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ふと以前書いた記事を読んで、今調べていることとつながっていくことに気が付いた。
近江国豊浦庄は、波多野経秀の知行地と仮定して考えてみる。
経秀の母が藤原師綱女。
師綱の母は、源師忠女。
師忠正妻は橘俊綱女。むすめは女子:輔仁親王室。
輔仁親王の息が、源有仁。
繋がったのである。
つまり、豊浦庄は初めは源有仁が持っていて、師忠~師綱~波多野経秀に渡って来たのである。
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と昨夜書いたが、そんなに簡単に決めてはいけないと思う。有仁だけではなく、いろいろな可能性があると思う。
師忠の周辺(wikipedia)
父:源師房
母:藤原頼宗の娘
男子:源師親(1083?-1111)[1]
女子:輔仁親王室[2]
妻:源俊長の娘
男子:源師隆(1075-1134)
妻:藤原良綱の娘
男子:源師長
妻:源政長の娘[3]
男子:寛遍(1100-1166)
生母不明
女子:染殿
女子:源師時室
養子女
男子:源師俊(1080-1142) - 実は源俊房の子
蛸薬師をたどっていたらやっぱり妙心寺に出ちゃう。
で退蔵院って行ったような気がしたのでちょい調べてみると波多野氏が関わるようです。
近江豊浦って聞いて近江にあったんだあと。
奈良で探っていた豊浦、なんか関係ありそう。
蛸薬師が眼病とかみたいなので閻魔にも関係しそうだし、地蔵も岸和田にあるって聞いたしで、永平寺のある福井の関係の波多野氏が妙心寺に関わるってのも父の関係とも思えるし。
海関係の方で蛸知っていた民族が豊浦関係?
面白くなりそうです。近江の豊浦と岸和田に洞窟ないかな?懸け造りの舞い出来そうな所探してみますね。