九里 【九里】を探して三千里

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突然ですが、比企氏は日置氏⇒小野氏・松田氏なのでは?

2019-03-06 | 雑記

一度はもう考えないようにと思っていたのに、また「比企氏」に舞い戻っている。

しかも、比企氏=日置氏

そのルーツが日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)は島根県出雲市の日御碕に鎮座する神社にいらした「小野日守」から始まる。

日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)は島根県出雲市の日御碕に鎮座する神社。

http://www.asahi-net.or.jp/~SH8A-YMMT/hp/japan/toshu06.htm

島根県の図書館レファレンスに寄せられた【日御碕神社の神職に「日置」姓があるか】の答えが、以下である。

「資料1:p279-280「日置風水(ひおき・ふうすい)」の項目があるが、日御碕上官となっていた。文人として記載が中心で、神官としての記述はなし。

p108「小野有忠」の項に記述あり。小野有忠は日御碕神社検校・小野政通の子で、小野政近家を継ぎ、松田氏と称して松江市大野町の地頭職となる。有忠の子に有基がおり、大野庄の安堵状には「日置有基」の名前が見られ、「松田を称せるに今又日置を称する所以は日置は基本氏なるを以てなり」とされている。よって、日置氏はもともと小野氏から出た家であることがわかった。

資料2:p467に「日置清政」「日置風水」「日置政高」の項目あり。「日置清政」は「御崎社検校」と、「日置政高」は「日御碕神社検校の一族」となっている(2人とも南北朝期の人)。

