平家物語の周辺に登場する「慈円」(1155年~1225年)
父は関白藤原忠通、母は藤原仲光の女加賀。
二歳で母に、十歳で父に別れ、権中納言藤原経定の未亡人に養われた。
愚管抄の作者でもある。
其の藤原経定とは?どのような人物であったのだろうか?
藤原経実の長男であり懿子の兄であったが、生母の実家の差から昇進が遅く、家は藤原公実の娘である藤原公子を母とする弟・経宗が継いだ。また、保元の乱の直前に薨去したことになる。
では、未亡人とは…ここが非常に重要なのだ!
googlebooksによると【藤原通季の娘】という事になっている。
…と云う事は藤原公通の姉か妹であり、甥に【藤原実明】もいる。
慈円と遊んだこともあるかもしれない。(慈円より二歳年上の実明!)
慈円と後鳥羽上皇、鎌倉幕府との関係、下記のブログが読みやすく、為になったと思う。
愚管抄