『前の記事で(加羅・ 加耶)と景教、または秦氏と関係があるのではないだろうか?』と書いた。が、景教の部分はちょっと疑問が生じてきていて、次の記事にしたいと思っている。
今回は加羅・伽耶と秦氏のことである。
https://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/nagasawa/new-13.html
此処に、嬉しい仮説が載っていた。
『秦氏のルーツには、中国春秋時代に滅んだ呉・越の流浪の民である(越出身の者は銅の生成に優れる)とか、秦始皇帝にさかのぼるなど諸説あるが、新羅あるいは加羅(百済と新羅の間にあった朝鮮半島南部の国、加耶ともいう)だという説が有力といわれている。』
私もまさに呉~加羅と思っていたので、嬉しい。
(呉・加羅どちらも関係するとして…そうは書かれてはいないのだが、、、、)
また、時代は違うと思うが孔子も中国の魯国昌平郷(山東省曲阜)から時代を経て、
孔子の53代孫の孔紹は元の翰林学士だったが、高麗恭愍王に降嫁された魯国大長公主の師父として、高麗に入国・帰化した。
孔紹は門下侍郎平章事となり、昌原を領地として授けられ、曲阜孔氏の中始祖となる。
現在の昌原市を地図で確認してみると、これまた加羅のあたりとなる。1351年
そして前々回の記事で『金官加羅王国』と書いたが、その場所が地図に載っていた。
この松岡氏のまとめもこの先のヒントとなりそうなので、ココにmemoしておこう。
https://1000ya.isis.ne.jp/1491.html