「Hurt、Agony、Pain…Love、It.」
つまり痛み、苦悩、苦痛…それらを愛せよ、、、と。
これは名作『羊たちの沈黙』(91)の冒頭、主人公クラリスが森のなか(訓練コース)をジョギングするシーンで、木に「それとなく」掲げられたことばである。
FBI捜査官になるためには、それが必要なのだ―というような意味だろう。
忘年会の出し物で「ソフトなSМプレイ」を上演し蝋燭を垂らされて以来、「自分は基本がМなんだ」と自覚してはいたのだが、今年の「ある出来事」により、
「あぁ自分は苦痛を愛すことは出来ない。こりゃ、FBIに入るのは無理だな」と。
まぁ愛せたとしても、FBI捜査官の絶対条件「米国市民権を取る」さえクリアしていないのだから、なにをいっちゃっているんだという話なのだけれど。
ある出来事とは、今夏やっちまった腰痛である。
骨や靭帯の損傷・断裂を繰り返しているが、そっちのほうがマシだと思えるほどの痛み。
靴下を履けない。
排便がきつい。
移動がしんどい。
寝ていても痛い。
コルセットをした。
仕事を休んだ。
なのに、自慰は続けた、、、みたいな。
回復しても「またやってしまったら・・・」という恐怖心が芽生え、なかなかリズミカルな動きが出来ない。
ビミョーな体格の割に「速く動ける」というのが持ち味? だったのに。
膝をやったときもサポーターをなかなか外せなかったが・・・
とりあえず治ったという自覚はあっても、コルセットを外す勇気がなかった。
なんだ自分、そーとーなビビリじゃん!!
数ヶ月前が嘘であったかのように現在ではビンビン、、、じゃなくてピンピン。
強がりいってても、ひとは弱いものだね。どこかひとつ悪くするだけで、不安でいっぱいになるのだから。
おかしいな、あれだけジョギングとかしているのに―とか関係ない、
精神年齢は自慰覚えたての中学生だが、身体は確実にチューネン化している、、、ということなのだろう。
ところで。
原稿料だけで喰える月もあるにはあるが、それだけだとギリギリなのでアルバイトなんぞを。
腰の痛みで集中力を失い、いいものを書けないと判断した自分は原稿の依頼を断ったものの、アルバイトまで休んだら収入源を完全に失ってしまう。
だからコルセット巻いてハァハァいいながら職場まで行くと、身体動かすことをしない事務員が「なにもそこまでして・・・」などという。
うっせーな。
喰えないんだから、しゃーないだろ。
半人前に給料出すのがもったいないってか?
こころに余裕がないので、こういうヒトコトにいちいち腹を立ててしまうのだった。
だがこういう経験をする度に、ひとにやさしくなっていくことも事実。
♪ やさしくなりたい ♪
と願っても、なかなかどうして・・・だが、「ある苦痛」を味わった場合、「その苦痛」に関しては理解を示すようになる。
今回だってそう、腰をやったことのないひとは「どんな痛み?」と興味津々で聞いてくるだけだったのに対し、
やったことあるひとは、とても親切で「腰バンド」「コルセット」を貸してくれたり、「ああしたら、いい」「こうしたら、いい」「あそこの接骨院がいい」「いや、●●町の整体師がいい」だの、いろんなアドバイスをくれたもの。
苦痛の数だけ、ひとは大きくなるってことか。
冒頭のことばも、そういう意味なのかもしれない。
苦痛に耐えることではなく、苦痛を知って他者を理解することを目標にしているんじゃないか。
ねぇジョディ、そういうことなんでしょ?
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『ツインテールは振り向かない』
つまり痛み、苦悩、苦痛…それらを愛せよ、、、と。
これは名作『羊たちの沈黙』(91)の冒頭、主人公クラリスが森のなか(訓練コース)をジョギングするシーンで、木に「それとなく」掲げられたことばである。
FBI捜査官になるためには、それが必要なのだ―というような意味だろう。
忘年会の出し物で「ソフトなSМプレイ」を上演し蝋燭を垂らされて以来、「自分は基本がМなんだ」と自覚してはいたのだが、今年の「ある出来事」により、
「あぁ自分は苦痛を愛すことは出来ない。こりゃ、FBIに入るのは無理だな」と。
まぁ愛せたとしても、FBI捜査官の絶対条件「米国市民権を取る」さえクリアしていないのだから、なにをいっちゃっているんだという話なのだけれど。
ある出来事とは、今夏やっちまった腰痛である。
骨や靭帯の損傷・断裂を繰り返しているが、そっちのほうがマシだと思えるほどの痛み。
靴下を履けない。
排便がきつい。
移動がしんどい。
寝ていても痛い。
コルセットをした。
仕事を休んだ。
なのに、自慰は続けた、、、みたいな。
回復しても「またやってしまったら・・・」という恐怖心が芽生え、なかなかリズミカルな動きが出来ない。
ビミョーな体格の割に「速く動ける」というのが持ち味? だったのに。
膝をやったときもサポーターをなかなか外せなかったが・・・
とりあえず治ったという自覚はあっても、コルセットを外す勇気がなかった。
なんだ自分、そーとーなビビリじゃん!!
数ヶ月前が嘘であったかのように現在ではビンビン、、、じゃなくてピンピン。
強がりいってても、ひとは弱いものだね。どこかひとつ悪くするだけで、不安でいっぱいになるのだから。
おかしいな、あれだけジョギングとかしているのに―とか関係ない、
精神年齢は自慰覚えたての中学生だが、身体は確実にチューネン化している、、、ということなのだろう。
ところで。
原稿料だけで喰える月もあるにはあるが、それだけだとギリギリなのでアルバイトなんぞを。
腰の痛みで集中力を失い、いいものを書けないと判断した自分は原稿の依頼を断ったものの、アルバイトまで休んだら収入源を完全に失ってしまう。
だからコルセット巻いてハァハァいいながら職場まで行くと、身体動かすことをしない事務員が「なにもそこまでして・・・」などという。
うっせーな。
喰えないんだから、しゃーないだろ。
半人前に給料出すのがもったいないってか?
こころに余裕がないので、こういうヒトコトにいちいち腹を立ててしまうのだった。
だがこういう経験をする度に、ひとにやさしくなっていくことも事実。
♪ やさしくなりたい ♪
と願っても、なかなかどうして・・・だが、「ある苦痛」を味わった場合、「その苦痛」に関しては理解を示すようになる。
今回だってそう、腰をやったことのないひとは「どんな痛み?」と興味津々で聞いてくるだけだったのに対し、
やったことあるひとは、とても親切で「腰バンド」「コルセット」を貸してくれたり、「ああしたら、いい」「こうしたら、いい」「あそこの接骨院がいい」「いや、●●町の整体師がいい」だの、いろんなアドバイスをくれたもの。
苦痛の数だけ、ひとは大きくなるってことか。
冒頭のことばも、そういう意味なのかもしれない。
苦痛に耐えることではなく、苦痛を知って他者を理解することを目標にしているんじゃないか。
ねぇジョディ、そういうことなんでしょ?
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明日のコラムは・・・
『ツインテールは振り向かない』