不器用である。
不器用であることを過剰に主張し、もうこれで問題ないだろうと思ったのに、相手が驚く―そのくらいの不器用。
の、クセして、自分でやりたいことがある。
(1)バリカンで坊主にする
(2)ヒゲを剃る
これだけは、自分でやりたい。
プロにやってもらえば、安心で、なおかつ気持ちいいっしょ?
ハニーにやってもらえば、それだけでコミュニケーションになるっしょ?
分かっているが、それでもやりたい。
ハニーは自分の頭を刈りたがる? ひとなので、それが理由で喧嘩が絶えない。
阿呆みたいな喧嘩だが、双方とも大真面目である。
「なんで刈らせてくれないの!?」
「それはあれだよ、俺がパンストを穿かせるといっても、ハニーが拒否するのと一緒だよ!!」
「ぜんぜんちがう!!」
クッソくだらない。
前述したように基本が不器用なので、坊主やヒゲの整いが完璧かどうかは疑問。
それでも、それだけは自分でやりたいというのは、いちおうは刃物を扱っているから、、、だろうか。
それを理由に相手を信用していないっていうのは、ちょっとひどいかもしれない・・・とは、自分でも思う。
ただ。
そんなシチュエーションが訪れるとは思わないが・・・
刃物は自分で扱いたいとはいっても、たとえば『ランボー』(82)のように、自分の傷を自分で縫うという芸当は無理である。
そこに他者が居なかったとしたら、縫うという発想は捨て、傷口をそのまんまにしておくことだろう。
怪我が悪化し、菌が入るのだろうが、おっかなくて傷口さえ見ることが出来ないかもしれない。
映画を観て自分が「漢、だなぁ!」と感動するのは、そういう姿に触れたときである。
ランボーのほかに、
自分で脱臼させ、それを元に戻すマーティン・リッグス(=87年の『リーサル・ウェポン』)とか。
坊主やヒゲなんかママゴトだなぁ、
いやママゴトだからこそ、不器用な自分はやりたがるのだろうな、、、と最近、納得した次第である。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『俳優別10傑 海外「さ行」女優篇(9)』
不器用であることを過剰に主張し、もうこれで問題ないだろうと思ったのに、相手が驚く―そのくらいの不器用。
の、クセして、自分でやりたいことがある。
(1)バリカンで坊主にする
(2)ヒゲを剃る
これだけは、自分でやりたい。
プロにやってもらえば、安心で、なおかつ気持ちいいっしょ?
ハニーにやってもらえば、それだけでコミュニケーションになるっしょ?
分かっているが、それでもやりたい。
ハニーは自分の頭を刈りたがる? ひとなので、それが理由で喧嘩が絶えない。
阿呆みたいな喧嘩だが、双方とも大真面目である。
「なんで刈らせてくれないの!?」
「それはあれだよ、俺がパンストを穿かせるといっても、ハニーが拒否するのと一緒だよ!!」
「ぜんぜんちがう!!」
クッソくだらない。
前述したように基本が不器用なので、坊主やヒゲの整いが完璧かどうかは疑問。
それでも、それだけは自分でやりたいというのは、いちおうは刃物を扱っているから、、、だろうか。
それを理由に相手を信用していないっていうのは、ちょっとひどいかもしれない・・・とは、自分でも思う。
ただ。
そんなシチュエーションが訪れるとは思わないが・・・
刃物は自分で扱いたいとはいっても、たとえば『ランボー』(82)のように、自分の傷を自分で縫うという芸当は無理である。
そこに他者が居なかったとしたら、縫うという発想は捨て、傷口をそのまんまにしておくことだろう。
怪我が悪化し、菌が入るのだろうが、おっかなくて傷口さえ見ることが出来ないかもしれない。
映画を観て自分が「漢、だなぁ!」と感動するのは、そういう姿に触れたときである。
ランボーのほかに、
自分で脱臼させ、それを元に戻すマーティン・リッグス(=87年の『リーサル・ウェポン』)とか。
坊主やヒゲなんかママゴトだなぁ、
いやママゴトだからこそ、不器用な自分はやりたがるのだろうな、、、と最近、納得した次第である。
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明日のコラムは・・・
『俳優別10傑 海外「さ行」女優篇(9)』