
この系図の「住近江国」の下に「牛飼い」とある。親光は近江国で牛飼いをしていたという処まで続いているようである。
とすれば、その右横の「女御道子 行長」は何を意味しているのだろうか。
女御道子と言えば、白河天皇の女御である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%81%93%E5%AD%90_(%E5%A5%B3%E5%BE%A1)
父は内大臣藤原能長、母は源済政の娘
どのように行長とつながるのであろうか?
女御道子と行長…
親光の父「親宗」の註には「女御基子侍長」とある。
この親光も「女御道子侍長」なのではないだろうか?
とすれば、その職の後に、牛飼いになったのであろうか?
その当時の「牛飼い」には何か隠された意味があるのだろうか?
馬飼いの間違いもあるかもしれない。午年と書くので。