今日発売された『フラレア』27号に、マーク・ケアリイ・ホオマル様のインタビューが載ってます。
マーク様はソウルフルなチャントとジェームズ・ディーン的反骨精神をもった異色のクムフラです。
彼のスタイルはエレガントさを重んじるウチのスタイルとはかなり様相が異なりますが、それでも彼の考え方にはいたく共感する部分がありますね。
私がこの耳で聞いた、マーク様の片鱗を感じさせる「マーク語録」を挙げますと、
★「カヒコ」と「アウアナ」の区別など無意味。イプヘケだろうがウクレレだろうが、どんな楽器もハワイの外から持ち込まれたのだから
★島のシンボルカラーも所詮は後から決められたもの。島の色はみんなブラウンだから
など、枚挙にいとまがございません。
そんなマーク様、今回のインタビューでもマーク節全開です。
さっそく「ポリネシアン・ダンスやフラを好きになったのは、女の子のヒップにくらっときたから」とか潔くバラしてます(笑)。
まあそれは冗談としても(私の見た限りではおそらく本音ですが)、彼のプロ意識や既存のフラに対して思うことなどが、短いインタビューの中で忌憚なく語られています。
なかでも目に留ったのは、「教室名の由来」のくだりです。
マーク様が主宰するのは、「アカデミー・オブ・ハワイアン・アーツ」。私をして「ああ、うちの名前がスタジオMダンスアカデミーでよかった」と思わしめた、マーク様らしい個性的な名前です。
そんなおこがましくもアカデミー繋がりの私が、いたく喜んだ記述がこちらです:
「アカデミーという名前をつけたのは、“ハーラウ”なんて言葉を自分自身、きちんと理解したことは一度もない。ダリルだってピイラニだって、昔はそんな言葉、だれも使わなかった。それなのに80年代になって、ハワイではネコも杓子もスタジオからハーラウに名前を変え、ウェスタンスタイルよりハワイ語の方が良しという風潮ができた。だから、自分はあえてアカデミーという言葉を選んだんだ」
私のいいたいことをみんな言ってくださるなんてさすがマーク様ーどうもありがとー(歓喜)
ちなみに「ダリル」も「ピイラニ」も、マーク様の師事したハワイの先生方のお名前です。
ハワイが80年代だったということは、日本にその波が来たのはそれよりさらに十年ほど後ではないかと思われます。
とにかく日本においても、「ハーラウ」はある時期(つまりフラがだいぶブームになってから)以降にできた教室が好んで使う言葉であり、それより前からの歴史を持つ教室はたいてい「ハーラウなんちゃら」とは名乗ってないですね。
例えば、『フラガール』のことを書いた時にもちょっと話題にしましたが、まどか先生のモデルになった早川先生の教室は昔も今も「早川洋舞塾」です。パートナーだった佐竹先生の教室名も、ずっと変わらず「レフアナニ佐竹すくーる」ですし。
長いキャリアのある教室には、昨今の流行に便乗した改名など不要ということなのでしょう。
だからハワイの老舗教室の場合、コンペティションでコールする名前はいちおう「ハラウうんたら」に変えたところでも、通り名(電話で名乗る名前とか)は昔の「誰々フラスタジオ」などのまま通しているようです。
そして、マーク様に強い共感をおぼえたことがもうひとつ。
すなわち、そういう「ぽっと出の流行とか傾向に左右されて右へ倣えするのはヤダ~」と思う一方で、「つねに観客を惹き付けようとする意気込み」も私たちの目指すところであり、マーク様を見習うべきことです。
これを重視する私たちだからこそDJ OZMAが憎めないわけですね(笑)。
ただ、NHKがおカタイ自己防衛大好き組織としてのルールを持ってるのと同じように、メリーモナークなどの大会にもルールがあります。
まあそれは、審査員のそれぞれに好みやしがらみがある中で、なんとか客観的に審査しなければならないという性格上、仕方のないことなのでしょう。
マーク様はそれらのルールに「そんなのおかしい
」とぶつかっていくわけですね。
私あたりだと、そういう納得できないルールや、およそ客観的とはいいがたい審査方法に嫌気が差してコンペに出ること自体を厭うわけですが、マーク様の場合あえて納得できないことに対して闘いを挑んでいくのです。
彼のスタイルがこの先フラを変える一石になるのかどうか、それは私にもわかりません。
ただ、たとえどんなに正統なものであっても、人を楽しませる能力がなければ何の効果ももたらさないのは確か。そして、マーク様のパフォーマンスが会場を揺るがすほどの興奮をもたらしたこともまた事実であります。
だからきっとマーク様の存在は、まだまだフラ黎明期であるメインランドにおいて、フラが発展してゆくためのパワーになるはずです。
そして願わくば、ベリーダンスが遠く中東からアメリカに渡ったのち、一世紀近くの長い時間をかけて発展を遂げて独自の魅力を持つに至ったように、メインランドのフラにもハワイとはひと味違った魅力が具わってゆくことを願ってやみません。
