パタンジャリのyogaスートラ。
おのずと知れた、yoga哲学の基礎である。
解説本も、古代の哲学者から現代のyogiまで、沢山出ているが、解釈もさまざま。
4章195節の短いサンスクリッドの文は、動詞がなく、一見、どのようにでも解釈出来る。
しかし、天才パタンジャリは、『音』、『女性名詞男性名詞』の組み合わせ、他の節との比較などにより、一定の解釈しか出来ないように作り上げている。
まるで、スパイの暗号のようである。
『スートラ』=『縦糸』の所以でもある。
さらに、『実践哲学』と言われるだけのことあって、実践と学びの両輪が必要で、ある程度の年齢(人生経験)がないと、理解できないとも言われる。
きちんと理解したいならば、初期の仏教、ウパニシャッド、リグ・ヴェーダまで遡って学ぶ必要がある。
パタンジャリが、どのような思想を持ってスートラをまとめたか理解しやすい。
西暦の紀元前後、インド哲学六学派『ダルシャナ』による、ヴェーダ聖典の解釈をめぐり論争が続いていた。
当時の論争と混乱は、後のyoga sutora'sの解釈にも影響を与え、それは、現代における解釈の混乱になっていると思われる。
その頃、仏教も2つの派閥に分かれ、現在では、小乗仏教と大乗仏教では、教えに大きな差が出てしまったが、『師』を同じくした教えであっても、時とともにいろいろな解釈が出て来てしまう。
それさえも見越したように、パタンジャリは、サンスクリッドの文を変造出来ないように仕組んでいる。
とにもかくにも、あっぱれなお方である。
shudhananda@mayura