
長い間探していたが、母の蔵書の中に紛れていた。67編のエッセイがある。見出しに丸がつけてあるのは気に入ったものだろう。
ざっと読んでみると、想い出すものとそうでないものがある。ジャンルも古典に限ったものでなく落語まである。さすがお聖さんだ、面白い!
二編ずつ読んで考えよう、「その一」と言うことで今日から始める。
額田女王の恋(万葉集)
奔放な歌と物語を残した万葉の星。少女の頃に中大兄皇子に従ってきた大海人皇子と恋に落ちた、厳しそうなお兄さんより優しい微笑と優雅な弟の方がいいわ。
おおらかな歌で斉明・女帝に愛され、有名な歌を読んだ。
熟田津に船乗りせむと月まてば潮もかないぬ今は漕ぎいでな
彼女は宮廷の華、周りの人々の心を惹きつけていた。
兄の中大兄皇子に求められた。斉明帝が崩御し天智天皇が即位し、その男らしい統率力を見て愛人になった。
ある初夏の一日、蒲生野で狩りがもようされ、大海人皇子をみかけて歌った歌。
あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる
大海人皇子の返歌
紫の匂える妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも
周りは大喝采。
座興とはいえ実におおらかな歌だった。
何十年の前の記憶が浮かび、恋の記憶も、馴れ合いの歌の中にはあったのかもしれない。
その後も天智天皇の愛人であり続けたが没年は定かではない。
君待つとわが恋居ればわがやどのすだれ動かし秋の風吹く
晩年の
いにしえに恋ふらむ鳥は時鳥けだしや鳴きしわが恋ふるごと
どちらの天皇を深く愛したのか、巫女の身分でお后になることはなかったが、聖子さんはどちらも同じウエイトで愛したのではないか、と締めている。
むかしはものを
百人一首の中で人気がある歌。
あひみてののちの心にくらぶればむかしはものを思はざりけり
あなたにあってから物思いが増えました、と私などは読み取ってきた。
だが聖子さんは「あひみての」に複雑で皮肉な響きがあるという。
あい見るとは、ただ出会ったのではなくて、既に一夜をともにした。その後男はひょっとして白けてしまったのかもしれない。
あぁ昔思っているだけの日々の方が良かった。恋は萎んだ。
――作者の藤原敦忠は男女の愛の微妙なながれのゆくすえを早逝者の直感で洞察していたに違いありません。――
こういう読み方は初めて知った。聖子さんの洞察も興味深いものだった。