いつもそうなのだが、私自身全く知らないことを調べつつ書いているので、間違いも満載。
そして、常に意見がコロコロと変わっている。
一番新しい記事が今の頭の状態であって、古い記事もその当時の頭の中の状態なのである。しかも、いつもカオス状態。。。
しかし、留めておかないと誰かにも届かない。
その誰かが「九里氏」を調べてみよう!という気になって、
歴史本における「不詳」の多い九里氏の調査に繋がっていくと、とてもうれしい!!
===*===
いま、気になっているのが「永田氏の中の原殿」
その原氏は、千葉氏の中の原氏なのではないか‥‥と思っていた。
が、良く調べてみると白井原氏も臼井原氏も1250年あたりにはまだ「原氏」を名乗っていなかったかもしれない可能性がある。
とすると、尾張二宮の「原氏」かもしれない。浪合記に出てくる「原高春」の系である。
一見関係なさそうなのであるが、、、
「永田胤信」
それ以前のこととなるが1250年あたりから1300年位(?)、息の長綱が「原殿」と呼ばれている。
「殿」が付くには、敬う気持ちがある人の養子となった…という意味も含まれているのではないだろうか?あるいは、烏帽子親がそうであった等もあるかもしれない。
結論から述べると、【藤原南家の系】の原氏かな?と思っている。
源頼朝の母は藤原南家貞嗣流の藤原季範の娘(由良御前)である。
その【貞嗣流】を見てみると【藤原巨勢麻呂】の十男である。
藻原の開拓者であった「黒麻呂」も貞嗣の兄にあたる。
浪合記の「原氏」と久野氏は繋がっているので、藤原南家とつながる事となる。
藤原南家工藤氏流の久野氏は、遠江国発祥といわれる氏族。とwikipediaにもある。
===*===
掛川市本郷にある【高藤城】
http://ss-yawa.sakura.ne.jp/menew/totoumi/shiseki/chuen/takafuji.j/takafuji.j.html
鎌倉時代、原氏の始祖出羽守師清が原谷(原殿神廟)に足を踏み入れて
…とある。この出羽守師清とは?を調べると、
武家家伝 遠江 原氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/tot_hara.html
「原氏は平安の末頃、出羽前司師清が遠江国原谷庄に来住して以来、土豪として鎌倉初期から地頭・領主の地位を戦国期まで相伝した。原師清は藤原南家藤原木工介為憲の流れで、工藤氏の一族である。為憲六世の孫がすなわち師清である。原師清の後裔は橋爪・原田・久野・孕石・小沢などの諸氏が知られる。」
===*===
実は、工藤氏は佐々木高信の娘二人が「二階堂氏」に嫁いでいることからも、佐々木氏とごく近かったと思われるのである。
佐々木哲学校の「高島高信」の記事より
http://blog.sasakitoru.com/200504/article_11.html
『高信の娘は2人あって、2人とも有力吏僚系御家人の二階堂氏に嫁いでいます。1人は出羽家の二階堂義賢に嫁ぎました。義賢は左衛門尉・民部少丞を経て叙爵され、引付衆に列するとともに、伊賀守に補任されて受領となっています。またもう1人の娘は和泉家の二階堂行員(大宰少弐)に嫁いでいます。行員の祖母(父行章の母)は佐々木信綱娘で、しかも行員の妹は六角頼綱に嫁いで頼明を生んでおり、和泉流二階堂氏は佐々木氏との間に重縁を結んでいたことが分かります。高島佐々木氏は庶流とはいえ、有力御家人との間に閨閥を築きました。』
===*===
以上のことから、永田氏に最も近い「原氏」は藤原南家に存在する「原氏」となるように思えるのである。
という事は、永田氏は、黒麻呂の裔かもしれない「富木氏」と同じ流れをくむことになる。
しかも、富木常忍の母は千葉氏と言われている。
永田胤信の母も千葉氏であったのではないだろうか?
「胤」が通字の氏族。
きっと千葉氏の中に佐々木高信の妻となった女性がいる!