マーク様はソウルフルなチャントとジェームズ・ディーン的反骨精神をもった異色のクムフラです。
彼のスタイルはエレガントさを重んじるウチのスタイルとはかなり様相が異なりますが、それでも彼の考え方にはいたく共感する部分がありますね。
私がこの耳で聞いた、マーク様の片鱗を感じさせる「マーク語録」を挙げますと、
★「カヒコ」と「アウアナ」の区別など無意味。イプヘケだろうがウクレレだろうが、どんな楽器もハワイの外から持ち込まれたのだから
★島のシンボルカラーも所詮は後から決められたもの。島の色はみんなブラウンだから
など、枚挙にいとまがございません。
そんなマーク様、今回のインタビューでもマーク節全開です。
さっそく「ポリネシアン・ダンスやフラを好きになったのは、女の子のヒップにくらっときたから」とか潔くバラしてます(笑)。
まあそれは冗談としても(私の見た限りではおそらく本音ですが)、彼のプロ意識や既存のフラに対して思うことなどが、短いインタビューの中で忌憚なく語られています。
なかでも目に留ったのは、「教室名の由来」のくだりです。
マーク様が主宰するのは、「アカデミー・オブ・ハワイアン・アーツ」。私をして「ああ、うちの名前がスタジオMダンスアカデミーでよかった」と思わしめた、マーク様らしい個性的な名前です。
そんなおこがましくもアカデミー繋がりの私が、いたく喜んだ記述がこちらです:
「アカデミーという名前をつけたのは、“ハーラウ”なんて言葉を自分自身、きちんと理解したことは一度もない。ダリルだってピイラニだって、昔はそんな言葉、だれも使わなかった。それなのに80年代になって、ハワイではネコも杓子もスタジオからハーラウに名前を変え、ウェスタンスタイルよりハワイ語の方が良しという風潮ができた。だから、自分はあえてアカデミーという言葉を選んだんだ」
私のいいたいことをみんな言ってくださるなんてさすがマーク様ーどうもありがとー(歓喜)
ちなみに「ダリル」も「ピイラニ」も、マーク様の師事したハワイの先生方のお名前です。
ハワイが80年代だったということは、日本にその波が来たのはそれよりさらに十年ほど後ではないかと思われます。
とにかく日本においても、「ハーラウ」はある時期(つまりフラがだいぶブームになってから)以降にできた教室が好んで使う言葉であり、それより前からの歴史を持つ教室はたいてい「ハーラウなんちゃら」とは名乗ってないですね。
例えば、『フラガール』のことを書いた時にもちょっと話題にしましたが、まどか先生のモデルになった早川先生の教室は昔も今も「早川洋舞塾」です。パートナーだった佐竹先生の教室名も、ずっと変わらず「レフアナニ佐竹すくーる」ですし。
長いキャリアのある教室には、昨今の流行に便乗した改名など不要ということなのでしょう。
だからハワイの老舗教室の場合、コンペティションでコールする名前はいちおう「ハラウうんたら」に変えたところでも、通り名(電話で名乗る名前とか)は昔の「誰々フラスタジオ」などのまま通しているようです。
そして、マーク様に強い共感をおぼえたことがもうひとつ。
すなわち、そういう「ぽっと出の流行とか傾向に左右されて右へ倣えするのはヤダ~」と思う一方で、「つねに観客を惹き付けようとする意気込み」も私たちの目指すところであり、マーク様を見習うべきことです。
これを重視する私たちだからこそDJ OZMAが憎めないわけですね(笑)。
ただ、NHKがおカタイ自己防衛大好き組織としてのルールを持ってるのと同じように、メリーモナークなどの大会にもルールがあります。
まあそれは、審査員のそれぞれに好みやしがらみがある中で、なんとか客観的に審査しなければならないという性格上、仕方のないことなのでしょう。
マーク様はそれらのルールに「そんなのおかしい
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私あたりだと、そういう納得できないルールや、およそ客観的とはいいがたい審査方法に嫌気が差してコンペに出ること自体を厭うわけですが、マーク様の場合あえて納得できないことに対して闘いを挑んでいくのです。
彼のスタイルがこの先フラを変える一石になるのかどうか、それは私にもわかりません。
ただ、たとえどんなに正統なものであっても、人を楽しませる能力がなければ何の効果ももたらさないのは確か。そして、マーク様のパフォーマンスが会場を揺るがすほどの興奮をもたらしたこともまた事実であります。
だからきっとマーク様の存在は、まだまだフラ黎明期であるメインランドにおいて、フラが発展してゆくためのパワーになるはずです。
そして願わくば、ベリーダンスが遠く中東からアメリカに渡ったのち、一世紀近くの長い時間をかけて発展を遂げて独自の魅力を持つに至ったように、メインランドのフラにもハワイとはひと味違った魅力が具わってゆくことを願ってやみません。