蚕 大和岩雄 『日本にあった朝鮮王国 謎の秦王国と古代信仰』(googlebooks)より
死と再生を三度くりかえす「カイコ」は不老不死の常世の虫だから、蚕に似た虫が常世神として信仰されたのである。まゆみたびと答えており、それを聞いた天皇は、「吾も奇異しと思ふ。故、見に行かむと思ふ」といって、奴理能美の家に行幸している。
「三俯三起、事乃大巳」
秦氏と養蚕、蚕神信仰は密接…と大和氏は他の本でも言及されている。
(この【奴理能美】とは…記事の一番最後のアメーバブログ記事方で明らかになる。)
少し脱線するが、
このようなあたりから、イモムシのような形状の虫が崇められた新興宗教(7世紀の時点での)がおこり、秦河勝は民が惑わされるのを知り、懲らしめたそうだ。
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蚕と神功皇后と、何等か関係がありそうだと思って調べてみると、蚕と息長氏とのつながりを見つけた。
加邇米雷王(カニメイカズチ)の息は、息長宿禰王であり、神功皇后の祖父でもある。
さらに、この「虚空津」という部分が気になっている。虚空津日高(そらつひこ)を想定しているのだろうか?
息長氏と蚕の関係を見てみたい。
↑の記事に重要なことが書かれていた。
山城国綴喜郡筒城郷の普賢寺の裏山は、「息長山」と呼ばれており、朱智神社(天王社) があり、加邇米雷王が祀られている。
この木津川流域筒木の地には、早くから半島の渡来人が住み着き蚕を飼い絹織物を織り、また鋳銅も行っていた。
これを配下にしたの が「和迩氏」である。 この付近もその勢力下。彼も和迩氏の一族であり南山城地方を支配していた王。
「カニ」の由来は、「綺(かにはた)」綺麗のキ。模様を浮かせて織った透けるように薄い美しい絹織物。という意味。
この木津川 筒木にいて養蚕に関わっていたのが前出の【奴理能美】なのだそうだ。時代的にもあっていると思う。
https://ameblo.jp/mofumofu-grace-ful/entry-12568110915.html