Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(38)

2013-04-18 00:20:00 | コラム
くるいざきさんだーろー「ど」→「ど」ついたるねん

競技人口もファンも野球やサッカーのほうが「明らかに」多いのに、
映画の主題となった場合、この二大競技よりも沢山創られているという不思議―それは、ボクシング。

スライ=ロッキー・バルボアだけでなく、
あの華奢なチャップリンもリング上で戦ったわけだし、
寺山修司もボクシングの映画を創り、北野武はもちろん、経験者であるガッツ石松も小規模ながらこの世界について描いている。

なぜか。

答えは、意外と簡単。

リングのサイズが、ちょうどいいからである。
人物を表情が分かる距離感でカメラのフレームに捉える場合、野球やサッカーのグラウンドは広過ぎる・大き過ぎるのである。

野球やサッカーの試合展開を描写しようとするとき、ショットを割るか、カメラを大きく動かさなければならない。
ボクシングはそれをワンショットで表現することが可能。

そんな理由? と思うかもしれないが、これ重要で。

1対1のドラマを紡ぎ易いというのもあるけれど、それは2番目の理由、、、なんだと思う。


まずは、ボクシング映画の5傑を。(ドキュメンタリーは除く)

(1)『レイジング・ブル』(80)
(2)『TOKYO FIST』(95)
(3)『どついたるねん』(89)
(4)『ロッキー2』(79)
(5)『アリ』(2001)

きょうの主役は、元プロボクサー・赤井英和の本格的な映画俳優デビュー作でもある『どついたるねん』。

物語は単純明快、再起不能といわれたボクサーの主人公・安達が名コーチと出会って再起に賭ける・・・というもの。

掃いて捨てるほどある物語のはずなのに、なぜか「新鮮なものを観た」という感想を抱く。
その理由はタイトルからも分かるとおり、これが関西発であることからきている。

最近はそういうイメージが消えたものの、一時期の日本映画は「湿っぽい」とされてきた。
再起を賭ける「日本の」ボクサーの物語・・・と聞いただけで、なんとなく演歌調を想像するというか、いろんなひとが泣いたり、耐え忍んだりするのではないか、、、と。
それが悪いといっているわけじゃないけれど、この映画は湿った要素がゼロで、とことんドライなのである。
それが受けた。

赤井英和が熱演、それ以降も沢山のドラマや映画で好演しているけれど、このひとの代表作といったら、やっぱりこれになるのだと思う。

ヒロイン役の相楽晴子も、すごくいい。
たぶん、彼女が初めて女優に見えた映画なのではないか。(敢えていえば、最初で最後かも)

監督を担当したのは、現代日本映画を代表する中堅のひとり、阪本順治。
じつはアタリハズレの多いひとで、調子いいときに撮られた作品は「その年を代表する傑作」として様々な賞に輝く(=94年の『トカレフ』、2000年の『顔』、2002年の『KT』、2011年の『大鹿村騒動記』など)が、
コンディション最悪なときに撮られた作品は「なかったこと」にされる(=2003年の『ぼくんち』、2010年の『座頭市』など)ほど、ひどかったりする。

それでも映画小僧のあいだで支持が「極めて」高いのは、この『どついたるねん』が監督デビュー作だったから、、、なのだと思う。


ちなみに赤井さんの娘さん、モデルとかラウンドガールとかやっているけれど、えれーかわいいんだよね。

よかったね、パパ似じゃなくて、ねぇ赤井さん笑


※赤井さんのすごさが分かる試合動画





次回のしりとりは・・・
どついたる「ねん」→「ねん」どあにめーしょん。

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明日のコラムは・・・

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コメント (2)
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