閑(ひま)じぃのブログ by 閑斎

趣味の紙紐細工創りとその時々の歌、旅の紹介です。遠方には行かなくなりましたが、近くで楽しい仲間との歌を楽しみます。

「五代目市川團十郎」

2023-10-28 05:30:45 | その他浮世絵

     

今月の浮世絵作品は東洲斎写楽作の「五代目市川團十郎」、「市川鰕蔵」ともなって
いるようです。謎の怪人、写楽。本当は誰か、ドイツ人が一所懸命に探したようです。
製作で一番難しかったのは組んだ両手、本当、苦労でした。 
 
解説は下記からの引用でした。

川鰕蔵の竹村定之進|東洲斎写楽|浮世絵のアダチ版画 (adachi-hanga.com)

わずか10ヶ月の間に140数点もの作品を描き、忽然と消えた謎の絵師・東洲斎写楽。
特に黒い雲母(キラ)を用いた背景に役者の上半身のみを描いた大首絵28点は、写楽を
代表する作品です。本図は、寛政6年(1794年)5月に河原崎座で上演された『恋女房
染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)』の中で竹村定之進を演じる市川鰕蔵を
描いた作品です。
謎多き浮世絵師、東洲斎写楽が描いた中でも最も完成度が高いと言われる有名な役者絵が 
あります。この役者が5代目市川團十郎である事をご存知でしょうか。
海老蔵ではなく蝦蔵
若い時は病気がちで痩せており、芸も未熟だったという5代團十郎。しかし彼は大器
晩成し、年を取ってから日本一の役者と評されるようになります。寛政3年11月、
51歳の時に、江戸市村座で市川蝦蔵を襲名。よく見てください、「海老(えび)」では
なく「蝦(えび)」です。この時の彼の襲名口上いわく「祖父、親は『海老蔵』の字を
付けましたが、私がえびはざこ蝦(雑魚えび)の文字を用いまする」。
また、俳名も白猿(はくえん)に変えますが、それに関しても「祖父は栢筵(はくえん)、
 倅も柏筵(はくえん)、私はしろざると書いて白猿(はくえん)と読みます。その心は、
名人上手に毛が三筋足らぬと申す儀にござります」。「猿は人間に毛が三筋足らぬ」と
いうことわざにかけて笑いを取ったのです。その口上があまりに面白く大評判を呼び、
連日大勢の人が押しかけて芝居小屋が大混乱になったので、わずか4日でこの襲名口上は
中止になったといいます。彼のイヤミのない謙遜とウィットのバランスが、人々から
愛されたのです。
庶民の共感を呼んだ「楽しみ」
そんな白猿は、「花道つらね」という名前で狂歌をたしなんでいました。腕は相当な
もので、大田南畝ら有名狂歌師も彼と交流を持ち、その実力を買っていました。45歳の
時には狂歌集「吾妻曲狂歌文庫」でこんな狂歌を披露しています。
「 楽しみは春の桜に秋の月 夫婦仲良く三度食う飯」
なんとも庶民的で共感を呼ぶ歌です。
彼の幸せは、花道で客の視線を浴びる事でも歌舞伎界の大スターである事でもなく、
すぐそばにあるささやかな日常だったのかもしれません。
 
原画です。
 
きのうの朝は東は明るかったですが、富士山は少し遅れて夜明けになりました。
     
            
 
きのう朝の「名曲アルバム」はバンドネオン五重奏による「ヴェノスアイレスの冬」でした。
アルゼンチンの人達は真夜中でも楽しくタンゴを踊っていました。バンドネオンという楽器は
タンゴによく合います。
Youtube には同じものがありませんでしたが、雰囲気は味わえました。   
三浦一馬キンテート[ピアソラ:ブエノスアイレスの冬]/ Kazuma Miura Quinteto Live [ Piazzolla : Invierno Porteño ] (9 Mar 2019)
 
きのうは少しチャレンジして歩き、なかむら公園手前の「和泉橋」というバス停まで往復
しました。月曜日に予約を入れたマッサージに行くのに便利な場所です。往復、4,595
歩でしたが、片道くらいがちょうどいいですね。
昨夜の「十三夜」、よく見えていましたが、中空の撮影は難しかったです。
      
今朝は13℃、曇っているようで、富士山は見えるでしょうか?
コメント (2)
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