12年11月21日生まれ・78年12月21日死去、享年66歳。
東京出身。
『クイズ100人に聞きました』や『サンデーモーニング』を観て育った自分の世代にとって、関口宏というひとは「TBSの顔」であって、キャスターが本職だと思っていたりします。
母親に「俳優さんなんだよ」といわれても、演技をしている映像に触れたことがないので信じ難い。
あ、そういえば『刑事物語』のシリーズに出ていた気もするけれど、それはあくまでもゲスト的な出演であって、だからこそ「出ていた気がする」という程度の印象で。
自分が映画小僧と自称するようになる、ほんのちょっと前・・・
NHKの衛星劇場で小津の『麦秋』(51)が放送され、母親と鑑賞しました。
紀子(原節子)に縁談を持ち込む佐竹という中年男性が画面に登場したとき、母親が「このひとが、関口さんのお父さん」だと教えてくれました。
このとき、初めて佐野周二(さの・しゅうじ)さんという俳優を知りました。
へー!
男前だなぁ! と。
そういえばひとりで観た『カルメン故郷に帰る』(51)にも出ていたな、
この時代を代表する映画に沢山出ていたということは、そーとー人気があったということだよなぁ、、、と。
「かーちゃんも、好きだった?」
「ううん、お母さんは佐田啓二が好き」
なるほど笑
※逆に、いま観たほうが面白かったりする
<経歴>
大学卒業後の35年―1000分の1という「超」難関を突破して松竹に入社、専属俳優として『Zメン青春突撃隊』で映画俳優デビューを飾る。
自分が「そこそこ」観ているのは「戦後の映画」であるからして、あまりエラソーに「知ったか」記述は出来ないのですが、
37年には10本を超える映画に出演、とくに『金色夜叉』や『婚約三羽烏』の大衆受けは頗る高く、瞬く間に松竹の看板俳優に。
40年代前半―。
召集を受けながらも俳優としての活動はつづけ、戦意高揚的な映画―44年の『野戦軍楽隊』や『陸軍』など―のほかに、小津の『父ありき』(42)、田中絹代と共演した『或る女』(42)に出演する。
30代の笠智衆が70代の父親を演じる『父ありき』ですが、佐野さんもすごくよかったです。
戦後となった40年代後半―。
小津や木下恵介、川島雄三などの話題作に多数出演し、人気が衰えていないことを証明する。
『旅装』(48)、『お嬢さん乾杯!』(49)、『春雪』(50)、
ほのぼのしていて、なおかつ「なんとなく」アナーキーな『カルメン故郷に帰る』(51)、
前述した『麦秋』、川島雄三の鮮やかな演出が冴え渡る『とんかつ大将』(52)、
『関白マダム』(53)、『鶏はふたゝび鳴く』(54)、『花ひらく』(55)、『嫁ぐ日』(56)、『或る夜ふたたび』(56)、『多情仏心』(57)、『ぶっつけ本番』(58)、『蟻の街のマリア』(58)、『夫婦合唱』(59)、『私は忘れない』(60)。
60年代―。
息子の関口宏も芸能界にデビューし、その影響もあったのでしょう、テレビドラマへの出演も増えました。
が、ここでは映画のキャリアのみを。
『恋の画集』(61)、『反逆児』(61)、『若者たちの夜と昼』(62)、『太陽を抱く女』(64)、『若い野ばら』(65)。
名作『黒部の太陽』(68)にも顔を出していますが、このころはさすがに二枚目というより、重鎮的存在になっています。
『ニュージーランドの若大将』(69)、『炎の肖像』(74)。
78年12月21日―急性心不全により死去、享年66歳でした。
映画の遺作は、77年の鈴木清順監督作『悲愁物語』。
キャリアを眺めてみて痛感します、映画小僧を自称するクセして、観ていない映画がけっこうあるなぁと。
いかんいかん。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
男優列伝、3連続でいきます。
『にっぽん男優列伝(191)佐野史郎』
東京出身。
『クイズ100人に聞きました』や『サンデーモーニング』を観て育った自分の世代にとって、関口宏というひとは「TBSの顔」であって、キャスターが本職だと思っていたりします。
母親に「俳優さんなんだよ」といわれても、演技をしている映像に触れたことがないので信じ難い。
あ、そういえば『刑事物語』のシリーズに出ていた気もするけれど、それはあくまでもゲスト的な出演であって、だからこそ「出ていた気がする」という程度の印象で。
自分が映画小僧と自称するようになる、ほんのちょっと前・・・
NHKの衛星劇場で小津の『麦秋』(51)が放送され、母親と鑑賞しました。
紀子(原節子)に縁談を持ち込む佐竹という中年男性が画面に登場したとき、母親が「このひとが、関口さんのお父さん」だと教えてくれました。
このとき、初めて佐野周二(さの・しゅうじ)さんという俳優を知りました。
へー!
