かれこれ6年も前の話になってしまいましたが、今日はエジプト旅行の顛末をお話ししようと思います。
2000年、当時高校2年生だった私はベリーダンスの影響でアラブ・イスラーム文化に興味を持ちまして、授業中もアラビア語の習得に余念がありませんでした。
「って勉強しなさい、勉強!!あんたはただでさえ家でやらないんだから」と常識的な親御さんなら突っ込むべきところですが、うちの親の場合、助長こそすれ反対はしません。
というわけで、本場のベリーダンスに触れたいマミちゃんと思惑が一致し、「エジプト・ナイル河クルーズ」に参加することとなりました。
エジプトとなると10日から2週間くらいは見ないといけませんので、普通の時にそんなに連続して休むわけにもいかず、クリスマスイブに発つコースで行くことに。
旅行会社は「ワールド航空サービス」です。電話や説明会でのスタッフの方々の対応がとてもプロだった上、ナイル河の船上で数泊する魅力的なツアー構成なのでお願いすることにしました。
特に魅力的だったのが、エジプトに行く前に1泊ロンドンに立ち寄り、本番(?)に備えて大英博物館エジプト・セクションに立ち寄るという粋な計らいです。
なぜか昔からロンドンのグレイの空と寒色系の町並みに惹かれるものがある私は、世界で最も尊敬する歴史上の人物・シャンポリオンがヒエログリフを解読したロゼッタストーンに会うことを楽しみに出発を心待ちにしておりました。
はたして、待ちに待ったロンドンに到着。
しかし、な、ななな、なんと大英博物館、クリスマスで休み!!
ついでにハロッズも休み!!!
ロンドン橋にも人気なし!!!!
...........。
.....ヨーロッパのクリスチャンの皆さんはクリスマスをお家の中で過ごすんですよね。ええ、そうでしたね。
そうですけどでも、たった一日しかない私のロンドンを返して。ロゼッタストーンを返して...ッ。
なお、この分は後ほどキッチリ返されることとなりました。
カイロ博物館のミイラ展を見るという形で。
いや確かに無料の大英博物館の代わりに有料の特別展示を見せてもらえたわけだしさあ、ラムセス2世と対面できたのもそれなりに嬉しかったけどさあ、数十体のミイラですぜミイラ。漢字で書くと木乃伊。しばらく夢に出てきそうでしたよ木乃伊。
...き、気を取り直そう、気を。
ナイル河クルーズでは、船内の低い椅子の並んだいかにもアラブなホールで連日ミニパーティーが行われました。
小さな船ですので、この部屋は昼は各ツアーの集合場所になったり、休憩所として使われており、夜だけパーティー会場に変身します。
ある夜のベリーダンスショーの前後にあったフリーダンスタイムで踊っていたら、船のオーナーさんに誘われ、私が翌日のガラベーヤ(民族衣装)パーティーの前座を務めることに。
旅行中のことでろくな衣装も音源もありませんでしたが、エジプト人ドラマーの生演奏に合わせて踊れて楽しかったですね。
そしてラマダーン明け当日のムスリムでごった返すカイロに到着しました。
そしてカイロのホテルが我々のカウントダウンの舞台となったわけです。
カイロのホテルは「メリディアン・ピラミッド」といいまして、そうとうゴージャスな五つ星ホテルです。
ハワイ辺りのこのクラスのホテルじゃあ、わたしら逆立ちしても泊まれません。おおお、ロビーに巨大な吹き抜けとスカーレット・オハラを抱っこしたレット・バトラーがおりてきそうな大階段まであるッ!!
...と、おのぼりさんらしく感動しつつ客室に入り蛇口をひねると、水に大量の砂が混入しておりました。
あまりにも過激な混入っぷりに、顔を洗うのも恐怖との戦いでした。
そんなホテルですが、31日には宿泊客を対象としたカウントダウンパーティーが開催されました。
レットバトラー階段を上った階全体が広大なバイキングと化し、デザート専用の小部屋まであります。
どの料理も傍目には美味しそうなものばかりです。ただナマ物はすべて日本人の繊細なお腹に必殺拳を喰らわしますけどね。
生物といってもお刺身のようなものばかりでなく、水で洗った野菜もダメ、グラスの氷が溶けたドリンクもダメ、カットフルーツもダメという凄まじいダメぶり...って、それじゃほとんど食べられないじゃん!!!
