冠雪のシーズンに一度は遥か彼方の御嶽山を見ることにしています。↑
肉眼でもかすかにみえます。名古屋から150キロ以上あります。
おんぼろカメラですが一応望遠で撮ってみました。 ↑
同時刻なのに青空が消えています ↓
子供のころあのお山へ登ったかと思うと感慨を覚えます。
私9歳の夏
父と、日の出滝(4合目)まで除幕式に参加しました。
小原庄助さんは「朝寝朝酒朝湯」で身上つぶしたそうですが、
御嶽教の信者だった祖父(父方)はこれで身上つぶしたとか。
御嶽教に入れあげたのでしょうか?
後に母と妹たちとこの霊神碑までいきました。殆どすぐ近くまで
車で行けました。この碑を知る人が誰もいなくなっても
永久に御嶽山のこの地に立ちつづけることでしょう。
記憶には全然ないのですが、両親から聞かされて
覚えているように錯覚しているようです。
いまでは車で行けるとは言いましても
二度と行くことはないと思います。
この碑を知る人はいなくなって
誰からも忘れ去られて・・・感無量の思いです。
この辺は高層ビルがないので、見ることができますが
いずれはビルに隠れるかと思います。
4合目までで、頂上へは一度も登っていません。
そうです、木曾の御嶽山としておなじみですし、
麓の木曾スキー場やおなし麓の開田高原スキー場は
何度も行った懐かしい木曾です。
新幹線から見えるとは知りませんでした。
遥か先に見える御嶽山、堂々たる姿ですね。
我が家の近くから見える富士山にも似ているような気がします。
おじい様が熱心に信仰された山なので思い入れも一入でしょう。
お写真の霊神碑も立派ですね。
今は当時ほど熱心に山岳信仰をする方は少ないでしょうが、
タイムスリップして歴史の一頁を拝見するような気持ちになりました。
Reiさんもとても可愛らしいです。
雪崩の被害の後を見た気がします。
「木曾のナ~~御嶽山 木曾の御岳山はナンじゃらほい夏でも寒いヨイヨイヨイ、ヨイヨイのヨイヨイヨイ」(^^♪
と歌が出てきます。
もう一か所建物の隙間から御嶽が見えるところを
数年前にみつけました。
TV塔や東山タワーも狙っていましたが
「不要不急」になりそうで、歩道橋で我慢です。
nkoさんも登山の原点が御嶽山だったのですね。
噴火の前年に登られたとは。
なぜか雪山に憧れます。
なので飛騨にお住いのころの雪の写真楽しませていただきました。
麓のシャモニーからケーブルカーで展望台へ上り、
雪山を眺めたのが唯一の冬の山でした。
百名山はじめ山であれば見落とさないようにしています。
山岳信仰は日本の多くの、いやほとんどの山に
あると思います。
この9歳の登山は何も覚えていません、
写真と父の話だけが思い出です。
北山と言えば、周山街道の美しい北山杉が
記憶の底にあります。
今日のお昼に何を食べたか忘れても
昔のことは覚えているなど、脳はどういう
仕組みになっているのでしょう?
どこからでも見れた山が、ビルに阻まれたり、
濁った空気で閉ざされることが多く残念です。
小学生の時登った御嶽剣ヶ峰の感激が忘れられず
登山が生涯の趣味になりました。
噴火の前年に登ったことや、慰霊登山も感慨深い
思い出です。
今年はまだありません。
琵琶湖岸の比良山系の「壁」が美しかったのを遠望しました。
ご自分で登られた経験があれば思いはまた違うでしょうね。
しかも9歳でとは驚きです。登れるものなのですね。
「御岳教」、山でもあり神道なのですね。
思い出があります。
この御嶽は私の家の近くの歩道橋から見える
唯一の高い山です。
デジカメもプリンターも古い骨董的なものです。
動いているうちは買い替えるのももったいないので。
カメラはいいのが欲しいのですが、なかなか買えません。
思い入れがあるのですね。
小さい時のreiさんの写真を見ても
きっと懐かしい山なのだろうなぁと
思われます。
私もたまに昔の写真を取り入れたいの
ですが、プリンターが変わったら
上手にスキャン出来なくなりました。