これも「知多半島ふしぎ物語」で取り上げたものです。
私たちの知る淀君は秀頼と共に大阪城落城で自害したと知っている。
ところが実は知多半島先端の師崎に御座船でのがれたとも。
師崎では稲生重政の保護の下にあったが、
隙を見て懐剣で自害してしまう。
淀君の遺体と懐剣は埋葬され、延命寺境内に姫塚が建てられた。
さて?どれが真実?歴史はいつの時代も諸説あるものです。
諸説あるから面白いとも言えます。
次回の大河ドラマ「どうする家康」では岡崎へ帰るルート(伊賀越え)も
諸説あり地元は一歩も譲らない様相です。
三重の白子上陸説もあり、その痕跡もあるとか。
知多半島大野上陸説もまた根拠あるようです。さてさて???
いつもは立ててある物干しですが、台風に備えて倒しました。
私の台風対策はこれだけです
さて、テレビではどういう展開に
なるのか楽しみなところですね。
私は今年の大河は見ませんでしたが
来年は見るつもりです。
面白いと良いのですが..
光秀も生まれ故郷で生涯を閉じたとか。
諸説さまざまで、ドラマや小説が面白くなるの
かもしれませんね。
奇想天外な説も、郷土史なら許されて、おもしろ
おかしく語り継がれるのですね。
14号が接近中ですが、室戸や伊勢湾台風並みと言わ
れて身構えますが、無事に通り過ぎて欲しいです。
昔から欠かさず見ています。
朝ドラはもうずっーと見ていません。
我ながら偏っていると思います。
「どうする家康」は本当に楽しみです。
みな「郷土愛」から、我が地こそと
力が入るのでしょうね。
ありえないようなことも、その痕跡、足跡があると言われるのが
不思議です。
義経成吉思汗説など、あり得ないことも
もしかして?と思うと
楽しいですね。
わからない部分や諸説があったりしますと、
どのような描き方がなされるのかを見る楽しみはありますね。
作家の腕の見せどころ、とか。
今地元紙でも安部龍太郎さんの「家康」が連載中でした。
読んでいなくて、うっかりしていました。
桶狭間の合戦にしましても、その真ん中に実家の菩提寺(長福寺)があり
子供のころからお墓まいりで毎年行っていました。
その合戦跡も地元では争っています。
何百年も昔のこと、今更決定的な事実は出てこないでしょうね。
歴史は本当に書き残されていたのか都合よく書き直されたのか?
また面白く書き足されたのか?
地元の方もそれぞれアアダこうだと話されますから面白いです(#^^#)
「麒麟が来る」ではこの町に麒麟は来なかった( ;∀;)
「どうする家康」はNHK名古屋局含めて
おりあがっています。
松本潤効果かもしれませんね。
私はとて期待しています。
私も淀君は秀頼と共に大阪城落城で自害したと思っていました。
源義経のチンギス・ハン説、上杉謙信の女性説。
歴史は諸説あるから面白いのでしょうね。
大河ドラマの脚本家もいろいろ調べて書くのでしょうが、
その資料を読むだけでも大変そうですね。
ところが師崎にも遺品が残っていたりしますと
どういうこと?と思ったりします。
義経も上杉謙信も後世の人の願いが
込められているのかもしれませんね。