ミツバシモツケ(三つ葉下野)
デジカメもパソコンも正常なのですが、なぜかPCに取り込めません。
ネット上に解決方法が載っていましたが、私の手に負えず、
当分写真なしのブログになりそうです。
今丁度咲いていますが、これは数年前の写真です。
「バタン島漂流記」は記録の残る最古の漂流記のようです。
「尾張者異国漂流物語」として写本が東京海洋大学付属図書館にある。
バタン島に漂着した15名のうち高齢で働けないとみられた船頭と
かじ取りの二名は土民に殺され、残り13名は
各戸に奴隷として使われた。
日本には金銀がいっぱいあると土民を騙し、斧などを借りて船を作った。
うち1人は作業事故で死に、一人はこんな小さな船で
日本へ行けるわけがないと島の女性と結婚、島に残った。
途中中国へ寄港したり苦労を重ね九州五島へ。
鎖国中の日本、不審者として取り調べられた。
或る者は女房が他のものと結婚したり、
またあるものはと気が狂って自殺したりと
苦労して帰国したのに幸せとは言えなかったようです。
このバタン島は第二次大戦で、日本軍が最初にフィリピン侵攻した島。
たまたま何か月か前、冒険家が昔のこの「バタン島漂流」にならって
季節風と海流にまかせ、「漂流」する番組を見ましたが
その時は当時の「バタン島漂流記」のことは知らずに見ていました。
漂流記、意外に多かったのですね。
バタン島という名前で大戦の時かと思いました。
故郷というものは、恋しいものなのですね。
帰国できても、あまり、幸せではなかった、とう結末が哀しく聞こえました。
天候急変で漂流は数限りなくあったこと
でしょう。
運良く漂着しても、さまざまなドラマが
待っていたようですね。
まさに「板子一枚下は地獄」の世界ですね。
故郷に帰りたい気持ち、
並々ならぬ思いだったのでしょうね。
でも苦労して帰っても必ずしも幸せではなかった。
漂流者の末路が幸せのケースは少ないようですね。
知識がないですが、それは凄い
苦労してのことですね。
帰りたい一心だったのですね。
PCに取り込めなくなりましたか?
ミツバシモツケ、綺麗ですね。
数年前の写真だそうですが、初めて拝見したような気がします。
日本は島国なので昔から漂流する人は多いのではと、
思っていましたが、その後の生活がこんなに
悲惨なものとは思いませんでした。
日本人は昔から漂流民に対して親切だったような気がしますが、
時代によっては虐待行為をしたこともあったかもしれませんね。
ここは「バターン死の行進」で忌まわしく、
悲惨な事件の起きたところと同じかも
知れません。
話題は逸れますが
「赤い夕陽の満州」私も惹かれて行きましたが
残念ながら天候悪く、想像した
壮大な大陸の夕陽は見られませんでした。
それに従ったようです。
この場合、すべてが幸運に動いたようです。
いまならSNSで炎上する大事件ですね。
幕府に遠慮して地元の領主も領民を
思うように助けてやれなかったようです。
それでも家族に会えたことは幸せだったでしょうね。
科学的知識もない中、選択しなければならないのですから。
このケースはラッキーだったようです。
長くパソコン弄っていても何もわかっていなくて恥ずかしいです。
ブログ休もうかと思いましたが、
写真なし、ネットから拝借、古い写真の利用で
当分間に合わせようかと思っています。
ミツバシモツケは強い植物のようで
毎年元気です。
そうですよね、四方海の日本ですから
遭難は表に出ない数も多かったことでしょう。
船頭の一瞬の判断が大きく難破か否かを決めることもあったようです。
今回のケースは全員帰国はできませんでしたが
11名が帰れたのですからよかったことにしましょう。