”悲しすぎる”オリンピックがようやく終わった。
閉会式は台風情報にかき消され、見れなかったが、視聴率を稼げないと判断したTV局の賢い判断だったかもしれない。
五輪に群がる日本政府とIOCの腐敗、それにコロナ感染拡大による医療崩壊という大きな傷跡を除けば、目立ったテロも暴動もデモもなく無事に終わったとも言えなくもない。
数多くの課題と深い致命傷を遺した大会だったが、悲しいままに始まり、それ以上に虚しいままに終わった。まさに、”本質的に失敗”と呼ぶに相応しい大会でもあった。
感動はやがて跡形もなく消え去り、矛盾と混乱だけが残される。あとはコロナ渦による冷え込んだ経済と疲弊し崩壊した医療を、我ら日本島民は延々と再構築する羽目になる。
”五輪による暴力”とは、こういう事を言うのだろうか?
オリンピックを見て大人になったウルトラマン世代の私としては、終わってホッとした気もするが、これからの事を思うと、とてもやりきれなくなる。
再び、バカとは付き合うな
「バカとは付き合うな」の記事は少し言い過ぎたかなとも反省したが、それを地で行く様な事が実際に起きた。
私の田舎の隣組では、年に2回(1月と8月)お寺掃除がある。お寺と言っても殆ど崩れかけオンボロお寺である。
非国民と言われそうだが、壊して焼却すればいいものを、腐りかけたお寺が存在するが為に、真夏と真冬の過酷な時期に掃除をする羽目になる。
1571年、比叡山の延暦寺を焼き討ちした織田信長は、以降”仏敵”と非難されるも、今では日本一の戦国武将との呼び声も高い。
しかし、信長にはお寺や僧侶を焼き討ちにした明確な理由がある。
それは当時のお寺には沢山のお金(お布施)が集まり、巨大な軍事拠点となり、大きな脅威となっていたからだ。
昔も今もお寺というのは、お金と権力に無縁ではないのだろう。そういう意味でもどうもお寺は好きにはなれない。
勿論、延暦寺みたいな立派なお寺なら、掃除のやり甲斐もあるし、年に2回なんて朝飯前だ。
しかし、目の前にあるお寺は少なくとも建物とすら呼べる代物じゃない。織田信長でなくとも、焼き討ちにしたくなる様なボロ寺である。
そんな中、私は信じられない光景を目にするのだ・・・
炎天下の中でのお寺掃除
ここ2回ほど続けて欠席してたから(違約金、2000×2=4000円なり)、たまには”顔見せ”と思って参加した私が大バカだった。
台風9号が九州に上陸前なので、異常なまでに蒸し暑い。立ってるだけで汗がボロボロと噴出する。
朝7時から始まったお寺掃除も普通なら8時には終わるが、世話人がこれまたバカで、8時を過ぎても止めようとしない。
それに誰も何ら不平も言わず、このクソ暑い中、せっせと草をむしり続ける。それも草が殆ど生えてない所を必死に鎌で耕してるのだ。
気温こそ30度前後だったが、殆ど陰すらないド田舎で、それに蒸し暑いが為に体感的には40度近くに感じる。
参加者の半分程は高齢者な筈だが、彼ら彼女らはまるで壊れたゼンマイ仕掛けの玩具の様に、せっせと草むしりに勤しんでる。若いのがウンザリという表情を浮かべ、ボイコットに近い仕草をしてると言うのにだ・・・
そういう私も汗が吹き出し始め、熱中症が怖くなり、作業を休め、お寺の陰に隠れた。
流石に、この炎天下の中で1時間以上も立ってると、ただそれだけで死にそうになる。
しかし、私だけ何もしないというのも失礼に当るから、やってるふりだけはした。
それでも暑すぎるし、汗だけはどんどん吹き出してくる。時計を見ると8時半近くになろうとしていた。
流石の世話人も”もうヤメましょう”と言う。
しかし誰も耳を貸さず、せっせと草をむしってるではないか。
”コイツら生き物じゃない。蛇やワニだってこの暑さなら草むらに隠れるだろう”
私は目を疑った。目の前にいる連中はれっきとした人間で、それも大半が高齢者なのだ。その上、和気あいあいと喋りながら作業を続けてるではないか。
まるで太平洋戦争末期の日本軍と同じで、どれだけ玉砕しても抗戦を止めようとはしない。
世話人は流石に痺れを切らし、もう一度言い放った。
”もうヤメましょうよ”
すると、ある老人がボソッと呟く。
”作業の途中でやめるのか?もう少しキレイに掃除してから・・・”
世話人は呆れた様に、強い口調で言い放つ。
”そのままでいいから、もう帰りましょう”
その老人は、唯一の楽しみを奪われた様におとなしく引き上げた。
このクソ暑い中に・・・
私は思い知らされた。
”ここにいる老人達は、こんなクソ暑い中でのお寺掃除ですら貴重な楽しみの一つなんだ”
今の時代、高齢者でもスマホやパソコンを自在に扱う人は大勢いる。
それにこのクソ暑い中、ド田舎のそれも崩れかけたお寺の掃除をせっせとこなす人種が、世界中にどれだけ存在するだろうか?