大規模なわりに余り満足できなかったバイキングではありましたが、カウントダウンの時が近付くと、レット階段に集結したお客さんたちが生演奏に合わせて踊って盛り上がって参りました。
ベリーダンスソングをリクエストし、それに合わせて踊り狂っていると、おそろしく恰幅がよいコワモテのおじさん(with舎弟的な黒服数名)に熱い視線を向けられ、たしょうの危険を感じました。
パーティーが最高潮に達したとき、英語でカウントダウン。
我々も同じツアーの皆さんとレット階段の踊り場でカウントダウンに参加しました。
2001年を迎えた瞬間、事前にスタッフの人が一生懸命仕込んでいた白と緑の風船が舞い降りてきました。
なお、2001年の初詣はギザのピラミッドでした。
しかし私ときたらピラミッドの目前で派手にスッ転びました。
よって、私は吉村作治教授の唱える「ピラミッドはお墓じゃない説」に、諸手を挙げて賛同しております。
2000年、当時高校2年生だった私はベリーダンスの影響でアラブ・イスラーム文化に興味を持ちまして、授業中もアラビア語の習得に余念がありませんでした。
「って勉強しなさい、勉強!!あんたはただでさえ家でやらないんだから」と常識的な親御さんなら突っ込むべきところですが、うちの親の場合、助長こそすれ反対はしません。
というわけで、本場のベリーダンスに触れたいマミちゃんと思惑が一致し、「エジプト・ナイル河クルーズ」に参加することとなりました。
エジプトとなると10日から2週間くらいは見ないといけませんので、普通の時にそんなに連続して休むわけにもいかず、クリスマスイブに発つコースで行くことに。
旅行会社は「ワールド航空サービス」です。電話や説明会でのスタッフの方々の対応がとてもプロだった上、ナイル河の船上で数泊する魅力的なツアー構成なのでお願いすることにしました。
特に魅力的だったのが、エジプトに行く前に1泊ロンドンに立ち寄り、本番(?)に備えて大英博物館エジプト・セクションに立ち寄るという粋な計らいです。
なぜか昔からロンドンのグレイの空と寒色系の町並みに惹かれるものがある私は、世界で最も尊敬する歴史上の人物・シャンポリオンがヒエログリフを解読したロゼッタストーンに会うことを楽しみに出発を心待ちにしておりました。
はたして、待ちに待ったロンドンに到着。
しかし、な、ななな、なんと大英博物館、クリスマスで休み!!

ついでにハロッズも休み!!!
ロンドン橋にも人気なし!!!!
...........。
.....ヨーロッパのクリスチャンの皆さんはクリスマスをお家の中で過ごすんですよね。ええ、そうでしたね。
そうですけどでも、たった一日しかない私のロンドンを返して。ロゼッタストーンを返して...ッ。
なお、この分は後ほどキッチリ返されることとなりました。
カイロ博物館のミイラ展を見るという形で。
いや確かに無料の大英博物館の代わりに有料の特別展示を見せてもらえたわけだしさあ、ラムセス2世と対面できたのもそれなりに嬉しかったけどさあ、数十体のミイラですぜミイラ。漢字で書くと木乃伊。しばらく夢に出てきそうでしたよ木乃伊。
...き、気を取り直そう、気を。
ナイル河クルーズでは、船内の低い椅子の並んだいかにもアラブなホールで連日ミニパーティーが行われました。
小さな船ですので、この部屋は昼は各ツアーの集合場所になったり、休憩所として使われており、夜だけパーティー会場に変身します。
ある夜のベリーダンスショーの前後にあったフリーダンスタイムで踊っていたら、船のオーナーさんに誘われ、私が翌日のガラベーヤ(民族衣装)パーティーの前座を務めることに。
旅行中のことでろくな衣装も音源もありませんでしたが、エジプト人ドラマーの生演奏に合わせて踊れて楽しかったですね。
そしてラマダーン明け当日のムスリムでごった返すカイロに到着しました。
そしてカイロのホテルが我々のカウントダウンの舞台となったわけです。
カイロのホテルは「メリディアン・ピラミッド」といいまして、そうとうゴージャスな五つ星ホテルです。
ハワイ辺りのこのクラスのホテルじゃあ、わたしら逆立ちしても泊まれません。おおお、ロビーに巨大な吹き抜けとスカーレット・オハラを抱っこしたレット・バトラーがおりてきそうな大階段まであるッ!!
...と、おのぼりさんらしく感動しつつ客室に入り蛇口をひねると、水に大量の砂が混入しておりました。
あまりにも過激な混入っぷりに、顔を洗うのも恐怖との戦いでした。
そんなホテルですが、31日には宿泊客を対象としたカウントダウンパーティーが開催されました。
レットバトラー階段を上った階全体が広大なバイキングと化し、デザート専用の小部屋まであります。
どの料理も傍目には美味しそうなものばかりです。ただナマ物はすべて日本人の繊細なお腹に必殺拳を喰らわしますけどね。
生物といってもお刺身のようなものばかりでなく、水で洗った野菜もダメ、グラスの氷が溶けたドリンクもダメ、カットフルーツもダメという凄まじいダメぶり...って、それじゃほとんど食べられないじゃん!!!
大規模なわりに余り満足できなかったバイキングではありましたが、カウントダウンの時が近付くと、レット階段に集結したお客さんたちが生演奏に合わせて踊って盛り上がって参りました。
ベリーダンスソングをリクエストし、それに合わせて踊り狂っていると、おそろしく恰幅がよいコワモテのおじさん(with舎弟的な黒服数名)に熱い視線を向けられ、たしょうの危険を感じました。
パーティーが最高潮に達したとき、英語でカウントダウン。
我々も同じツアーの皆さんとレット階段の踊り場でカウントダウンに参加しました。
2001年を迎えた瞬間、事前にスタッフの人が一生懸命仕込んでいた白と緑の風船が舞い降りてきました。
なお、2001年の初詣はギザのピラミッドでした。
しかし私ときたらピラミッドの目前で派手にスッ転びました。
よって、私は吉村作治教授の唱える「ピラミッドはお墓じゃない説」に、諸手を挙げて賛同しております。