「日置風水」は江戸時代中期の人で、「日御碕神社・社家の日置氏に養子に入り」と書かれていたので、江戸時代では日置氏は日御碕神社の上官社家と位置づけられていたようである。なお、同じくp150-151「小野尊俊」(江戸時代前期)は「日御碕検校」とされている。

~~~*~~~

これらに続き、
https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/3521

松江と比企、遠すぎる感じはしますが、何等か用事があって武蔵まできたのかもしれない。


http://www.hiki-genkiup.jp/rekishi/index.htm

 比企は埼玉県の中央部に位置し、山地から丘陵、そして沖積地へと変化に富んだ地形が特徴です。平安時代に編纂された『延喜式』には武蔵国の郡名として比企が登場しますが、「ひき」は日置が語源で、日置部(ひおきべ)という太陽祭祀集団と関係するという説が有力です。ちなみに、鹿児島県には薩摩半島西部に日置郡があります。

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5 コメント

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Unknown (りひと)
2020-05-08 15:31:51
ランキングでやってきましたけど洞窟ネタで笑えますね。真珠層は石灰なのかな?その辺りも関係してきそうです。

で今久々目に飛び込んできたのは、小野で検校ってのが笑ってしまいました。不思議な縁なのでしょうね、経験上出会った方が興味持っていましたよ。針や松葉とかも関係ありますもんね。

でいま追っている女系もどうも小野に繋がりそうなんですよね。聖徳太子の気配もあるんですけど昔から妹子の方が気になってます。で昨日は陰陽師系探っていたんですけど、天文ともう一個医学的な特別部門にも関わりそうなんですよね。あと念仏狂言も今気になってますよ。

比企と松江はもっと南の武蔵がワンクッションあって繋がりそうに思います。鎌倉時代ならば義家頼朝北条の気配があり浜松経由で松平にも後には繋がる縁があるでしょうね。比企は奈良京都との接点も調布が白鳳から接点があるならば普通にありそうですよね、多摩川沿いから。高麗福信さんか高倉福信あたりでのネットワークはあるはずでその周り女系が表に出てくると面白いと思うんですよね。キーワードとしては旧石器からヤジリとか黒曜石とかもしかしたら細石刃とかを効率よく作れるような頭と強い肉体を持って日本に定住していたにも関わらずいなかったようにか渡来系として歴史の中に入っている可能性が高いんですよね。一つは名字で授けたけど戻したとか後々変更したとか?本人たちは全く知らないはずなので単純に地元の情報が一番ですよね。文字で印象も変わるんですよね。あと紛らわしいのも怪しいですよね。

小野篁さんは閻魔さまと接点がありますけど目をあげちゃった閻魔さま、そして毘沙門天か多聞天もどうも人間ウォッチでは接点が高いんですよね。十王とか閻魔地蔵の関わりのある痕跡も辿り易い方法になりそうですよ。

私妹子の息子の小野毛人(えみし?)さんが気になってたんだっけなあ?妹子の奥様も気になりますね。東人って人もいてこの人は好きなんですよね。えみしとかあずまびととかちょっと東国寄りだからですかね。東人さんに絡むのが福信さんらしいんですがそれが納得行かないんですよね。田村麻呂みたいに。なので武蔵には小野神社があったらしいんで関東に関わる小野さんも調べると歴史の中の各時代の方程式の共通項も出てくるように思いますよね。

昔、蘇我と物部が逆で聖徳太子と小野妹子も逆で源氏と平氏も逆でって思った事あります。守屋好きだけど物部苦手だったり小野氏苦手だけど妹子は好きとか頼朝嫌いだけど頼信好きとか同じ一族でも相当入り組んでますのでやった事で判断して一族ごとで色染めないように注意しています。近い存在であり女系は共通かもしれませんし、乳母とか文化環境も同じ可能性はありますよね。当時は育つだけでありがたかった時代、十三詣りとか七五三とか一人前になるまでそうとう危機があったんでしょうね。女系はなんだかんだ護られて生き延びているようなイメージですが、男系はどうも妬まれているようなのでそれが祓えないのか?各時代で並行で観察しています。

小野で検校ってびっくりしましたよ。そう社会貢献意識が強いのが逆に目に付く場合もありそうに思いますね。
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洞窟とは関係があると思います! (比企・日置)
2019-03-07 21:17:04
りひと様

日置は、どうもやはり光と関係が深いことと、矛や鏡もつくっていたように思います。
太陽を崇拝していた人々で、となると九里にぴったりカモしれません。

しかも、松田数秀=九里員秀ではないか、と思っていましたので、可能性が…

名栗も、よくぞ見つけた!という感じです。
なんか、埼玉アヤシイデス。
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Unknown (りひと)
2019-03-07 20:13:08
尾須沢鍾乳洞の方の地名は名栗ですよ。

栗の地ですね!

けど日本にあんなところあったとは?
お寺っぽい写真も出てきたんで修行の場ですよ。
完璧です。

土蜘蛛って言われた人たちなのかもしれませんね。
返信する
Unknown (りひと)
2019-03-07 20:05:55
比企から近くもなさそうですが、秩父に鍾乳洞ありそうです。橋立鍾乳洞ともう一個ありそうです。
ダムありますから何か沈んでいそうですよね。
栗山なんて地図上の文字見つけたんで入れておきます。

旧石器くらいの遺跡ないかな?
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Unknown (りひと)
2019-03-07 20:00:16
嬉しいです。日御碕は行きました。
それも夕日の場所ですよね。
あと法螺貝も買ってきましたよ。

そうあそこは小野さんが関わっていると聞いた事ありますが日置さんなんですね。またそれが松田さんですか!
松田さんはどうにか復活して欲しい民族です。ちょっと楽しみです。

小野といえば関東では神社もあるくらい大事ですし、松田さんは大磯方面から関東に入るなら大事な場所にもいそうですよね。

日置さんはナマズ系ですよ。
白い石とかぬるぬるとか。
洞窟の中のケーブパールにハマり出したんですけど鐘乳石あたりも関係するかもしれません。日置で言うと女系かな?とは思うので巫女体質あり。
で小野さん松田さんは巫覡体質もありそうだけどちょい武闘派にもなるのでズレちゃうかな?

大野のが合ってますけどね、イメージでは。
そうそう日岡山って兵庫で調べていたんですけどヒオキなんじゃなかな?でそこに古墳がありましてオウスコウスの母のお墓みたいなんです。

父の関係でも双子はテーマで探しているんですけどここなんでしょうね。

そうすると大野と小野とは双子にも思いますよ。うちの関係とも接点あるんで超面白くなりますよ。
父はどうも大野の方に縁がありそう。私は小野の方でも対応出来ます。どうも印象としては雲泥の差みたいで相性があるようですけどね。同じ姫から生まれて違うなら仕方ないわ。お互い持ち場で相手にストレス与えないように共存のすればいいのであります。

播磨〜姫らしいんですけど針まって文字も見えて奈良や諏訪とも関わってくるのが見えてきましたよ。

白い石の信仰って鐘乳石なのかも?埼玉にもないかな?
日置さんは少なくも鮎とは関係ありますよ。
今後も楽しみにしております。
埼玉で鍾乳洞探してみます。
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