そこを今度は掘ってみたい。
でも本当凄い頭脳をお持ちで私がフラフラとたかが経験上の事を言ってもその都度前向きに考えてくれてありがたいです。今ネットの問題でもそもそも意見言い合う事に慣れてない日本人は、人の言う事に合わせようと努力しちゃうしまた上下関係年齢層等でも言わないでおこうって留める事も多いはず。ただ同じ目的なら主張が違うのも違う視点があるって事で理解していくとアレって思った時に反省し易いですよね。なんせ大昔の事で正解だって思っても答え合わせも出来ないんですよ。
あと情報って逆に変な情報でもないよりはいいと思います。数が増えれば可能性も増えるんで。で私はそこまでですが、プログ主さまはちゃんと文献に沿って判断しているからそこ間違いを外す事は出来てますよね。
プログによっては明らかに機嫌悪いのか?絡みに来ている人も出てくる事ありますけどここはないですね。
私のボケコメント誤字脱字も読者のみなさんも適度にあしらって自分で考えられる読者がいるように思いますよね。でそもそものプログ主さまのスタンスも謙遜してますが、かなり凄いって思って読んでいる人も多いと思います。私もその一人です。かき回してもちゃんと戻れるのが素敵ですよ、地に足がついてますね。
今回出てきた名字で工藤さんは結構お世話になってますのと、故人の供養もされていた方も工藤さんで安心した事あります。二階堂も大抵近い所で出てくるんで福島と奈良とで注目はしています。キスマイの車の運転上手い二階堂くんも。そこから思うのは、配慮があり供養出来る素質がありそうに思うんですよね、逆にいうと供養される方からしたら拒否されない受け入れられる感じがするんですよね。文字からの印象はかなり武力強そうな割にハードだけじゃないソフトもある。強さの中に優しさもある、ただ優しさの中に甘えはないようなだから怖くも思うんですけど今の時代は必要ですよね。
これも私のであった方の印象でしかないですけどね。でその中の原はどういう因子なのか?とても興味ありますね。
何事も最短で狙うよりも手間ひまかけて右往左往の中で手に入れた物の方が逆に変な確信でるもんですよね。スポーツでも優勝狙って準優勝で悔しさのが勝たないでそこまで来た凄さとそこで出来る幸運はテクニックだけじゃなくいろんな運の集まりと偶然のおかげだと思えるようだと負けても自分への自信になりますよね。
優勝メダルを目指して逃したけど優勝メダルに依存しないで優勝目指して頑張った自分に優勝メダルよりも凄いメダル与えられたら実はその方がいいんじゃないかな?って思います。結果よりもその過程の中の右往左往とその軌道修正と自己判断に満足、それこそが一番素敵に思います。
間違って凹まされるのは相手に恵まれなかっただけで、交通事故と一緒。たまたまタイミングが悪かっただけ。結構レベルの高い方って人の意見の中の部分的な小さな物しか見てないので相手を攻撃しようとも思わないしそんな時間無駄で中のいい所をちゃんと摘み出してると思いますよ。
結果の小さな気付きでプログ主さまの行動に感謝している人いっぱいいると思います。
そう今鮑を都に送っていた場所絡みで調べているんですけど膳臣辺りを調べてます。同じようなところにはいるんですけど、役割が違うようにも思うんですよね。時代なのか?ここは男性女性でも役割が違いそうですので南家と並行して縁がある一族はいそうにも思います。
白井氏も調べてみたいですね。黒の逆なので反転しない事もないとも思います。
いつも熱心に読んでくださって、ありがとうございます。コメントもなかなかご返事できずスミマセン。
ひとつに集中している時に途切れるとわからなくなっちゃうので、…(弁明)
真実は一つのはず、たどりつけるのかなぁ~と疑問です。
大きく方向が違っていて、そもそも富木蓮忍・常忍とは全く関係が無かったら、どうしよ~~とか、不安です。
でも、それも勉強と思えば、私自身は納得がいくのですが、読んでくださる方々に間違いを提供してしまっていることになり、心苦しい。そう思って、書きました。
歴史が苦手だったので、どこを読んでも面白く、勉強になっています。神社も、いまや消えかかっている歴史をもつなげていて、すごいなぁ~とか感心しています。
大事にしないと消えます。
九里氏もだんだん人数が減ってきているので、歴史もろとも消えないようにしていきたい!もっと力があったらなぁ===と思う日々です。
「ペンテコステ」で突然外国語をしゃべれるように
なったように、神から何かが降ってきて突然すべてがクリアになって、九里のピースがぱちっとはまらないかなぁ~と、なまくらな私は願っています。
まだ、長くかかりそうでもあり、末永くよろしく!お願いいたします。
応援しています。
例えば最短を良しとすれば直線でそこだけやればいい。ただそれ故に他はノーマーク。
