~12年総括シリーズ Vol.10~
第十弾にして、やっと自分の畑である「映画」の登場。
そんなわけで本稿のみ、二夜連続で展開。
映画界も、♪ あんなことー、こんなことー、あったでしょう ♪ というあれこれは明日にゆずるとして、きょうは本年の13傑を発表。
10本に絞ることが不可能だったための、中途半端な13本。
この13本のあいだには「差異はほとんどない」が、とりあえずの順位はつけておいた。
『希望の国』に『かぞくのくに』、『夢売るふたり』に(圏外ではあるものの)『最強のふたり』―ひどく大雑把にいえば、本年のキーワードは「国家」と「ふたり」。
そういえば『ヒミズ』も『KOTOKO』も『桃さんのしあわせ』も「ふたり」に焦点を当てている。
国を素材にヒトを、ヒトを素材に国を捉えた、、、ということか。
13本に共通するのは、「映画である」「戦っている」という二点。
前者であって後者でもあるということは、じつは、なかなかに難しいことなのだ。
(1)『ヒミズ』
1月14日公開、初日に観て「今年はこれを超すものは現れない」と確信、わずか2週間で12年度のベストワンが決まってしまった。
原作がどうとかこうとか、ほとんど関係ない。
映画でしかやれないことをきちんとやっていることで、この作品は特別な輝きを放つ。
園子温曰く「絶望に勝ったというよりは、希望に負けた」。
二の句の継げないことばだから、もうこれ以上は論じまい。
ただひとつだけ、二階堂ふみに惚れた。
(2)『桐島、部活やめるってよ』
ハリウッドに、これこそが映画なんだよといいたくなった会心作。
クラスを「階層」で捉えた原作小説は新味があって面白く読めたが、吉田大八監督は映像化にあたり、これを多重構造にして「階層」の「検証」を試みる。
イケてるヤツとイケてないヤツは、確かにこんな風にして「棲み分け」が自然と出来ているもの。本作は桐島の不在からそのバランスが「崩れかかる」さまを描き、古くて新しい青春映画に仕立て上げた。
1位の作品は前年からの期待作だったが、2位にした本作は「嬉しい発見」であり、これだから映画小僧はやめられない。
(3)『かぞくのくに』
在日コリアンや北朝鮮、その帰国事業など、政治性に特化したテーマを「かぞく、の小さな物語」として集約してみせた力作。
出色は、やはり『白いブランコ』のシーンだろう。切なくて、暗い感動に包まれた。
近年目覚しい活躍をみせる安藤サクラや井浦新も好演しているが、ヤン同志を演じたヤン・イクチュン(=『息もできない』)が重要なキャラクターを見事に演じて奥行きを与える。
さてオスカー外国語映画賞の日本代表に選出されたこの映画、どこまでいけるだろうか。
(4)『夢売るふたり』
オリジナルにこだわり続ける西川美和の、現時点における最高傑作。
観客の想像に委ねる余韻が「前作までの作風」に比べて「かなり」強めで、そこらへんが評価の分かれ目だろうが、西川映画のネクストステージとして個人的には大歓迎。
それにしても松たか子は、年を取る毎にいい俳優になっている。
だから「俳優を観る」という点だけで評価すれば、外国映画も含めて本作がベストワンだと思う。
(5)『ル・アーヴルの靴みがき』
酔いどれの、しょーもない、斜に構え過ぎるヘンクツなフィンランドの監督、、、とばかり思っていたアキ・カウリスマキが「こんな世の中だから」と撮った御伽噺。
煙草をスパスパ吸い、愛想もないキャラクターたちが、観客を幸福な映像体験に誘う。
これ観てなにも感じない観客が居たとしたら、それはもう感情純麻ということだから、ビョーキだって自覚したほうがいい。
カウリスマキが、ほんとうの酔いどれ天使に見えてきた。
(6)『おおかみこどもの雨と雪』
監督名だけで観客を動員出来るという点だけを取っても、細田守はポスト宮崎だといえる。
いつも感心するのが実写かと見紛う背景と、キャラクターたちの表情の豊かさ。
リアリズムとアニメーションならではの表現が同居していて、物語も落涙モノだが、まず「その志の高さ」に泣かされてしまうのだ。
(7)『ヒューゴ』
映画の力や可能性を信じるものが映像化「すべき」だった物語を、スコセッシという「理想のひと」が手がけた快作。
難癖をつけようと思えば出来ないこともないが、流麗なカメラワークと「技あり」の3D表現に触れられるだけで入場料の元は取っている。
映画を観て幸福な気持ちに浸れるという経験は、なかなか出来ることではない。
(8)『KOTOKO』
近年「やや」迷走気味だった塚本晋也を蘇らせたのは、Coccoだったという不思議。
