今年もわずかだというのに、というか、わずかだからこそ、というか。
ここへきて、自分全開なランキングを。
このテーマで引くひとが居るなら、どうぞ引いてください、、、ってなもんである。
38歳にもなって、高校生みたいなことをいうんじゃない?
そんなベタな突っ込み、恥ずかしいからやめてくれよって。
死ぬまでに「いちどくらいは」バイアグラを試してみたいものだが、いまのところ、その必要はない。
ないのだけれど、数年前に比べれば膨張率も飛翔力も衰えてきているような気がする。
で、少し焦る。
世の中には数え切れぬくらいアンナコトコンナコトしている、べつにイケメンでもテクニシャンでもない男が居るっていうのに、
自分なんか、初めてのアレから一晩だけのアレ、間違ってそうなってしまったアレまで、すべて記憶出来るくらいの回数しかこなしていないのに!
じゃあ、あれか。
人数や回数が問題なのか。
愛のない100万回と、愛のある1回と、どっちが大事なんだっていう話である。
理想は後者なのかもしれないが、男の世界では、前者は「ある意味で」勲章となる。
嫉妬と羨望が入り混じるものね、そういう男に出会うと。
だからイタいホラ吹きも出てくるわけですよ、「俺は○○とやったことがある」とかね。
映画は、エロスと暴力。
ちがう! というひとも居るだろうけれど、根っこがそこにあることは否定しようがなく。
だから現実世界で勲章を得られなかった沢山の男子は、その野望を映画に託してみよう。
性欲と、愛液と、ザーメンの物語―これを描くには、映画が最も適した表現ツールなのだった。
(1)『愛のコリーダ』(76)
神話をポルノとして解釈しようとした名作。
こんな風に描いてもらえて、モデルとなった芸妓・阿部定は喜んでいるのではないか。
(修正を加えた)2000年度版に足を運んだ観客は、女性が多かった。
なんだか、とてもうれしかった。
それにしても、また76年の映画である。
『タクシードライバー』も『キャリー』も、そして『ロッキー』までこの年に生まれている。
(2)『ワイルド・アット・ハート』(90)
これは、コミックのような神話。
蛇革のジャケットを愛用するニコラス・ケイジが、ローラ・ダーンとの愛を深めるまでを描く。
ひたすらヤッて、その先に見えてくるものがプレスリーとオズの魔法使い―だなんて、そーとー狂っていて素敵だ。
(3)『あつもの』(99)
芸術が、愛欲に負ける。
ジジイどもにとっては、厚物(=菊)よりも女子の柔らかな脚のほうが魅力的なのだった。
小島聖が、最高にいやらしかった時代に主演した力作。
(4)『六月の蛇』(2002)
ヘンタイストーカーによって開花する、地味な女の性。
男の描く「都合のいい」ピンクそのものの構図だが、劇場を埋めたのは「やはり」女子で、これまたうれしかった。
塚本晋也が新境地を開いたことでも記憶されるべき作品。
(5)『にっぽん昆虫記』(63)
三世代にわたる女の物語を、セックスというキーワードで切り取ったイマヘイの代表作。
吉村実子に尽きるが、ねちっこい描写のなかにユーモアもあって、これはこれで人間賛歌なのだなぁと、観返す度に思う。
(6)『天国の口、終りの楽園。』(2001)…トップ画像
男ふたり、女ひとり。
チラシや予告編では想像出来ぬ展開が待っていて、じつは鑑賞中に勃起してしまった。
(7)『赫い髪の女』(79)
「ひたすら」やりまくる―という点で、これを超える映画はない。
ただそれだけの物語のはずなのに、なんとなく切なくなる。
そのように持っていく神代辰巳の演出は、神がかっているとしかいいようがない。
(8)『誘う女』(95)
ニコール・キッドマンのパンツを見たいと思わない男子は、たぶん去勢されているのだろう。
ああいう風に迫られたら、ひとりやふたりは殺してしまうのではないか。
(9)『白いドレスの女』(81)
キャスリーン・ターナーが最もセクシーだったころに主演したサスペンス。
このリストのなかでは多少浮くが、ヒップが大写しにされるシーン(でもパンツ穿いてる)があって、中学生の自分はドキドキした。
(10)『チ・ン・ピ・ラ』(84)
有難いことに、ひとつの映画でふたりの女優のハダカ(石田えり、高樹沙耶)が拝める。
※クモ膜下出血で倒れた神足裕司、その後は大丈夫なんだろうか
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『借金完済の日に観たい映画』
ここへきて、自分全開なランキングを。
このテーマで引くひとが居るなら、どうぞ引いてください、、、ってなもんである。
38歳にもなって、高校生みたいなことをいうんじゃない?
