辻村さんの作品は考えさせられることが多い。本の厚みと内容の重量に耐えて、読みきれば平凡な生活の中で、考えることもなく通過しているあれこれに気が付く。
可愛がっていたウサギが無惨に殺された。
クラスで交代に餌をやり世話をしていたが、僕が風邪を引いて休んだ日、当番を変わってくれたふみちゃんが手足を切られて死んでいるウサギを最初に発見した。
校門で様子を見ていた犯人ともすれ違っていた。罪の意識などなく、うさぎを殺してもただ一時の気晴らしだと言う20歳の引きこもりの男だった。
うさぎは殺しても器物損壊で軽い刑だという。可愛がっていたウサギの姿を見てふみちゃんは心をなくしてしまった。自分の中に閉じこもってしまった。
僕が休んだからだ。自責の気持ちが深く深くなって、僕は憂鬱の中に落ち込もうとしていた。
心配したお母さんは秋先生に相談する。
ぼくは言葉に不思議な力を持っていた。秋先生とは親戚だったが、時々血筋の中にそういう人が生まれてきたのだという。
一人に一声だけ「若し~しなければ~の結果になるぞ」まず原因になる言葉を掛け、次にその結果を知らせる。その力は相手の気持ちとは関係なく効果を発揮する。
ぼくは、ふみちゃんを救いたかった。ぼくも救われたかった。それには、犯人に罪を自覚させて償わせなくてはならない。言葉の力を犯人にぶつけたかった。
しぶる先生方を力を使って動かし7日後に犯人に会うことになる。
それまで、相談相手の秋先生に指導を受けに行く。
先生と力に付いて話し合う。原因と結果、因果関係について秋先生の話を聴く。力を使うことについて、犯人を懲らしめてふみちゃんを治すことについて、僕と先生は考える。
言葉の力は、正しいと信じられるのか、犯人に使って反省させられるのか、気休めではないのか、憎しみをぶつけて復讐しようとしているのか。それは正しい使い方なのか。秋先生も結論を出さない。
僕は考えた。そしていよいよ犯人と対面するに日になった。僕は秋先生とともに部屋に入った。そこには平然と座っている若い男が居た。
僕の出した結論に感動する。可愛がっていたウサギを見たふみちゃんの姿に涙が出る。小学4年生に重たすぎる苦悩の一週間、読む時間を遅らせたいような結論を知りたいようなじりじりした思いが続き、最後で報われた。