塚本は、いつもどおり「監督」「脚本」「撮影」「出演」「製作」「編集」と、何役もこなす。CoccoはCoccoで「主演」と「音楽」を担当、ほぼ「ふたりきり」で撮り上げた神話ともいえる。
これはつまり、現代日本版の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』だったのだ。
(9)『希望の国』
ここ数年で最も輝いている映画作家、園子温が3.11に最も敏感に反応しているという事実が、なんとなくうれしい、、、といったら、誤解を招くか。
なにかしなくちゃいけない―という焦燥感のようなものが感じられ、これが、現時点で提示出来るもののすべてですよ・・・というような物語に、受け手の覚悟を問われているような気がした。
そして園映画のミューズとなった神楽坂恵は、どんどん巧くなっている。
(10)『アルゴ』
政治×映画をこれほど面白く展開出来るところに、ハリウッドの強みがある。
奇をてらわずに見せ/魅せ切った演出を、ベン・アフレックが手がけたという点が、いちばんの驚きではあるのだが。
ともかく来年のオスカーで、「いい線」いくのではないか。
(11)『アウトレイジ ビヨンド』
死んだはずのキャラが登場するっていうのは、つまり亡霊の視点を持ち込むという構図で。
面白いのは、そんな亡霊こそ、我々が映画のなかで親しんできた「仁義を重んじるヤクザ」の姿であり、それを亡霊として描くというのは、つまり、実際にそんなヤクザは存在しないということなのだ。
(12)『桃さんのしあわせ』
こういう「穏やかで静かな」映画にアンディ・ラウが出演したのにも驚きだが、こういう「穏やかで静かな」映画が香港から生まれたことのほうが「もっと」驚き。
主人公の晴れの舞台のために、精一杯のお洒落をする桃さん(=ディニー・イップ)が素敵だった。
(13)『少年は残酷な弓を射る』
米国文学を英国主導で映像化、たぶん、これが吉と出ている。
それにしてもティルダ・スウィントンという女優は、不思議な魅力を放つひとだ。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『ふんばるひと ~12年度、映画を総括する(後)~』
第十弾にして、やっと自分の畑である「映画」の登場。
そんなわけで本稿のみ、二夜連続で展開。
映画界も、♪ あんなことー、こんなことー、あったでしょう ♪ というあれこれは明日にゆずるとして、きょうは本年の13傑を発表。
10本に絞ることが不可能だったための、中途半端な13本。
この13本のあいだには「差異はほとんどない」が、とりあえずの順位はつけておいた。
『希望の国』に『かぞくのくに』、『夢売るふたり』に(圏外ではあるものの)『最強のふたり』―ひどく大雑把にいえば、本年のキーワードは「国家」と「ふたり」。
そういえば『ヒミズ』も『KOTOKO』も『桃さんのしあわせ』も「ふたり」に焦点を当てている。
国を素材にヒトを、ヒトを素材に国を捉えた、、、ということか。
13本に共通するのは、「映画である」「戦っている」という二点。
前者であって後者でもあるということは、じつは、なかなかに難しいことなのだ。
(1)『ヒミズ』
1月14日公開、初日に観て「今年はこれを超すものは現れない」と確信、わずか2週間で12年度のベストワンが決まってしまった。
原作がどうとかこうとか、ほとんど関係ない。
映画でしかやれないことをきちんとやっていることで、この作品は特別な輝きを放つ。
園子温曰く「絶望に勝ったというよりは、希望に負けた」。
二の句の継げないことばだから、もうこれ以上は論じまい。
ただひとつだけ、二階堂ふみに惚れた。
(2)『桐島、部活やめるってよ』
ハリウッドに、これこそが映画なんだよといいたくなった会心作。
クラスを「階層」で捉えた原作小説は新味があって面白く読めたが、吉田大八監督は映像化にあたり、これを多重構造にして「階層」の「検証」を試みる。
イケてるヤツとイケてないヤツは、確かにこんな風にして「棲み分け」が自然と出来ているもの。本作は桐島の不在からそのバランスが「崩れかかる」さまを描き、古くて新しい青春映画に仕立て上げた。
1位の作品は前年からの期待作だったが、2位にした本作は「嬉しい発見」であり、これだから映画小僧はやめられない。
(3)『かぞくのくに』
在日コリアンや北朝鮮、その帰国事業など、政治性に特化したテーマを「かぞく、の小さな物語」として集約してみせた力作。