そんなベタな突っ込み、恥ずかしいからやめてくれよって。
死ぬまでに「いちどくらいは」バイアグラを試してみたいものだが、いまのところ、その必要はない。
ないのだけれど、数年前に比べれば膨張率も飛翔力も衰えてきているような気がする。
で、少し焦る。
世の中には数え切れぬくらいアンナコトコンナコトしている、べつにイケメンでもテクニシャンでもない男が居るっていうのに、
自分なんか、初めてのアレから一晩だけのアレ、間違ってそうなってしまったアレまで、すべて記憶出来るくらいの回数しかこなしていないのに!
じゃあ、あれか。
人数や回数が問題なのか。
愛のない100万回と、愛のある1回と、どっちが大事なんだっていう話である。
理想は後者なのかもしれないが、男の世界では、前者は「ある意味で」勲章となる。
嫉妬と羨望が入り混じるものね、そういう男に出会うと。
だからイタいホラ吹きも出てくるわけですよ、「俺は○○とやったことがある」とかね。
映画は、エロスと暴力。
ちがう! というひとも居るだろうけれど、根っこがそこにあることは否定しようがなく。
だから現実世界で勲章を得られなかった沢山の男子は、その野望を映画に託してみよう。
性欲と、愛液と、ザーメンの物語―これを描くには、映画が最も適した表現ツールなのだった。
(1)『愛のコリーダ』(76)
神話をポルノとして解釈しようとした名作。
こんな風に描いてもらえて、モデルとなった芸妓・阿部定は喜んでいるのではないか。
(修正を加えた)2000年度版に足を運んだ観客は、女性が多かった。
なんだか、とてもうれしかった。
それにしても、また76年の映画である。
『タクシードライバー』も『キャリー』も、そして『ロッキー』までこの年に生まれている。
(2)『ワイルド・アット・ハート』(90)
これは、コミックのような神話。
蛇革のジャケットを愛用するニコラス・ケイジが、ローラ・ダーンとの愛を深めるまでを描く。
ひたすらヤッて、その先に見えてくるものがプレスリーとオズの魔法使い―だなんて、そーとー狂っていて素敵だ。
(3)『あつもの』(99)
芸術が、愛欲に負ける。
ジジイどもにとっては、厚物(=菊)よりも女子の柔らかな脚のほうが魅力的なのだった。
小島聖が、最高にいやらしかった時代に主演した力作。
(4)『六月の蛇』(2002)
ヘンタイストーカーによって開花する、地味な女の性。
男の描く「都合のいい」ピンクそのものの構図だが、劇場を埋めたのは「やはり」女子で、これまたうれしかった。
塚本晋也が新境地を開いたことでも記憶されるべき作品。
(5)『にっぽん昆虫記』(63)
三世代にわたる女の物語を、セックスというキーワードで切り取ったイマヘイの代表作。
吉村実子に尽きるが、ねちっこい描写のなかにユーモアもあって、これはこれで人間賛歌なのだなぁと、観返す度に思う。
(6)『天国の口、終りの楽園。』(2001)…トップ画像
男ふたり、女ひとり。
チラシや予告編では想像出来ぬ展開が待っていて、じつは鑑賞中に勃起してしまった。
(7)『赫い髪の女』(79)
「ひたすら」やりまくる―という点で、これを超える映画はない。
ただそれだけの物語のはずなのに、なんとなく切なくなる。
そのように持っていく神代辰巳の演出は、神がかっているとしかいいようがない。
(8)『誘う女』(95)
ニコール・キッドマンのパンツを見たいと思わない男子は、たぶん去勢されているのだろう。
ああいう風に迫られたら、ひとりやふたりは殺してしまうのではないか。
(9)『白いドレスの女』(81)
キャスリーン・ターナーが最もセクシーだったころに主演したサスペンス。
このリストのなかでは多少浮くが、ヒップが大写しにされるシーン(でもパンツ穿いてる)があって、中学生の自分はドキドキした。
(10)『チ・ン・ピ・ラ』(84)
有難いことに、ひとつの映画でふたりの女優のハダカ(石田えり、高樹沙耶)が拝める。
※クモ膜下出血で倒れた神足裕司、その後は大丈夫なんだろうか
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