男前だなぁ! と。
そういえばひとりで観た『カルメン故郷に帰る』(51)にも出ていたな、
この時代を代表する映画に沢山出ていたということは、そーとー人気があったということだよなぁ、、、と。
「かーちゃんも、好きだった?」
「ううん、お母さんは佐田啓二が好き」
なるほど笑
※逆に、いま観たほうが面白かったりする
<経歴>
大学卒業後の35年―1000分の1という「超」難関を突破して松竹に入社、専属俳優として『Zメン青春突撃隊』で映画俳優デビューを飾る。
自分が「そこそこ」観ているのは「戦後の映画」であるからして、あまりエラソーに「知ったか」記述は出来ないのですが、
37年には10本を超える映画に出演、とくに『金色夜叉』や『婚約三羽烏』の大衆受けは頗る高く、瞬く間に松竹の看板俳優に。
40年代前半―。
召集を受けながらも俳優としての活動はつづけ、戦意高揚的な映画―44年の『野戦軍楽隊』や『陸軍』など―のほかに、小津の『父ありき』(42)、田中絹代と共演した『或る女』(42)に出演する。
30代の笠智衆が70代の父親を演じる『父ありき』ですが、佐野さんもすごくよかったです。
戦後となった40年代後半―。
小津や木下恵介、川島雄三などの話題作に多数出演し、人気が衰えていないことを証明する。
『旅装』(48)、『お嬢さん乾杯!』(49)、『春雪』(50)、
ほのぼのしていて、なおかつ「なんとなく」アナーキーな『カルメン故郷に帰る』(51)、
前述した『麦秋』、川島雄三の鮮やかな演出が冴え渡る『とんかつ大将』(52)、
『関白マダム』(53)、『鶏はふたゝび鳴く』(54)、『花ひらく』(55)、『嫁ぐ日』(56)、『或る夜ふたたび』(56)、『多情仏心』(57)、『ぶっつけ本番』(58)、『蟻の街のマリア』(58)、『夫婦合唱』(59)、『私は忘れない』(60)。
60年代―。
息子の関口宏も芸能界にデビューし、その影響もあったのでしょう、テレビドラマへの出演も増えました。
が、ここでは映画のキャリアのみを。
『恋の画集』(61)、『反逆児』(61)、『若者たちの夜と昼』(62)、『太陽を抱く女』(64)、『若い野ばら』(65)。
名作『黒部の太陽』(68)にも顔を出していますが、このころはさすがに二枚目というより、重鎮的存在になっています。
『ニュージーランドの若大将』(69)、『炎の肖像』(74)。
78年12月21日―急性心不全により死去、享年66歳でした。
映画の遺作は、77年の鈴木清順監督作『悲愁物語』。
キャリアを眺めてみて痛感します、映画小僧を自称するクセして、観ていない映画がけっこうあるなぁと。
いかんいかん。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
男優列伝、3連続でいきます。
『にっぽん男優列伝(191)佐野史郎』