九里 【九里】を探して三千里

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後鳥羽院の蹴鞠 定家との事件?

2022-07-23 | 雑記

見逃し配信で、前回の「鎌倉殿の13人」冒頭部を見ることができた。

この冒頭部は意味深でこれからの波乱を表現していて、見て良かった!

 

藤原定家との「定家院勘事件」というのがあったらしく以下に詳しく様子がわかる。

https://cuc.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=2426&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1&usg=AOvVaw2jwQgBkfqQUi-AQBX_Rgjv

 

ジャパンナレッジ

https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=1082

 

 


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2 コメント

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Unknown (jikan314)
2022-07-31 15:19:24
kunorikunori様
煙くらべについては、定家の人生に大きな影響を与えただけでなく、古典文学上重要な事件です。
院から謹慎を受けている間、暇なので、古今、伊勢物語、源氏物語などを集め、比較、校正し、書写し、子孫の冷泉家に残りました。いわゆる定家本です。
現在も古典が読めるのも、この事件のお陰です。
禍福は糾える縄の如しです😉
後鳥羽院の承久の変に関わらなかったのは、ラッキーでした。
夕立の向こうの晴間つきあかり
(ツキと月)
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Unknown (kunorikunori)
2022-08-01 07:27:31
@jikan314 その煙の災いが、つきを呼んだのかも知れませんね。
承久の乱の時に後鳥羽院といましたら、定家は殺されていたかも知れませんものね。

人生最悪が転機となり、ツキを拾う!

和歌のみならず、源氏物語定家本など定家人生後半の働きが、Jikan様や古典好きの方々の人生までも潤していると思うと、定家も本望と喜んでいますね!

今回、定家の生き様を垣間見て、自分の信じる道を貫いていて、求道者の様なストイックな人柄が感じられました。

それにしても、後鳥羽院って鋭い方ですね。和歌の言葉で怒り震蕩とは、、、
定家もウッカリだったのか、確信犯だったのか、
明月記に、この騒動に関しての記述があるのか?など、気になりました。

定家も、まさか2022年まで日記が読まれているなんて想像していなかったろうなー。笑
返信する

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