【宇都宮(八田)宗綱】
宇都宮氏一族の群像 川村一彦著
下記に朝綱の母が【八田局】とあるが、彼女は朝綱の娘であったという説もある。
中原大和守忠順の娘か…と思われるのである。
註によると、忠順は初め親盛を名のっていたようである。
久寿二年 1155年 山塊記 中務丞であったのか?
この辺りで、一つ情報が入ってきた。
wikipediaに「中原宗房には坂戸源氏源季範の養子となった源季長、源季範の子である源季国に嫁いだ女子、下野宇都宮氏の宇都宮朝綱とほぼ同世代で宇都宮信房の父である名前不詳の男子といった三人の子がいた。 」このようにあるが、其の「坂戸」は河内国とあるが、
其の「坂戸」が現在の神奈川県の「中原」のすぐ近くに、さらに源季実(坂戸源氏と同じか重なる文徳源氏)の母が下野毛敦俊の娘とある。
つまり季実の父である源季範の妻である。
地図で確認すると面白いことがわかったのである。
上が下野毛(中原区も見える) 下が坂戸 ごく近くなのである。
しかも、鎌倉時代は橘樹郡であった場所である。
この中原と橘樹と文徳源氏が、宇都宮・中原・八田氏のつながりを示唆しているような気がするのである。
さらに、この辺り(橘樹)は稲毛重成がいた場所に近いのではないだろうか?
稲毛重成とは、中原(八田)宗綱の娘が嫁いでいた小山田別当有重の息である!
つまり重成の母は中原宗綱の娘である!
小山田有重の父は秩父重弘であり、有重の兄に畠山重能、姉妹に千葉常胤室がいる。