Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

血を超えられるか ~共同監督の絆~

2013-04-02 00:15:00 | コラム
シリーズが大ヒットしたから「そういうこと」も出来たということか、
『マトリックス』シリーズ(99~2003)で有名な映画監督、ウォシャウスキー「兄弟」の兄が「知らぬ間に」性転換してウォシャウスキー「姉弟」となっていたことに軽く驚いた。

世界は広いなって思う。

そして兄弟から姉弟に変わっても、(新作『クラウド アトラス』を観るかぎり)映画監督として必要なハッタリ感を失っていないようなので安心したのであった。

映画制作は総合芸術、集団作業だとされているが、それぞれのパートにひとりの代表が居れば充分のはずで。
充分というか、指揮官が複数存在すれば方向性だって定まらないだろう。

・・・という考えが一般的であるからして、映画監督というものは「ひとり、であることがふつう」とされている。

それを共同で担当する特殊な映画監督が居て、その多くが血縁関係にあるものたちである。

その筆頭は、80年代まではタヴィアーニ兄弟、90年代以降はコーエン兄弟、ダルデンヌ兄弟になるのだろう。


血のつながりがあるから、そういうことが可能なのだろうか・・・と、学生時代に共同監督を経験し、作品が滅茶苦茶になった思い出が残る自分なんかは思う。

スタッフが「待ち構えていない」脚本執筆の段階であれば分かるんだが、「あの現場」で複数の指揮官が居るっていうのは、ちょっとふつうではない気がするんだよね。

コーエン兄弟曰く「現場で指揮するのは、どちらかのみ。たとえば今回の製作が兄であれば、監督は弟・・・という具合に、互いの領域には踏み込まないようにしている」。

兄弟だって「キマリゴト」が必要なのだから、赤の他人同士が組んだ場合は、そういうものをきっちり守らなければ映画なんか創れないだろうと思う。

というわけで今宵のテーマは、「血のつながらない共同監督たち」。


このリストを見て気づくのは、
技術の部分と物語の部分に分けられるタイプの映画―アニメーションとか、ミュージカルとか―には、共同監督という手段は有効なのかもしれない、、、ということ。


※5位までコメントつき

(1)『ウエストサイド物語』(61)

ダンス部分をジェローム・ロビンスが、ドラマ部分をロバート・ワイズが担当。
勝因は、これに尽きる。

(2)『D.O.A.』(88)

監督はロッキー・モートンとアナベル・ヤンケル。

デニス・クエイド、メグ・ライアン主演。
サスペンスの佳作だが、あまり知られていない。

(3)『トラ・トラ・トラ!』(70)

リチャード・フライシャー、舛田利雄、深作欣二の3人による共同作業。

黒澤が監督するはずだったことは、有名に過ぎる話。

(4)『ユキとニナ』

諏訪敦彦とポリット・ジラルド。

少女の揺れるこころを、日仏のおとなが繊細に描き出す。

(5)『007 カジノ・ロワイヤル』(67)

ジョン・ヒューストン、ケン・ヒューズ、ロバート・パリッシュ、ジョセフ・マクグラス、ヴァル・ゲストという5人の映画監督が引っ掻き回し、よく分からない創りになってしまっている。

けれども、なんか楽しい。

(6)『夜の流れ』(60)

成瀬喜巳男×川島雄三

(7)『WATARIDORI』

ジャック・ペラン×ジャック・クルーゾ×ミッシェル・デバ

(8)『デリカテッセン』(91)

ジュネ&キャロ

(9)『LIFE IN A DAY 地球上のある一日の物語』(2011)

ある意味で、投稿者全員

(10)『カーズ』(2006)

ジョン・ラセター×ジョー・ランフト


※この流れが、いちばん好き




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コメント (2)
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