私の田舎が変わってるだけかもしれないが、他の地域でもこんな状況なのだろうか?
確かに、日本人は異常なまでに辛抱強い民族だ。クレイジーと思える程に頑張る動物だ。
1998年フランス大会の日本対クロアチア戦を思い出そう。
酷暑の中での一戦は、後半に入ると消耗戦の様相になった。多くの選手がネズミみたいに連動し相手ゴールに迫る日本に対し、クロアチアはエース・シュケル(写真右)を中心に、少ない人数で効率よく日本ゴールに攻め込む。
徐々に個の力の差が浮き彫りとなり、日本は耐える時間が増えていく。77分、日本は一瞬の隙きを鋭いカウンターで返され、エリア内に待っていたシュケルが合わせ、虎の子の1点をもぎ取り、1−0で勝利した。
結局、ワールドカップ初出場の日本は3戦全敗でグループリーグを敗退し、ユーゴとの紛争直後で経済的にも疲弊していたクロアチアは、堂々の3位に輝いた。
そのクロアチアの選手が言い放った言葉が印象的である。
”このクソ暑い中、(ネズミの様に)延々と走り回る生き物は嫌いだ”
私も同感である。
サッカーはスキルと戦略が組み合わさり、初めてチームとして機能する。この2つを無視すれば、選手はピッチを延々と走り回るだけのネズミである。
オリンピックも同様である。
国家と社会がまともに機能して初めて開催されるべきで、政府もIOCも腐敗し、コロナ渦で医療崩壊が叫ばれる中での五輪開催は、国民に対する”暴力”そのものである。
そして、昨日のお寺掃除も全く同じだ。
このクソ暑い中での作業は、単なる暴力であった。1時間半に渡る、いや延々と続くかに思われた過酷という名の暴力であった。
バカには、”過酷=暴力”という危機意識が全くない。逆に、”過酷に耐えてこそ”という美学がある。
こんなバカ共と付き合えば、命はいくらあっても足りない。
彼ら高齢者は1時間以上も酷暑に耐え、それでも笑いながら喋りながら、草むしりを続けていた。
この様を、1998年のクロアチア選手が見たら何と叫ぶだろうか?
私は他の人とは笑いのツボが異なっているかもしれませんね。が、とにかく今日の記事は抱腹絶倒でした。またこんな面白い記事を読ませてください。❤️
豪華絢爛じゃなーいですか
炎天下の元
ショボい閉会式よりもずーっと盛り上がったんじゃないでしょうか^^;
もう死ぬかと思いましたもの。
特に世話人が典型のツルッ禿げ系頑張り爺で、お寺掃除ではいつも先頭に立ってやる人なんですよ。
ビコさんの近くにもいませんかね(笑)・・・
でも何処からあんな体力が湧き出るのか?
これも神様から与えられた何とかですかね。
逆にパリの方がずっと盛り上がってました。でも凱旋門広場にマスク無しで集まったアホな群衆のうちどれ程が感染し苦しむんでしょうか?
2024年のパリ大会も東京と同じく、失敗の本質が見え隠れしますね。
禿げ親父とエロ親父と頑固親父は、これからも不滅ですよね。
田舎の高齢者たちにとっては貴重で大切なお祭りなんでしょうね。
これから日本は極端な高齢化社会に突入します。
そんな中、スーパーな老人も元気すぎる老人も十人十色出てきます。
そういう意味では、笑えそうにもない厄介な問題が出てきましたね。
バカと付き合うとロクな事はないですよね。
スーパー老人というより、知覚神経が全て壊れてんでしょうね。暑いやキツいを全く感じない。
そんな知覚神経が壊れた人種が五輪開催を後押しし、五輪アスリートを排出する。
でも東京都はこれからパラリンというバカ祭りと付き合うんですよね。その後、お盆で東京都の住人が全国に散らばれば、変異株パンデミックは当確でしょうね。
全くバカと付き合うとパンデミックになりますね。
さて、田舎って、やっぱり滅びゆく種なんでしょう。
私は一族の横の世代の末っ子で、40超えてとっくに子どもも生んだというのに、未だに「瓊花ちゃん、あんたは何もできへんのやから、あっち座っておまん(饅頭)食べときなはれ」の扱いです。
主人に向かっては田舎のジジババたち「Yくん、今日は車か? まあ、ちょっとくらいええがな、一杯やっていき」と、飲酒運転を正気で勧めるイカレっぷりです。
私はワガママ末娘の札付きなので、「誰が泊まるか、もう帰るわ、あほくさ」と捨て台詞と共に退散も許されますが、これ、お嫁さんは地獄の辛酸を舐めさせられます。余所者の女は、集落の奴隷なので。何人出て行ったかな、お嫁さんたち。そら田舎は廃れるわ、です。
苦しみはみんなで味わうもの、それが田舎の思想です。
転象さん、お察しいたします。
田舎はですね、全体主義の塊なんですよ。
そういう意味ではリベラル派が多いと思ってた東京都民には期待してたんですが、五輪誘致時点で舞い上がり、これまた全体主義が如く五輪開催に大きな混乱も暴動やデモもなくそのまま突っ込んでしまいました。
とにかく日本という国は何処へ行ってもムラ社会のDNAが残っているんですよね。