今日は「振袖火事の日」とか、火事と喧嘩は江戸の華と言ったそうですが、どちらも御免
こうむりたいです。当時は幕府の方針で大きな川に橋がなく、逃げ場所がなく被害を大きく
したようです。昔から、地震、雷、火事、親父と言いますが、親父は優しくなりましたね。

きのうの朝もきれいな青空が広がっていました。富士山も一望でした。


私は朝一番のシャトルバスでKI病院へ。内科と皮膚科のダブル検診でした。足の指の
根元の皮膚が分厚く塗り薬の効きが悪いようで、液体窒素をスプレーしてくれました。
強制的に火傷させて捲れるようにするそうで、3週間先が楽しみです。
往復、シャトルバスを利用したので、988歩と千歩にも足りませんでした。今日、
挽回です。
妻は午後にKI病院へ。こちらは前回検査した甲状腺の結果を聞く予定が、1日間違った
ようでバツの悪い顔をして帰って来ました。
夕方、妻から「富士山に飛行機が2機!」と写真を送ってきました。楽しんでいますね。

今朝も2℃と冷えいます。お天気もそんなに悪くないようです。
今日の日の解説です。
1657年(明暦3年)のこの日(旧暦)、「明暦の大火」と呼ばれる江戸時代最大の火事が発生した。
死者は10万人を超え、江戸城天守閣が焼け落ちたほか、多数の大名屋敷、市街地の大半が焼失するなど、江戸中を焼き尽くすほどの大火事であった。明暦の大火(1657年)・明和の大火(1772年)・文化の大火(1806年)は江戸三大大火と呼ばれる。
明暦の大火を描いた田代幸春画『江戸火事図巻』(1814年/文化11年)
言い伝えによると事の起こりは3年前。商家の娘おきくが偶然見初めた若衆に恋いこがれるが、恋は叶わず明暦元年1月16日、16歳で亡くなった。彼女の紫ちりめんの振袖は質屋、古着屋を介して2人の娘に渡るが、いずれも1月16日に亡くなってしまう。
供養を頼まれた本郷丸山の本妙寺ではわざわざ因縁の16日を外して18日に供養すべく振袖に火をつけたが、突然吹いた強風により空に舞い、本堂に飛び込み、火が広がってしまった。それが江戸中を焼き尽くす大火の原因となったという。
大火の火元については、上記のような「振袖火事」とも呼ばれる「本妙寺失火説」、江戸の都市改造を実行するため幕府が放火したとする「幕府放火説」など諸説ある。
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