ジローラモ・デ・アンジェリスはイタリア・シチリア島出身のイエズス会の宣教師であった。
1602年(慶長七年) 日本に布教をするために入国していた。この時彼は35歳であった。
長崎・京都(伏見)・静岡(駿府)・津軽・蝦夷と各地に足を延ばし布教をし、または逃亡し、という生活をしていた。
ある時、布教を受けに来ていた人物が捕まった。
そこで、アンジェリスはその人を解放してもらい、自分が身代わりになろうと、申し出た。
1623年12月4日(元和 9年10月13日)火刑に処された。
その同じ火刑を受けるであろう50人中に原主水胤信( ヨハネ原主水) もいたのである。
この人物は、何度か記事にしているが【下総国の原氏】である。原胤義の息と言われている。
https://tokyo.catholic.jp/wp-content/themes/catholic-tokyo/doc/diocese/edo_j_guide.pdf
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/7d/f193d66924680dae70a69835d84fed4a.jpg)
そして、円空が生まれたのが 寛永9年(1632年) この哀しい殉教者たちを出した火刑は、彼が生まれる以前のことである。
円空がなぜ蝦夷にまで足を延ばしたのか…この疑問から旅は始まる。
この三人がこれからの主人公と成る予定である。
どのような展開になるかは、私も見当がつかないが、ともかく始めてみよう!
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円空がキリシタンの弾圧と関係があるのではないかと思たきっかけを作って下さった「遅生の故玩館ブログ」様 ありがとうございます。感謝!
https://blog.goo.ne.jp/chisei/e/5096d6b7cb7ea609f866f29eb0fde6c4
「円空」はまだ調べたことがないため調べつつ進みます。円空の像は北海道には51体あるそうです。