第15部「原一男の物語」~第5章~
前回までのあらすじ
「ドキュメンタリストだから何でも撮るのは当たり前。不都合がある人の映像だけを切るのは違うと思う。ただ今回は、遺体そのものを撮ろうとは最初から思わなかった。遺体を映すことが復興に繋がるのであれば撮るがそうとは思わない」(森達也、映画『311』を語る)
「頭は迷っても体は迷っていない。だから原一男は奥崎を撮れたんだ」(田原総一朗)
…………………………………………
面白い映画の本が発売された。
『観ずに死ねるか! 傑作ドキュメンタリー88』(鉄人社)というもので、
(意外なことに)女優の成海璃子が『監督失格』(2011)を、
みうらじゅんがスコセッシの『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』(2005)を、
園子温がイマヘイの『人間蒸発』(67)を熱く語り、
女優・二階堂ふみは、変化球でナチのプロパガンダ映画『意志の勝利』(35)を取り上げる。
読み終えた直後、改めて最初から読み直したくなる面白さがあって、全国の映画小僧が満足出来る仕上がりになっていると思う。
敢えて書かなかったが、もちろん原一男も登場する。
田原総一朗が『ゆきゆきて、神軍』(87)を、原自身は『キャロル』(74)を語る。
ちなみに筆者の「ドキュメンタリー10選」を挙げておくと・・・
『ゆきゆきて、神軍』
『人間蒸発』
『ラスト・ワルツ』(78)
『ストップ・メイキング・センス』(84)
『選挙』(2006)
『民族の祭典』『美の祭典』(38)
『東京オリンピック』(65)
『東京裁判』(83)
『モハメド・アリ かけがえのない日々』(96)
『デブラ・ウィンガーを探して』(2002)
・・・と、なる。
…………………………………………
ドキュメンタリー映画が好調である。
この世界には「邦高洋低」現象など通じず、面白い題材であればどこの国の映画だって支持を集める。
そういう意味では「最も健全な一ジャンル」のような気もするが、
本年も、映画そのものをテーマとする『サイド・バイ・サイド』、
劇場に入るには「そこそこの」勇気が要りそう、しかし女子の観客も多かった『セックスの向こう側 AV男優という生き方』、
ロックと写真を融合してみせる『アントン・コービン 伝説のロック・フォトグラファーの光と影』などなど、話題作が数多く公開されている。
特定の劇場でロングラン上映―というのが常のため、平日の1回目から満席ということも珍しくなく、ドキュメンタリー映画の勢いを感じることが出来る。
そして、日本だけに起こっている現象として、ドキュメンタリー映画の制作本数が「異様に」増えている―というのがある。
『うたごころ』『フタバから遠く離れて』『きょうを守る』『311』『3.11後を生きる』『生き抜く 南三陸町 人々の一年』『わすれない ふくしま』『相馬看花』『先祖になる』・・・順不同で挙げてみたが、これだけではない、
そう、「あの日」あるいは「あの日以後」を映像に捉えるという「野心的な」試みが続いているのだ。
対岸の火事、みたいなことを敢えて書くが、原発問題で一本撮ってほしいなと思ったドキュメンタリー作家が、3人居る。
森達也、マイケル・ムーア、そして、原一男。
森は原発問題ではなかったが、被災地でカメラを持ち、遺体を捉えて「被災者に罵声を浴びせられている」。
ムーアは米国の問題が片づかない限り、無理な話か。
では原一男は、なにをしているのだろうか。
…………………………………………
ホラ吹き=作家というテーマを別次元にまで引き上げた『全身小説家』(94)を発表したあと、原は初の非ドキュメンタリー映画を発表する。(繰り返しになるが・・・原が撮っていたのは最初から「劇」映画だったのだから、敢えて初の「劇」映画とは書かない)
ひとりのヒロインを4人の女優が演じる実験的な作品、『またの日の知華』(2004)。
ほぼ同じ時期にトッド・ソロンズが『おわらない物語 アビバの場合』(2004)を発表したという「偶然」―主人公を、8人の俳優が演じる―が興味深いが、はっきりいえばソロンズのほうが「迷いなく」やりたいことをやっているように思う。
寡作のひとが次に取り上げたテーマは、アスベスト。
『いのちって、なんぼなん? 泉南アスベスト禍を闘う』は、細かく撮り分けられていて、その完全版は本年の夏に完成予定だという。
なにを題材にしようが、ふつうの映画にはならない―その筆頭が原一男という男で、そんな幻想を抱かせてくれる映画監督は、世界でも数えるくらいしか居ない。
だからアスベストという深刻な題材を取り上げた新作についても、敢えて「面白そう」といってみたい。
「面白い」ことによって触れようとするひとが増える―原は、そういう映画を創ることが出来るひとなのだから。
第15部「原一男の物語」、おわり。
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きょうを守る…女子大生が被災した故郷を捉える
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≪参考文献≫
『観ずに死ねるか! 傑作ドキュメンタリー88』(鉄人社)
『踏み越えるキャメラ―わが方法、アクションドキュメンタリー』(原一男・著、フィルムアート社)
次回6月より第16部「デヴィッド・クローネンバーグの物語」を、お送りします。
…………………………………………
本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『Tシャツ馬鹿の、お通りだい!』
前回までのあらすじ
