調べておりましたら、年齢と思われる記述に出会いました。
下記の「五十六」が年齢とすると、延喜十年に五十六歳
という事は、910年-56歳=854年生まれ
となり、春実の天慶三年(940年)の時には86歳で、とても戦いに出たとは思えぬために、30歳以上は違うのではないでしょうか?
大蔵春実は大蔵良実の息子か孫かもしれませんね。
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坂上氏から原田氏、そうなのですね。
坂上氏から中原氏になった者もいて、明法道を継いでいきます。
優秀な一族であったようですね!