて、そのたくましさには驚く。車がない人たちは、天候なんて気にしちゃいられないのだろう。
一番びっくりするのは、雷に対してだ。アメリカなら、少しでも光ったら、絶対外に出ない。スポーツをしていたら、コーチたちはすぐにやめさせる。上の息子の野球のリーグで、1人のコーチが車にでた瞬間に雷に打たれて亡くなった。そのときの印象が強く、私は雷と聞くと、子供たちを車の中か室内に入れさせる。いつも天候にはみんな敏感で、逐一テレビのウエザーチャンネルをチェックし続ける。でも、日本では雷の中、みんな悠々と歩いている。これはどうしてなのだろう。雷に打たれたという被害が少ないのだろうか。とにかく、理解に苦しむ。