で適度な関連に伴う揺らぎ(ブレと言うよりは前向きな言葉)は、音楽でも美術でも自然の中の木の根っこや幹でも川でも受け容れられますよね。その軌跡自体が。人工的じゃないから自然に自分の中にも入って来るし受け容れらてる、魅力あるんですよね。人からも愛されます。僕はこう思うって人には教えないでしょう。迷って困ってたり背中押してあげた言って思わないと人って行動しないもんですよね。
あともう一つ思うのが、直線だと失敗した時のリスクが高いんで生きていけない可能性あります。と言うも川で考えたらですよ、現代人今ある川を川と呼びます。ただそこに生活していたり畑や田んぼ持っていたらここお水溜まり易いとか水あっという間に引いちゃうとか経験上知れるんですよ。つまり現状の川を研究していたら周りに目が行きにくいしそのまわりの生活にも研究対象として見ない(見えない)可能性ありますよね。それだと一生その川理解出来ないんです、現代だけでもね。実際は過去の歴史も同じように命ある方に聞く方法もないのでそれを知れる可能性は今この時代の方の行動なんですよね。言い伝えとか口伝とか残してくれるか?どうかもこの忙しい時代出来ないですよね、日本人時間がなさすぎる。けど本当は今の行動で何か変わるんですよ、きっと。
直線でない揺らぎの幅を設けて最初から研究対象を広く時間も空間も広範囲で研究出来たらその中に正解がある可能性あります。川なら揺らいで曲がっている幅は逆に最初から川が時代によってはあったと思ったらどういう土地の利用をしようかって事も考えられます。それがないなら大事な物作っちゃいますよね、風も来るでしょうけど川の幅を広く考えていないなら生活の場にしますよね。江戸でも火除け地とか作るとか信玄さんが堤作るとか実は安全にはバッチリだったはず。
もちろん楽に直線だけ最短で研究するのは、早いし凄いのかもしれませんが安全ではないんですよね。歴史もトリックあるんでね。
揺らぎを美しいって思って読者は見てますし、だからこそ応援したいって思っちゃうんですよね。
今本当やっている風にしてやってないとかが結構見えてきちゃうんで実際やっている方にどんどん追い風が来ると嬉しいですよね。やってないで評価されていたら借金になるので後が怖いですよね。直線は怖いですよ、尾根線歩くよりもジグザグよりは少しカーブ描いて探求出来るといいですね。
三歩進んで二歩下がるでも一歩進んでます、時に休みんでも寝ちゃってもいい風待つ時も必要だと思いますよ。意外とその方が進む事あるんじゃないかな?それが先祖のアシストだといいですね。
スポーツでは原さんは野球と駅伝で活躍してますね。あとスキーの原くんは注目しています。今自転車ですよね。そうだ中野さんって自転車でいましたけどあの方って種目替えなかったけ?中と原、こじつけちゃいそう。
スケートと自転車もありますね。
佐々木系はサッカーはありですが、足関係なのかなあ?
手の民族も探ってますが、膳系は手も必要だけど手から足方面特性が移動しているのかなあ?
また変な事書いてますけど、使えない所は捨ててくださいね。
ありがとう===!!
そうですね。川の如く!
あと造出しありの円墳の方でも犬山と奈良への間で繋がりそうなのが古墳があってその近くで神社見つけたのが訓原神社ですがこれがまた栗原天神って呼ばれていたかも?ってそれはこちらで伝えなくちゃと。エリアとしてもどうも縁ありそうに思えますよ、北名古屋市も。高塚古墳って少し北なんですけど地名に鍛治(カジなので梶も絡むかな?)が付きますよ。金属加工は古代からだと面白くなりますね。鉄砲もこちらでも関係してくるだけにヒントになります。
戦国時代も色々と絡みそうですが私は古代の古墳で妄想しておきますね。
そうそう昨日が秋分でしたね、高崎の古墳は春分秋分だったかな?を考えて造られているかも?なんて説のある所あったようなので方向や向きも調べてみます。
青塚よりも古い古墳も調べたいんですけど今日はここまででもかなり広がりましたよ。人のその土地との縁はどうも分かり易いように感じる日でした。
黒い鳥と白い鳥は親子?って発想で動いてますが、双子との妄想もあります。黒探っても白出るし、白探っても黒が出るから面白いですよね。水神さん絡みだとは思います。
尾治佐迷連の子栗原連、とでました。
http://www2.plala.or.jp/cygnus/owarisikeizu.html
一番下です。
http://ek1010.sakura.ne.jp/1234-7-8.html
ここでは、栗原連から熱田神宮家までつながっていました。
訓原(くにはら)神社のことも、良峯姓の方と同じ方が書いたと思われます!
「西春日井郡師勝町井瀬木にあり、西春日井郡誌に「訓原神社は、祭神 少彦名命(すくなひこなのみことと読む。一説には、尾張佐迷連の子 栗原連ともいう。)を祀れる郷社にして、一名 栗原天神ともいう。」と記される。おそらく、古代の尾張氏の一族の栗原連がこの地に住み、氏族の祖神を氏神として祀ったのが、始まりではなかろうかと考えられる。」
何だかドキドキすることが書かれています!!
情報ありがとうございます!!