舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

マリー・アントワネット

2007-01-30 23:57:09 | 徒然話
昨日のレッスンの後、『マリー・アントワネット』を観てきました

私は当時のヨーロッパのゴテゴテした建築や、掃除の大変そうな家具や、コルセットで締めに締め上げた肩胸出しドレスが大好きです。
特にこの映画はそのビジュアルセンスがほうぼうで高い評価を受けていたので、ぜひとも見たいと思っておりました。
いやほんと、噂に違わぬ「きゃわいい」映画でしたよ。

映画を彩るのは、愛らしいマカロン・カラーです。
つまり、マリー・アントワネットのドレスなど主だった小道具が、お菓子のマカロンのような(実際にマカロンも山となって出てきます)色彩なのですよ。
いわゆるパステルカラーではなく、それにグレイがかかったような色ですね。いわゆる歴史映画の色彩とはだいぶ違うけれど、華やかなヴェルサイユ宮殿に良く合っていて、どんなときも絵がとにかく綺麗です。
特に画像の賭け事に興じているシーンなど、チップの色までそういう色彩で、ほんと可愛いです。

ただし、映画の内容は可愛いでは済まされません。
そりゃそうです。ヒロインはフランス革命の果てに処刑された、マリー・アントワネットなのですから。
しかし物語はあくまでも彼女の視線で描かれているため、彼女の後の運命については何も暗示されていませんし、ラストもマリーが宮殿を脱出するところまでで終わっています。
私たちは、この脱走が失敗に終わって間もなくマリーは囚われの身になるということを知っていますが、一先ずそのことは忘れましょう。

マリー・アントワネット役の女優さんはマリーの割には高貴な美女ではないと思われますが、だからこそ「マリー・アントワネットの心の内面」を描くにあたって適役といえましょう。
冒頭のマリーはとても可愛らしく人なつっこい女の子です。ちょっとオーストリア皇帝の娘ってイメージじゃないですね(笑)。

でも、そんなマリーだからこそ、フランスでの孤独な生活に苦しみ、やがて浪費にはまっていく過程を、共感を持って見ることができます。
それに、マリーの浪費は確かにいくらフランス王妃とはいえ非常識だったかもしれないけれど、当時のおハイソな人たちの暮らしぶりを考えたら、まったく不思議はないですよ。
あまりにも一般民衆と隔離された世界で生きてるんですもの。

きっとマリーは、自分の行為が民衆を苦しめているという事実になど、いっさい気付く機会を持っていなかったのだと思います。
なにしろ、今ほど一般人とセレブリティの交流がなかった時代のこと。
マリーはマリーでただただ浪費三昧の生活を楽しんでいただけではなく、世継ぎの問題や慣れないフランス上流階級の人間関係とか、彼女なりに自分のことに精いっぱいで、よもや自分がそこまで恨まれていようとは思いもしなかったはずです。
そうなってくると、はたして彼女の行いを責めてしまって良いのかなあ?

マリーが嫁いできた当初、拍手をしてはならないことになっている劇場で、喜んだマリーが手を叩くと、それに倣って客席の全員が手を叩くシーンがあります。
物語が終盤を迎え、再び登場する劇場のシーン。
マリーは前回と同じように拍手をしますが、今度は誰一人マリーに倣う者はおらず、会場中の冷ややかな視線がマリーに注がれるのみ。
マリーはその反応に、驚きと戸惑いの表情を浮かべます。
このときの「驚きと戸惑い」こそ、マリーの心情を端的に表しているのではないでしょうか。

「知らないことを思いやる」というのは案外難しいものです。
私も、自分とまったく環境の違う、ましてや情報をほとんど持ち得ない人たちのことを思いやるのはきわめて難しいと思います。
今私たちは、当時のフランスの状況を鳥瞰して「あんな時代に浪費三昧してたなんて、マリー・アントワネットは酷すぎる」と言うことができますが、故国を遠く離れて一人ヴェルサイユという孤立した空間のただ中にいたマリーに、どうしてそれを想像することができましょう。

そんなことを思いながら観ていると、あの華やかで可愛らしい色彩がかえってマリーの哀しみをいや増しているように見え、よけい美しく感じるのでした。
さすがは『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』を映像化した監督だけありますな。

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