閑(ひま)じぃのブログ by 閑斎

趣味の紙紐細工創りとその時々の歌、旅の紹介です。遠方には行かなくなり近くで楽しい仲間との歌を楽しんでいます。

赤い靴

2018-05-09 14:35:50 | 今日の歌
今日の歌は、練習で唄った「赤い靴」です。


横浜木曜会が唄っています。
「赤い靴 & 青い目の人形」
https://www.youtube.com/watch?v=FsjGys1lg84

『赤い靴』
野口雨情作詞 本居長世作曲

1. 赤い靴 はいてた 女の子
 異人さんに つれられて 行っちゃった

2. 横浜の 埠頭から 汽船(ふね)に乗って
 異人さんに つれられて 行っちゃった

3. 今では 青い目に なっちゃって
 異人さんの お国に いるんだろう

4. 赤い靴 見るたび 考える
  異人さんに 逢(あ)うたび 考える

4番の詩は原稿段階では「赤い靴 見るたび 思い出す」だったものを「考える」と直した跡がある
そうです。
また、発表はされなかったものの、19788年(昭和53年)に発見された草稿には、以下の5番
もあったそうです。

5. 生まれた 日本が 恋しくば
青い海眺めて ゐるんだらう(いるんだろう)
異人さんに たのんで 帰って来(こ)

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4 コメント

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Unknown (閑斎)
2018-05-09 14:59:55
この歌の歌詞は、実話を題材にしたという話です。

静岡県清水市出身の岩崎かよの娘・佐野きみがその赤い靴を履いていた少女のモデルとされています。
静岡市出身の未婚の母、岩崎かよが娘のきみを連れ北海道に渡り、鈴木志郎と結婚しました。
開拓生活の厳しさもあり、かよは義父の仲介で娘・きみの養育をアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に託しました。
やがてヒュエット夫妻は本国に帰る事になりますが、その時きみは結核に冒されており、アメリカに連れて行く事が出来ず、そのまま東京・麻布の鳥居坂教会の孤児院に預けられてしまい、母親に会うこともできず、9歳で亡くなったとされています。
母親のかよは、きみはヒュエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったものと思いこんでいて、きみが東京の孤児院で結核で亡くなったことは知らされないまま、一生を過ごしました。
野口雨情は、札幌市の新聞社に勤めていたときに、同僚の鈴木志郎やその妻のかよと親交を深め、「かよの娘のきみが宣教師に連れられて渡米した」という話をかよから聞かされた。
その後、この話を題材にして『赤い靴』が野口雨情によって作詞され、本居長世作曲で童謡になりました。
1943年(昭和48年)になって、きみの異父妹・岡その(鈴木志郎とかよの三女)が、新聞に「私の姉は『赤い靴』の女の子」と投書し、この記事に注目した北海道テレビ記者の菊地寛が調査を開始し、菊地は5年にわたる取材ののち、上記の事実を確認し、『ドキュメント・赤い靴はいてた女の子』というドキュメンタリー番組を北海道テレビで制作・放送した。その後、菊地は、ノンフィクション小説『赤い靴はいてた女の子』を発表、この本の記述が「定説」として定着しています。

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Unknown (ゆきママ)
2018-05-09 20:27:08
私は実話の中の実話でないところは知りませんでした。実際この女の子はアメリカには渡らず若くして一生を終えたのですね。その事実を知らないまま亡くなったお母様は、きっとあのこはアメリカで幸せに暮らしていると信じていたのでしょうね。子供の頃、🎵異人さん🎵の意味もわからず歌っていた記憶があります。
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Unknown (閑斎)
2018-05-10 06:59:38
ゆきママさん
きっと、平々凡々の人生を送っているように見える人でも、それぞれに物語があるんでしょうね。
昔から”サイレント・イズ・ゴールド”と言いますが、
関係ない???
昨日のランチでも、新人さんの趣味を無理やり聞き出しましたが、よかったのかしらネ・・・?
嫌がった風ではないので、良かったんでしょう、としておきます。
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赤い靴 (閑斎)
2018-05-18 19:50:14
横浜木曜会が唄っています。
「赤い靴 & 青い目の人形」
https://www.youtube.com/watch?v=FsjGys1lg84
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