因幡国冨木郷 蓮忍が1250年前後に去った後の1350年には、足利直冬より宇都宮系友枝孫次郎宗高一族12名が地頭職を宛がわれている。
神官重頼が証文紛失と伝えていたらしいが、元は九里の蓮忍入道が息である常忍に相伝したところ、その地にいた者たちが近くの宇倍神社に仕えることとなってしまい、常忍が困って相論を起こしていた。
きっとそのことと思う。
つまり、本来は冨木氏が地頭職であった。それを神官重頼のご先祖が相伝してきたように述べたのでは、と思う。
そして、足利直冬が元々は中原氏系の者が地頭職であったことを鑑みて宇都宮系の友枝一族に地頭職を宛がったのではないだろうか。
つまり、このことは、もしかすると冨木氏が宇都宮氏とつながっている中原氏であることを示唆している、あるいは傍証であるかもしれないと思う。
実は以前も記事にしていたが、今回は何かつながったような気分である。
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/4062555100