今日は「益軒忌」。貝原益軒と言っても「養生訓」を書いた人しか知りません。
ともかく、暴飲暴食と冷たいものの取り過ぎに気をつけろということでしょうか。
暑い日が続きます。残暑お見舞いですね。
きのうは歩きに出た瞬間に妻が「暑い!」と一言。これは短コースになると予感
し、最初からスロージョギングで。予想通り秋葉台公園の外側を周回しました。
ジョグしたおかげで、4,700歩でした。
帰って汗ぐっしょりになったのを着替えて、一息ついてお茶代わりのトマトジュー
スでした。
解説は以下のサイトからの引用です。
江戸時代前期~中期の儒学者・本草学者の貝原益軒(かいばら えきけん、1630~
1714年)の忌日(旧暦)。
貝原益軒について
1630年(寛永7年)11月14日、筑前国(現:福岡県)に五男として生まれる。
名は篤信(あつのぶ)。字は子誠(しせい)。通称は久兵衛。別号に損軒
(そんけん)。祖父の代より黒田氏に仕える。
父や兄に医学・漢学を学ぶ。1648年(慶安元年)18歳で福岡藩に仕えるが、
第2代藩主・武断派の黒田忠之(くろだ ただゆき)の怒りに触れ、7年間の浪人
生活を送る。その間、医学修業に励む。 1656年(明暦2年)26歳の時、第3代
藩主・文治派の黒田光之(くろだ みつゆき)に許され、藩医となる。
藩命により京都に遊学し、医薬に関する本草学(ほんぞうがく)や陽明学、
朱子学などを学ぶ。この頃、儒学者・木下順庵(きのした じゅんあん)、山崎
闇斎(やまざき あんさい)、松永尺五(まつなが しゃくご)らと交友を深める。
1664年(寛文4年)34歳の時、帰藩。1699年(元禄12年)69歳で役を退き、
著述業に専念。教育・医学・本草・歴史などにも功績を残す。1714年(正徳4年)
8月27日、84歳で死去。
著書には、歴史書『黒田家譜(くろだかふ)』(1688年)、本草書『大和本草
(やまとほんぞう)』(1709年)、教育書『和俗童子訓(わぞくどうじくん)』
(1710年)、養生(健康)についての指南書『養生訓(ようじょうくん)』(1713年)、
随筆『慎思録(しんしろく)』(1714年)などがある。
トマト特有の青臭さが好きです。
ところが何といぅ事でしょう・・ミニトマトは大の苦手。
金属的な錆びの様な、舌をつんざくスッパ味😆
お妻は首を傾げて不思議そうな顔。
親子丼の鶏肉もダメです。
お得意先で出前で取ってくれましたが、鶏肉が干からびて冷蔵庫のニオイ。
しかも、連れ合いが鶏肉嫌いなので全部こちらの丼へ。
お得意さんが部屋に戻る迄に食べ終えないと・・そのプレッシャーが脂汗となり流れて行きました。
トマトの話でした。
失礼いたしました♪
トマト、お嫌いなんですね。
この年になりますと、何でも少しは薬と思っていただきます。
どちらかと言うと、逆に牛よりと鶏です。
ですから、親子丼が大好きです。
魚の皮は、私の方に来ますね。最初に皮を剥いで全部いただくことにしております。
特に、シャケです。
気を付けます。。
お大事に!!!