「ドキュメンタリストだから何でも撮るのは当たり前。不都合がある人の映像だけを切るのは違うと思う。ただ今回は、遺体そのものを撮ろうとは最初から思わなかった。遺体を映すことが復興に繋がるのであれば撮るがそうとは思わない」(森達也、映画『311』を語る)
「頭は迷っても体は迷っていない。だから原一男は奥崎を撮れたんだ」(田原総一朗)
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面白い映画の本が発売された。
『観ずに死ねるか! 傑作ドキュメンタリー88』(鉄人社)というもので、
(意外なことに)女優の成海璃子が『監督失格』(2011)を、
みうらじゅんがスコセッシの『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』(2005)を、
園子温がイマヘイの『人間蒸発』(67)を熱く語り、
女優・二階堂ふみは、変化球でナチのプロパガンダ映画『意志の勝利』(35)を取り上げる。
読み終えた直後、改めて最初から読み直したくなる面白さがあって、全国の映画小僧が満足出来る仕上がりになっていると思う。
敢えて書かなかったが、もちろん原一男も登場する。
田原総一朗が『ゆきゆきて、神軍』(87)を、原自身は『キャロル』(74)を語る。
ちなみに筆者の「ドキュメンタリー10選」を挙げておくと・・・
『ゆきゆきて、神軍』
『人間蒸発』
『ラスト・ワルツ』(78)
『ストップ・メイキング・センス』(84)
『選挙』(2006)
『民族の祭典』『美の祭典』(38)
『東京オリンピック』(65)
『東京裁判』(83)
『モハメド・アリ かけがえのない日々』(96)
『デブラ・ウィンガーを探して』(2002)
・・・と、なる。
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ドキュメンタリー映画が好調である。
この世界には「邦高洋低」現象など通じず、面白い題材であればどこの国の映画だって支持を集める。
そういう意味では「最も健全な一ジャンル」のような気もするが、
本年も、映画そのものをテーマとする『サイド・バイ・サイド』、
劇場に入るには「そこそこの」勇気が要りそう、しかし女子の観客も多かった『セックスの向こう側 AV男優という生き方』、
ロックと写真を融合してみせる『アントン・コービン 伝説のロック・フォトグラファーの光と影』などなど、話題作が数多く公開されている。
特定の劇場でロングラン上映―というのが常のため、平日の1回目から満席ということも珍しくなく、ドキュメンタリー映画の勢いを感じることが出来る。
そして、日本だけに起こっている現象として、ドキュメンタリー映画の制作本数が「異様に」増えている―というのがある。
『うたごころ』『フタバから遠く離れて』『きょうを守る』『311』『3.11後を生きる』『生き抜く 南三陸町 人々の一年』『わすれない ふくしま』『相馬看花』『先祖になる』・・・順不同で挙げてみたが、これだけではない、
そう、「あの日」あるいは「あの日以後」を映像に捉えるという「野心的な」試みが続いているのだ。
対岸の火事、みたいなことを敢えて書くが、原発問題で一本撮ってほしいなと思ったドキュメンタリー作家が、3人居る。
森達也、マイケル・ムーア、そして、原一男。
森は原発問題ではなかったが、被災地でカメラを持ち、遺体を捉えて「被災者に罵声を浴びせられている」。
ムーアは米国の問題が片づかない限り、無理な話か。
では原一男は、なにをしているのだろうか。
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ホラ吹き=作家というテーマを別次元にまで引き上げた『全身小説家』(94)を発表したあと、原は初の非ドキュメンタリー映画を発表する。(繰り返しになるが・・・原が撮っていたのは最初から「劇」映画だったのだから、敢えて初の「劇」映画とは書かない)
ひとりのヒロインを4人の女優が演じる実験的な作品、『またの日の知華』(2004)。
ほぼ同じ時期にトッド・ソロンズが『おわらない物語 アビバの場合』(2004)を発表したという「偶然」―主人公を、8人の俳優が演じる―が興味深いが、はっきりいえばソロンズのほうが「迷いなく」やりたいことをやっているように思う。
寡作のひとが次に取り上げたテーマは、アスベスト。
『いのちって、なんぼなん? 泉南アスベスト禍を闘う』は、細かく撮り分けられていて、その完全版は本年の夏に完成予定だという。
なにを題材にしようが、ふつうの映画にはならない―その筆頭が原一男という男で、そんな幻想を抱かせてくれる映画監督は、世界でも数えるくらいしか居ない。
だからアスベストという深刻な題材を取り上げた新作についても、敢えて「面白そう」といってみたい。
「面白い」ことによって触れようとするひとが増える―原は、そういう映画を創ることが出来るひとなのだから。
第15部「原一男の物語」、おわり。
…………………………………………
きょうを守る…女子大生が被災した故郷を捉える
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≪参考文献≫
『観ずに死ねるか! 傑作ドキュメンタリー88』(鉄人社)
『踏み越えるキャメラ―わが方法、アクションドキュメンタリー』(原一男・著、フィルムアート社)
次回6月より第16部「デヴィッド・クローネンバーグの物語」を、お送りします。
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本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『Tシャツ馬鹿の、お通りだい!』