日本のキリシタン一覧に載っていない方なのだが「宇喜多休閑」もまた、三人の息子と共にキリシタンであったそうだ。
フーベル師の挙げる【Lettera di Antonio Sanga al Provincuale S.J.,Nagasachi 1622】にその名がジョバンニ・ウキデ・キューカンとあり、一体どなたのことなのかがわからなかったのだが、下記のアドレスの記事を読んで、これは宇喜多休閑のことであろうと推測した。
Lettera di …の記事によると
「ジローラモアンジェリス師とジョバンニ・マテオ・アダミ師は越後及びその北方に在りほとんど日本の外にある佐渡を二回訪れ、それと地方で福音の大きな扉を開き、旧霊につき偉大な収穫をあげた。アンジェリス師は亦日本の外にある蝦夷国の都市松前を訪れ、多数の者に洗礼を授け、信徒に敬虔を教えた。この旅行で師は信仰のため流された津軽国の信徒を慰問した。ジャコモ・カルヴァリオ師は宣教のために同地方へ赴き、7日間の旅行中にウキデ・オーサなる貴族信者で死の床にあるものの告解を聴いた。この人は基督のために追放され、先年困苦の中に同地で没したウキデ・キュウカンの息である。」
https://www.yamagen-jouzou.com/murocho/aji/christian/christian3.html
?-1620ごろ 織豊-江戸時代前期の武将。
宇喜多家の重臣。宇喜多秀家の一族で,外国の史料では秀家の従兄弟(いとこ)。法華信者からキリシタンとなる。関ケ原の戦いで秀家と西軍に属したため浪人。高山右近の世話で加賀(石川県)前田家につかえる。慶長19年陸奥(むつ)津軽(青森県)に流され,元和(げんな)6年ごろ没した。洗礼名はトマス(一説にジョアン)。
【隠れキリシタン寺、本行寺】で調べるとまだまだ出てくるようだ。
七尾にあるそうで、この七尾もどこか記憶にある。
あの「苦能離」と書いて「くのり」と読ませていた所ではなかっただろうか?
https://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/nazo/nazo01.html