九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

中原氏と浅井氏

2016-08-26 | 中原氏バラバラ情報

今朝の私的発見
藤原公雅というキーワードで調べていて、私的には大きな発見があった。

浅井一族の系譜だが、藤原の閑院流から三条への流れの上にいたのだ。(閑院流三条家)
権大納言藤原公実の息から、一方は浅井氏へ、一方は九里へ…となっているのだ。

詳しく書いていきたい。
浅井氏は、二男三条実行の末裔となり、(母:藤原基貞女)
九里氏は、三男通季の末裔となる。 (母:藤原光子(藤原隆方女) - 堀河、鳥羽天皇の乳母 )

公実の妹に藤原苡子(1076-1103) - 堀河天皇女御、鳥羽天皇の母がいる。
そして、藤原光子という女性がwikipediaからコピーすると以下のようである。


『藤原 光子(ふじわら の みつこ、康平3年(1060年) - 保安2年4月16日(1121年5月4日))は、平安時代後期の女官。但馬守藤原隆方の娘で、藤原為房の姉妹。藤原公実の側妾となり、藤原通季、僧仁実、藤原実能、僧覚源、藤原公子、藤原実子、藤原璋子(待賢門院)をはじめ8人の子女を産んだ。堀河天皇、鳥羽天皇の乳母。

寛治元年(1087年)、堀河天皇の乳母として典侍となり「中納言典侍」と呼ばれる。康和4年(1102年)、従三位に叙せられる。「弁三位」と呼ばれたのは、父隆方が弁官であったためと思われる。翌5年1月、鳥羽天皇の乳母を兼任した。天仁元年(1108年)正三位に叙任。娘の実子が翌年正式に乳母となると、母の光子は大蔵三位と呼ばれた。天永3年(1112年)従二位に昇進した。堀河・鳥羽両天皇の乳母として政界に隠然たる力を持ち、保安2年4月16日、62歳で薨去した。』


公実~三条実行~公教…と続き、その後裔に浅井重政がいるというweb情報である。

私の方は、
公実~西園寺通季~公通~実宗・実明(~蓮乗~九里太郎経久)だが、蓮乗の息か、弟子か、他人かはわからない。が、河守御荘の地頭となっている蓮忍(経久)が蓮乗の再興した室尾谷観音寺に山林を寄進をしているので、関係がある。

そして、近江国御家人井口中原系図『経行』の系の中から(九里と同じ系)、浅井久政の妻であり、長政の母である女性が生まれている。




私が、西園寺と関係があるといっていたことが『荒唐無稽な事』から一歩前進して、現実帯びてきたようにも思える。

そして付け加えるならば、柏原藩に行った九里からも、浅井氏に嫁いでいる女性がいる。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 永久三年 源経方卒ス(徳源... | トップ | 源有仁! »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

中原氏バラバラ情報」カテゴリの最新記事