「そんな風に思うもんじゃない」とか、
「あいつらのために自分が罪を犯すなんて、愚か過ぎる」とか。
「あいつらは死にさえ値しない」なんていうのもある。
ある者を殺そうとする人物に、それをやめさせようとする人物がいう、映画などでよく耳にする台詞。
んなこといっても、殺意を抱いたのだからしょうがない。
全人類にアンケートを取ってみたい。
どのくらいのひとが、殺意を抱いたことがあるのだろうか、、、と。
自分?
ありますがな、そりゃ。
ふたりね、ふたり。
そのふたりは、これを読んでいたら「自分のことだね」と気づくであろう。
自分の過去を振り返ってみると、たぶん、殺意を抱かれたこともあると思う。
とくに女子に対しては、けっこうひどいことをしてきたから。
いや叩いたり、殴ったりはしたことないけれども。
しかし、やっぱり殺意は抱くだけで実行に起こしたことはないし、こうやって生きているのだから、起こされたこともない。
「向こう側」に行くのには、勇気? といっていいのかどうか、やっぱり境界線というものがあって、ふつうのひとは「こっち側」に踏みとどまる。
賢明だと思う。
けれども新聞の三面記事では、ほとんど毎日といっていいくらい殺人事件が報じられている。
世界は殺意でいっぱいで、その何%かは、ほんとうに実行されているという現実。
そんな殺意を「殺す」効果が映画というものにあるのかどうか―以下の10作品は、ひとによっては、場合によっては、「こっち側」に踏みとどまらせる力を持っている、、、のではないか。
そのほとんどが、「殺人の代替」としての効果だけれど。
代わりにひとごろしをしてくれよ―という思いを託すわけだ。
(1)『キャリー』(76)
大量殺戮映画の、最高峰。
しかもキャリーは、銃器を一切使用しない。
超能力を「感情」として描いたところが新しかった。
自分はこれを観て、いじめを乗り切った。
(2)『わらの犬』(71)
窮鼠、猫を噛む。
妻が輪姦されてもやり返せなかった主人公の、大反撃。
最後に主人公はいう、「帰り道が分からない」と。
つまり、元の自分には戻れないということだ。
(3)『ワイルドバンチ』(69)
サム・ペキンパー、連続ランクイン。
もはや誰が誰を殺しているのか分からない「死のダンス」だが、誤解を恐れずにいえば、かなり気持ちがいい。
(4)『コマンドー』(85)
このランキングのなかで、最もスカッとする映画。
けっしてA級ではないB級のつくりだが、死者数に関してはビッグバジェットに引けを取らない。
(5)『ブレインデッド』(92)
芝刈り機を駆使した残酷ショウ。
ピーター「ロード・オブ・ザ・リング」ジャクソンは既に巨匠だが、呆れるほどの悪趣味性を展開していた「このころ」を愛する映画小僧も多いのではないか。
(6)『悪の教典』(2012)
それを日本でやったらどうなるのか―という映画。
毒気に満ち満ちていて楽しめたが、やっぱり、お客さんの何割かは引いていた。
(7)『男たちの挽歌』(86)…トップ画像
殺戮よりも、銃撃の快楽という点にこだわった逸品。
米国で銃規制の問題が再びクローズアップされているときに大きな声ではいえないが、快楽に直結するという感覚は、なんとなく分かる。
(8)『クイック&デッド』(95)
その快楽性を西部劇に取り入れてみたら、こんな作品が出来上がりました―という映画。
漫画な描写に、ひたすら笑った。
(9)『オリエント急行殺人事件』(74)
ここで変化球を。
ポアロのシリーズで、最もオチに驚かされた作品。
こういうこともあるのか―と感心? し、いつの間にか自分の殺意が消えていた。
(10)『ガンジー』(82)
これは、ベタな逆説という意味で。
※なんか、これだけでワクワクしてくる
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『性欲が止まらない日に観たい映画』
「あいつらのために自分が罪を犯すなんて、愚か過ぎる」とか。
「あいつらは死にさえ値しない」なんていうのもある。
ある者を殺そうとする人物に、それをやめさせようとする人物がいう、映画などでよく耳にする台詞。
んなこといっても、殺意を抱いたのだからしょうがない。
全人類にアンケートを取ってみたい。
どのくらいのひとが、殺意を抱いたことがあるのだろうか、、、と。
自分?
ありますがな、そりゃ。
ふたりね、ふたり。
そのふたりは、これを読んでいたら「自分のことだね」と気づくであろう。
自分の過去を振り返ってみると、たぶん、殺意を抱かれたこともあると思う。
とくに女子に対しては、けっこうひどいことをしてきたから。
いや叩いたり、殴ったりはしたことないけれども。
しかし、やっぱり殺意は抱くだけで実行に起こしたことはないし、こうやって生きているのだから、起こされたこともない。
「向こう側」に行くのには、勇気? といっていいのかどうか、やっぱり境界線というものがあって、ふつうのひとは「こっち側」に踏みとどまる。
賢明だと思う。
けれども新聞の三面記事では、ほとんど毎日といっていいくらい殺人事件が報じられている。
世界は殺意でいっぱいで、その何%かは、ほんとうに実行されているという現実。
そんな殺意を「殺す」効果が映画というものにあるのかどうか―以下の10作品は、ひとによっては、場合によっては、「こっち側」に踏みとどまらせる力を持っている、、、のではないか。
そのほとんどが、「殺人の代替」としての効果だけれど。
代わりにひとごろしをしてくれよ―という思いを託すわけだ。
(1)『キャリー』(76)
大量殺戮映画の、最高峰。
しかもキャリーは、銃器を一切使用しない。
超能力を「感情」として描いたところが新しかった。
自分はこれを観て、いじめを乗り切った。
(2)『わらの犬』(71)
窮鼠、猫を噛む。
妻が輪姦されてもやり返せなかった主人公の、大反撃。
最後に主人公はいう、「帰り道が分からない」と。
つまり、元の自分には戻れないということだ。
(3)『ワイルドバンチ』(69)
サム・ペキンパー、連続ランクイン。
もはや誰が誰を殺しているのか分からない「死のダンス」だが、誤解を恐れずにいえば、かなり気持ちがいい。
(4)『コマンドー』(85)
このランキングのなかで、最もスカッとする映画。
けっしてA級ではないB級のつくりだが、死者数に関してはビッグバジェットに引けを取らない。
(5)『ブレインデッド』(92)
芝刈り機を駆使した残酷ショウ。
ピーター「ロード・オブ・ザ・リング」ジャクソンは既に巨匠だが、呆れるほどの悪趣味性を展開していた「このころ」を愛する映画小僧も多いのではないか。
(6)『悪の教典』(2012)
それを日本でやったらどうなるのか―という映画。
毒気に満ち満ちていて楽しめたが、やっぱり、お客さんの何割かは引いていた。
(7)『男たちの挽歌』(86)…トップ画像
殺戮よりも、銃撃の快楽という点にこだわった逸品。
米国で銃規制の問題が再びクローズアップされているときに大きな声ではいえないが、快楽に直結するという感覚は、なんとなく分かる。
(8)『クイック&デッド』(95)
その快楽性を西部劇に取り入れてみたら、こんな作品が出来上がりました―という映画。
漫画な描写に、ひたすら笑った。
(9)『オリエント急行殺人事件』(74)
ここで変化球を。
ポアロのシリーズで、最もオチに驚かされた作品。
こういうこともあるのか―と感心? し、いつの間にか自分の殺意が消えていた。
(10)『ガンジー』(82)
これは、ベタな逆説という意味で。
※なんか、これだけでワクワクしてくる
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