1257年に83歳であった「片岡太郎経久」つまり1174年生まれとなる。(大和北葛城郡史)
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千葉氏とつながっている、片岡経春と為春。
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この片岡氏は鹿島神宮のそばに住んでおり、鹿島神宮の大宮司でもあったという。
上記の二つの系図に拠ると、千葉氏の一族であり、且つ一族からは鹿島神宮大宮司もでており、さらに一族には親鸞の弟子もいて、その中に太郎経久という名前の人物もいる…という事になる。
千葉氏の中の海上氏の常幹の後から分かれて「片岡氏」になっている。
そして、佐竹氏と婚姻関係があったために頼朝ににらまれることになるのだが、系図にその部分も出ていた。
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鹿島神宮の宮司には大中臣氏が多い。
ここで、中原氏とのつながりもあったのではないだろうか。
また、この「片岡」は賀茂社の片岡とも通じているのだろうか?
鹿島神宮の隣に片岡神社があったそうである。
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戦国時代の浄椿が「片岡桂嫩」と、景徐周麟に一周忌の際に呼びかけられているので、どこかで片岡氏とはつながっていると思う。
さらに多賀氏(江州中原氏)もこの片岡氏とつながっている系図があるのである。
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経春と常春がいて、その常春の四代孫とあるが…??
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別件
加茂重政という人がいる。
鎌倉時代の歌会にも出てくる人物である。
加茂重政と下記の加茂氏とはどうだろうか。
八嶋氏(羽島氏)流美濃山田氏一門の時親が美濃国大野郡岡田郷を拠点としたことから、岡田氏と称した。
加茂氏は同族にあたる。後に尾張国に移住した(尾張源氏)。
この周辺も気になるが、上記の片岡はBIGな情報であったように思う。
あと片岡さんですね、欽ちゃんの野球チームの女性の方しか情報なしです。今後出会ったらマークしておきます。歌舞伎の方もいますね、舞い等は関わる可能性ありますそっちでも注目しておきますね。