減少傾向にあるとはいえ、未だ踏ん張っている名画座だって多い。
東京の筆頭は『新文芸坐』だが、
飯田橋の『ギンレイホール』も捨て難い。
このギンレイで『沈黙 サイレンス』(2016)が上映されるというので、すでに10回はこなした身だが、11回目を観てやろうと。
「当初の」予定では、妻夫木くん主演の『愚行録』(2017)と二本立てだった。
そう名画座の、いちばんの強みといえば「基本的に二本立て、ときに三本立て」であることと「入場料金が安い」ことだろう。
しかし―。
(助演していた)小出くんのアレがアレして、『愚行録』は全国的に上映中止という事態に。
その代わり、浅野くんの怪演が光った『淵に立つ』(2016)が上映されることになった。
そういえば橋爪遼くんがアレをアレしたために、『たたら侍』(2017)も上映中止(再編集?)に。
私見をいえばロマン・ポランスキーの例もあるのだから、作品と、それを創ったひとの人格は分けて考えるべきで。
小林よしのりが「極悪人が大傑作を創ることもあるだろう」といっているとおりだと思う。
ドストエフスキーなんか、「たちの悪い」犯罪者だしね~。
美川憲一が芸能界のご意見番みたいになっているのには「??」だが、表現そのものはNGにしなくてもよい、、、と。
そこできょうは、「なんらかの理由によって」上映が中止になる・・・そんな映画史をいくつか紹介しよう。
(1)『REX 恐竜物語』(93)
安達祐実主演のSF。
公開直後、監督の角川春樹がコカイン密輸事件で逮捕されて上映が打ち切りに。
ただ『愚行録』や『たたら侍』のケースとちがって「いっせいに」というわけではなかったので、地方などでは「割と長い期間」上映されていた。
(2)『スクリーム』(96)
「スプラッター映画を批評するスプラッター」という構造は、『虚無への供物』のようでもあり、いかにもQTタランティーノ「以後」であることを感じさせてくれる。
日本では97年の6月に公開・・・しかし神戸で児童殺傷事件が発生し、その余波によって2ヶ月ほど公開が遅れることになった。
(3)『靖国 YASUKUNI』(2007)
中国人の監督によるドキュメンタリーだったため、公開前より「反日映画だ」などの批判が起こり、上映を予定していた5つの劇場が上映中止を決定。
こっちからしてみれば、きちんと作品に臨んだあとに評価したい、だからその機会さえ奪われるトラブルは、ほんとうに迷惑でしかない・・・のだけれども、これは日本にかぎった話ではない。
スコセッシがキリストの最後と復活を描いた『最後の誘惑』(88)は、
宗教というデリケートな題材を扱っているために一部で反発が起こり、かなり過激な上映中止運動が展開された。
ほかにもバス事故や震災に配慮して上映が延期になるケースや、上映はされたもののレーティングが問題(=2000年の『バトル・ロワイアル』)になるケースもある。
「その判断」が正しかったこともあれば、「どうかな…」と思うこともある。
映画は金を要する表現であり、関わっている人数の多さもエンド・クレジットを眺めているだけで分かる。
小出くんや橋爪くんがコトの重大さを痛感するのは、これからなのかな・・・。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(209)』
東京の筆頭は『新文芸坐』だが、
飯田橋の『ギンレイホール』も捨て難い。
このギンレイで『沈黙 サイレンス』(2016)が上映されるというので、すでに10回はこなした身だが、11回目を観てやろうと。
「当初の」予定では、妻夫木くん主演の『愚行録』(2017)と二本立てだった。
そう名画座の、いちばんの強みといえば「基本的に二本立て、ときに三本立て」であることと「入場料金が安い」ことだろう。
しかし―。
(助演していた)小出くんのアレがアレして、『愚行録』は全国的に上映中止という事態に。
その代わり、浅野くんの怪演が光った『淵に立つ』(2016)が上映されることになった。
そういえば橋爪遼くんがアレをアレしたために、『たたら侍』(2017)も上映中止(再編集?)に。
私見をいえばロマン・ポランスキーの例もあるのだから、作品と、それを創ったひとの人格は分けて考えるべきで。
小林よしのりが「極悪人が大傑作を創ることもあるだろう」といっているとおりだと思う。
ドストエフスキーなんか、「たちの悪い」犯罪者だしね~。
美川憲一が芸能界のご意見番みたいになっているのには「??」だが、表現そのものはNGにしなくてもよい、、、と。
そこできょうは、「なんらかの理由によって」上映が中止になる・・・そんな映画史をいくつか紹介しよう。
(1)『REX 恐竜物語』(93)
安達祐実主演のSF。
公開直後、監督の角川春樹がコカイン密輸事件で逮捕されて上映が打ち切りに。
ただ『愚行録』や『たたら侍』のケースとちがって「いっせいに」というわけではなかったので、地方などでは「割と長い期間」上映されていた。
(2)『スクリーム』(96)
「スプラッター映画を批評するスプラッター」という構造は、『虚無への供物』のようでもあり、いかにもQTタランティーノ「以後」であることを感じさせてくれる。
日本では97年の6月に公開・・・しかし神戸で児童殺傷事件が発生し、その余波によって2ヶ月ほど公開が遅れることになった。
(3)『靖国 YASUKUNI』(2007)
中国人の監督によるドキュメンタリーだったため、公開前より「反日映画だ」などの批判が起こり、上映を予定していた5つの劇場が上映中止を決定。
こっちからしてみれば、きちんと作品に臨んだあとに評価したい、だからその機会さえ奪われるトラブルは、ほんとうに迷惑でしかない・・・のだけれども、これは日本にかぎった話ではない。
スコセッシがキリストの最後と復活を描いた『最後の誘惑』(88)は、
宗教というデリケートな題材を扱っているために一部で反発が起こり、かなり過激な上映中止運動が展開された。
ほかにもバス事故や震災に配慮して上映が延期になるケースや、上映はされたもののレーティングが問題(=2000年の『バトル・ロワイアル』)になるケースもある。
「その判断」が正しかったこともあれば、「どうかな…」と思うこともある。
映画は金を要する表現であり、関わっている人数の多さもエンド・クレジットを眺めているだけで分かる。
小出くんや橋爪くんがコトの重大さを痛感するのは、これからなのかな・・・。
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(209)』