本年度の映画総括、第二夜。
今宵は、15選のうちの第10位~第06位まで発表。
よろしくどうぞ!!
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第10位『辰巳』
元恋人の京子が殺される現場に遭遇した辰巳は、京子の妹・葵とともにその場から逃亡、復讐を誓う葵を手助けしていくうちに、ふたりの関係性にも変化が訪れる。
俊英・小路紘史が「制作費以外の制約が比較的少ない」自主制作にこだわって創り上げた長編第2作。
いわゆるノワール物だが、現代においてこのジャンルをやるとなると「いつの時代か」問題がついてまわる。
旧式のパソコンと黒電話とスマホが同居する『ジョン・ウィック』シリーズは、その矛盾を潤沢な資金をもって「オモシロ世界観」として成立させてしまうが、前述したようにこの映画には金がない。
石井輝男の『無頼平野』を持ち出すのは奇妙かもしれないが、それらの問題を勢いで突破しようとするところに同じにおいを感じて胸が熱くなった。
手持ちカメラを多用した荒々しい暴力描写と、フレームを安定させた会話の描写と。
新潮流の映画が歓迎される昨今の映画界において、かつてあった「憧れのジャンル映画」にしがみつこうとする感覚、こんなに熱いものを見せ・魅せられて嫌いになれるはずがない。
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第09位『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』(トップ画像)
宮崎出張をこなしていく殺し屋コンビ、ちさととまひろの前に現れた冬村かえでという男は何者なのか…オフビートな日常描写とキレッキレのガンアクションが同居する新感覚の青春映画、第三作目はこれがインディーズであったことを忘れてしまうキャスティング―池松壮亮と前田敦子―で展開されるが、これが効いてシリーズの最高傑作となった。
映画には、その映画だけで成立する理屈やリアリティというものがあって、それを信じさせてくれるものであれば楽しめるが、そうでなければ退屈でしかない。
残念ながら第2作目は自分にとっては後者にあたり、劇場で置いてけぼりを喰らう感覚を覚えた。
冷酷な殺し屋に見えるがその実、きっちり血が通っていて礼儀正しく努力家でもある―第三作の成功が池松壮亮にあることを否定するものは居ないだろう、かえでに立ち向かうちさとの「決死」に涙が出てきたが、
メインテーマは彼との対決のあと、参加者の「半分以上がコミュ障」の打ち上げにあったりする。
五体満足なものなどひとりも居やしない、こころも身体もボロボロで酒を呑んだら傷に沁みる、
だがダメなりに生きていける場所がある―なんてやさしい世界だろう、映画でしか成立し得ない、阪元裕吾なりの理想郷を見た気がした。
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第08位『シビル・ウォー』
「タイムトンネルを通ったのか?」
「いえ、トワイライト・ゾーンよ」
西部勢力(テキサス州とカリフォルニア州の同盟)と政府軍のあいだで激しい内戦が勃発、4人のジャーナリストたちはニューヨークからホワイトハウスを目指して車を走らせることになるが…。
A24が制作した近未来の戦争映画、面白いのは終戦前夜という設定とロードムービー的構造、そしてジャーナリストの精神継承を軸としているところか。
「いままで生きてきたなかでいちばん怖かったけど、でも、命が躍動した」
新人カメラマンのジェシーを演じるスピーニーは童顔ゆえ、ティーンエイジャーくらいに見える。
そんな彼女が先輩リーの背中を必死で追いかけ、最後には抜いていく。
ここは美談にも映るが、いや「戦場ジャーナリストの存在意義をも問う」批評精神が宿っている―少なくとも自分はそう捉えたし、そのやりきれなさが監督のなかに微塵もないのだとしたら、それこそやりきれない。
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第07位『瞳をとじて』
「私も一緒に連れていって。私を愛から救うために」
主演俳優フリオ失踪のため、撮影中断を余儀なくされた映画『別れのまなざし』。
