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死観 Yoga Sutoras of PatanJali Chapter1-19

2011-04-03 | Yoga
Yoga Sutoras of PatanJali Chapter1-19

bhava pratyayo videh aprakrti layaanaam

【直訳】生じる 想念 肉体のない(死んだ) 物質的(プラクリティ)

【訳】肉体を離れた(死んだ)者、「プラクリティ」(根本原質、物資的)にとどまる者は、(まだ)想念が生じる。

【解説】
震災後、休止していたYogaスートラの訳ですが、再開に際し、1章の19節を選ばせてもらいました。

1-17以降はサマーディー(三昧)に関しての記述が始まり、1-19はその中に挟まれた一節になります。

肉体(物質)と言うのは、いづれは形を変え、消えて無くなるのは避けようがありません。

そんな形あるものに、心をしばりつけ、とらわれることで、想念や苦しみが起こると言うことです。

東日本大震災では多くの方が亡くなってしまいました。まだ、身元も分からず、ご遺体も発見されず、葬儀も行われない御霊がたくさんおられます。

お葬式と言うのは、死者や遺族が『死』を受け入れる時を過ごし、亡くなった方が、この世に想いを残さないように弔う儀式ではないかと思うのですが、被災地ではそれすら叶わない現状があるようです。

先日の山ごもりでは、そんな御霊たちへのご冥福をお祈りしてきました。

形ある肉体、写真、思い出の品々は、いずれは消えて無くなるものです。
しかし、無くなった方の精神、思い出は、残された者が生きる限り、ずっと一緒にいることも出来ます。

以前、解説したように手放す事=『離欲:ヴァイラーギヤ』によって、生死の別を問わず、心は楽になると、ヨーガスートラでは説いているのではないでしょうか。

Shudhananda Yogi@MAYURA