チケットもらったので観てきました。でも・・・・・・・・・
ある昼下がり、ピアニストのアイ(尾野真千子)は、
青空の彼方から“なにか”が自分の心の中に落ちてくるのを感じる。
同じころ、離れた場所で暮らしている会社員のユウ(郭智博)、高校生のケイ(菊里ひかり)も
同じ感覚に襲われ、3人はその場で気を失ってしまう。
3人はすぐ何事もなかったかのように目覚めるが、その日を境に、奇妙な思いに取りつかれるようになる。それまで気にも留めなかった些細な出来事が、なにかのメッセージを伝えているように感じられ、
“なにかが私を呼んでいる”という奇妙な思いは日に日に強くなる。
アイは家族を避けるような言動を取り始め、父(國村隼)と母(萬田久子)は戸惑いを覚える。
ユウは殻に閉じこもるようになり、ユウの恋人(遠野あすか)は不安を隠せない。
ケイの母(麻生裕未)も、娘の様子がいつもと違うことが気になって仕方がない。
そんなある日、猫を抱く謎の女性(内山理名)が現われる。
それ以来、アイ、ユウ、ケイの思いがシンクロし始め、
3人は同じイメージを見、同じメロディを聞き、同じ言葉を呟くようになる。
(goo映画より)
さっぱり、分かりませんでした
公式サイトの監督ステートメントを読むと、前作『溺れる人』の一尾直樹監督が描く長編第2作。
その『溺れる人』は夫婦というミニマムな関係を描いたのだそうで、
冒頭、妻は浴槽で溺れ死に、翌朝、何事もなかったかのように生き返る。
しかし、それはあくまで夫の目から見た出来事で、
妻の方からすれば、今生きている自分が、過去に死んでいたということなどあるわけがない。
という内容で、妻と夫の絶対的な「ズレ」を描いたのだそうです。
今回の『心中天使』では孤独な個人と個人が「つながる」様を描いていて
私たちは分かり合えないから悩み苦しみ別れるのだが、
しかし、分かり合えないからこそつながり合うのではないか、という考え方で
その“なにか”が私たちを分断するだけでなく、
反作用として、無関係な個人と個人を「つなぐ」でいくのではないかと、
私たちが今住んでいる世界を、私たちとは別の視線で眺めたものなのだそうです。
しかし…
孤独な現代を生きる日常とか、コミュニケーションをとることのない家族とか、
その辺りの描写は分かりましたが、
猫を抱く謎の女性は謎のまま、猫も何のきっかけになってるのか分からない。
ユウの恋人がなぜハングル語になっちゃうのか、
音楽大学教授がなぜ痴呆症のような患者になっちゃうのか、意味不??
アイ、ユウ、ケイの3人が一緒に「それ」に取り付かれたのに、つながったのはアイとユウだけ。
そして肝心のアイとユウがつながるシーンが理解不能。
ケイは自分の居場所を確保できたから現実世界に残ったということ?
監督ステートメントには、彼女は「それ=深淵」の存在を認めた上で、なおかつ他者とつながろうとする。
とあるので、アイとユウは認めなかったということ?
自分の頭ではわからない映画でした
唯一、ケイ役の菊里ひかりの冷めた高校生が、なかなかカワイかったです。