22年後―その監督ミゲルのもとに、フリオ失踪の謎を追うテレビ番組から出演依頼が入って…。
映画監督としてのキャリアに幕を閉じたのだろうと、受け手が勝手に解釈していたスペインの名匠ビクトル・エリセが、その沈黙を破って31年ぶりに放った新作。
エリセの傑作『ミツバチのささやき』に、当時5歳で主演したアナ・トレントがフリオの娘を演じることでも話題に。
アナが清新なイメージのまま、、、というのは受け手がセンチになり過ぎているのかもしれない、
しかし映画をめぐる映画についての映画は、エリセの狂おしいまでの感傷に溢れていて、老いてなお、いや老いたからこそ到達出来たのかもしれぬ恋文のような物語は、あぁ生きていてよかった、この監督の新作に触れてよかった、と幸福感に満ち溢れた映画体験であった。
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第06位『悪は存在しない』
移住者が増加傾向にある、風光明媚な町・長野県は水挽町―。
慎ましやかに暮らす町民のもとに、グランピング場の設営計画の知らせが入って…。
海外の映画祭で賞をかっさらいまくる俊英・濱口竜介による新作(ベネチア銀獅子受賞)は、我々の予想に反して106分という短さ―初期の大傑作、『ハッピーアワー』の半分以下だった!!
・・・と、意味のないところで感心している場合じゃない、
監督の面目躍如は説明会の場面に集約されているとは思うが、
コロナショックを背景とした社会の変容を捉えながら、ヒトの原罪にまで迫ろうとし、観客を哲学の旅へと誘うタイトル(=悪は存在しない)も完璧―こういうところにこそ感心すべき、、、とは思いつつも、リアリティ重視で紡がれた物語が、結末だけは劇的効果を狙った演出に見えたのも事実。
実際に「えっ…」と思わせる意図があったのはたしかだろう、
これを、映画に魔法をかけた監督からの挑戦状と解釈出来るかどうか―それが、評価の分かれ目にはなっていると思う。
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明日のコラムは・・・
『映画は止まらない(3) ~映画界2024回顧~』
今宵は、15選のうちの第10位~第06位まで発表。
よろしくどうぞ!!
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第10位『辰巳』
元恋人の京子が殺される現場に遭遇した辰巳は、京子の妹・葵とともにその場から逃亡、復讐を誓う葵を手助けしていくうちに、ふたりの関係性にも変化が訪れる。
俊英・小路紘史が「制作費以外の制約が比較的少ない」自主制作にこだわって創り上げた長編第2作。
いわゆるノワール物だが、現代においてこのジャンルをやるとなると「いつの時代か」問題がついてまわる。
旧式のパソコンと黒電話とスマホが同居する『ジョン・ウィック』シリーズは、その矛盾を潤沢な資金をもって「オモシロ世界観」として成立させてしまうが、前述したようにこの映画には金がない。
石井輝男の『無頼平野』を持ち出すのは奇妙かもしれないが、それらの問題を勢いで突破しようとするところに同じにおいを感じて胸が熱くなった。
手持ちカメラを多用した荒々しい暴力描写と、フレームを安定させた会話の描写と。
新潮流の映画が歓迎される昨今の映画界において、かつてあった「憧れのジャンル映画」にしがみつこうとする感覚、こんなに熱いものを見せ・魅せられて嫌いになれるはずがない。
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第09位『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』(トップ画像)
宮崎出張をこなしていく殺し屋コンビ、ちさととまひろの前に現れた冬村かえでという男は何者なのか…オフビートな日常描写とキレッキレのガンアクションが同居する新感覚の青春映画、第三作目はこれがインディーズであったことを忘れてしまうキャスティング―池松壮亮と前田敦子―で展開されるが、これが効いてシリーズの最高傑作となった。
映画には、その映画だけで成立する理屈やリアリティというものがあって、それを信じさせてくれるものであれば楽しめるが、そうでなければ退屈でしかない。
