日野東洞院被官であった「松波量世」と斎藤道三が繋がるのかどうかを自分なりに考察してみた。(中途半端です。)
斎藤道三 1494-1556
松波量世 1389年 日野資教が松波氏のために正親町万里小路角四半町(方20 丈) 敷地を土御門家より借りうけた(日野東洞院被官人)
その後、横領。
1431年 斉藤囚幡守殿(祐定)に日野資教から預かった土地を安くで売っている文書が残っている。
日野資教 1356-1428
【紹巴富士見道記の世界】内藤佐登子著作に【松波閑宗】なる人物が出てくる。(=閑窓でもあるようだ)
この人が道三とつながる人物のようである。
紹巴とは、里村紹巴のことで、戦国時代の連歌師である。(松井氏という)
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また、web情報の中に
母は禁裏北面松波蔵人藤原教宗女で、ー正藤ー正好と続き、正好が美濃に来たとされています。
某女子は、松波左近将監藤原基宗室で斎藤山城守秀龍入道道三母と書かれています。…というものもあった。
この教宗の「教」は、日野資教の「教」を一字いただいたものなのではないだろうか?
非常に興味深い記述である。