出色は、やはり『白いブランコ』のシーンだろう。切なくて、暗い感動に包まれた。
近年目覚しい活躍をみせる安藤サクラや井浦新も好演しているが、ヤン同志を演じたヤン・イクチュン(=『息もできない』)が重要なキャラクターを見事に演じて奥行きを与える。
さてオスカー外国語映画賞の日本代表に選出されたこの映画、どこまでいけるだろうか。
(4)『夢売るふたり』
オリジナルにこだわり続ける西川美和の、現時点における最高傑作。
観客の想像に委ねる余韻が「前作までの作風」に比べて「かなり」強めで、そこらへんが評価の分かれ目だろうが、西川映画のネクストステージとして個人的には大歓迎。
それにしても松たか子は、年を取る毎にいい俳優になっている。
だから「俳優を観る」という点だけで評価すれば、外国映画も含めて本作がベストワンだと思う。
(5)『ル・アーヴルの靴みがき』
酔いどれの、しょーもない、斜に構え過ぎるヘンクツなフィンランドの監督、、、とばかり思っていたアキ・カウリスマキが「こんな世の中だから」と撮った御伽噺。
煙草をスパスパ吸い、愛想もないキャラクターたちが、観客を幸福な映像体験に誘う。
これ観てなにも感じない観客が居たとしたら、それはもう感情純麻ということだから、ビョーキだって自覚したほうがいい。
カウリスマキが、ほんとうの酔いどれ天使に見えてきた。
(6)『おおかみこどもの雨と雪』
監督名だけで観客を動員出来るという点だけを取っても、細田守はポスト宮崎だといえる。
いつも感心するのが実写かと見紛う背景と、キャラクターたちの表情の豊かさ。
リアリズムとアニメーションならではの表現が同居していて、物語も落涙モノだが、まず「その志の高さ」に泣かされてしまうのだ。
(7)『ヒューゴ』
映画の力や可能性を信じるものが映像化「すべき」だった物語を、スコセッシという「理想のひと」が手がけた快作。
難癖をつけようと思えば出来ないこともないが、流麗なカメラワークと「技あり」の3D表現に触れられるだけで入場料の元は取っている。
映画を観て幸福な気持ちに浸れるという経験は、なかなか出来ることではない。
(8)『KOTOKO』
近年「やや」迷走気味だった塚本晋也を蘇らせたのは、Coccoだったという不思議。
塚本は、いつもどおり「監督」「脚本」「撮影」「出演」「製作」「編集」と、何役もこなす。CoccoはCoccoで「主演」と「音楽」を担当、ほぼ「ふたりきり」で撮り上げた神話ともいえる。
これはつまり、現代日本版の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』だったのだ。
(9)『希望の国』
ここ数年で最も輝いている映画作家、園子温が3.11に最も敏感に反応しているという事実が、なんとなくうれしい、、、といったら、誤解を招くか。
なにかしなくちゃいけない―という焦燥感のようなものが感じられ、これが、現時点で提示出来るもののすべてですよ・・・というような物語に、受け手の覚悟を問われているような気がした。
そして園映画のミューズとなった神楽坂恵は、どんどん巧くなっている。
(10)『アルゴ』
政治×映画をこれほど面白く展開出来るところに、ハリウッドの強みがある。
奇をてらわずに見せ/魅せ切った演出を、ベン・アフレックが手がけたという点が、いちばんの驚きではあるのだが。
ともかく来年のオスカーで、「いい線」いくのではないか。
(11)『アウトレイジ ビヨンド』
死んだはずのキャラが登場するっていうのは、つまり亡霊の視点を持ち込むという構図で。
面白いのは、そんな亡霊こそ、我々が映画のなかで親しんできた「仁義を重んじるヤクザ」の姿であり、それを亡霊として描くというのは、つまり、実際にそんなヤクザは存在しないということなのだ。
(12)『桃さんのしあわせ』
こういう「穏やかで静かな」映画にアンディ・ラウが出演したのにも驚きだが、こういう「穏やかで静かな」映画が香港から生まれたことのほうが「もっと」驚き。
主人公の晴れの舞台のために、精一杯のお洒落をする桃さん(=ディニー・イップ)が素敵だった。
(13)『少年は残酷な弓を射る』
米国文学を英国主導で映像化、たぶん、これが吉と出ている。
それにしてもティルダ・スウィントンという女優は、不思議な魅力を放つひとだ。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『ふんばるひと ~12年度、映画を総括する(後)~』