残念ながら第2作目は自分にとっては後者にあたり、劇場で置いてけぼりを喰らう感覚を覚えた。
冷酷な殺し屋に見えるがその実、きっちり血が通っていて礼儀正しく努力家でもある―第三作の成功が池松壮亮にあることを否定するものは居ないだろう、かえでに立ち向かうちさとの「決死」に涙が出てきたが、
メインテーマは彼との対決のあと、参加者の「半分以上がコミュ障」の打ち上げにあったりする。
五体満足なものなどひとりも居やしない、こころも身体もボロボロで酒を呑んだら傷に沁みる、
だがダメなりに生きていける場所がある―なんてやさしい世界だろう、映画でしか成立し得ない、阪元裕吾なりの理想郷を見た気がした。
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第08位『シビル・ウォー』
「タイムトンネルを通ったのか?」
「いえ、トワイライト・ゾーンよ」
西部勢力(テキサス州とカリフォルニア州の同盟)と政府軍のあいだで激しい内戦が勃発、4人のジャーナリストたちはニューヨークからホワイトハウスを目指して車を走らせることになるが…。
A24が制作した近未来の戦争映画、面白いのは終戦前夜という設定とロードムービー的構造、そしてジャーナリストの精神継承を軸としているところか。
「いままで生きてきたなかでいちばん怖かったけど、でも、命が躍動した」
新人カメラマンのジェシーを演じるスピーニーは童顔ゆえ、ティーンエイジャーくらいに見える。
そんな彼女が先輩リーの背中を必死で追いかけ、最後には抜いていく。
ここは美談にも映るが、いや「戦場ジャーナリストの存在意義をも問う」批評精神が宿っている―少なくとも自分はそう捉えたし、そのやりきれなさが監督のなかに微塵もないのだとしたら、それこそやりきれない。
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第07位『瞳をとじて』
「私も一緒に連れていって。私を愛から救うために」
主演俳優フリオ失踪のため、撮影中断を余儀なくされた映画『別れのまなざし』。
22年後―その監督ミゲルのもとに、フリオ失踪の謎を追うテレビ番組から出演依頼が入って…。
映画監督としてのキャリアに幕を閉じたのだろうと、受け手が勝手に解釈していたスペインの名匠ビクトル・エリセが、その沈黙を破って31年ぶりに放った新作。
エリセの傑作『ミツバチのささやき』に、当時5歳で主演したアナ・トレントがフリオの娘を演じることでも話題に。
アナが清新なイメージのまま、、、というのは受け手がセンチになり過ぎているのかもしれない、
しかし映画をめぐる映画についての映画は、エリセの狂おしいまでの感傷に溢れていて、老いてなお、いや老いたからこそ到達出来たのかもしれぬ恋文のような物語は、あぁ生きていてよかった、この監督の新作に触れてよかった、と幸福感に満ち溢れた映画体験であった。
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第06位『悪は存在しない』
移住者が増加傾向にある、風光明媚な町・長野県は水挽町―。
慎ましやかに暮らす町民のもとに、グランピング場の設営計画の知らせが入って…。
海外の映画祭で賞をかっさらいまくる俊英・濱口竜介による新作(ベネチア銀獅子受賞)は、我々の予想に反して106分という短さ―初期の大傑作、『ハッピーアワー』の半分以下だった!!
・・・と、意味のないところで感心している場合じゃない、
監督の面目躍如は説明会の場面に集約されているとは思うが、
コロナショックを背景とした社会の変容を捉えながら、ヒトの原罪にまで迫ろうとし、観客を哲学の旅へと誘うタイトル(=悪は存在しない)も完璧―こういうところにこそ感心すべき、、、とは思いつつも、リアリティ重視で紡がれた物語が、結末だけは劇的効果を狙った演出に見えたのも事実。
実際に「えっ…」と思わせる意図があったのはたしかだろう、
これを、映画に魔法をかけた監督からの挑戦状と解釈出来るかどうか―それが、評価の分かれ目にはなっていると思う。
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明日のコラムは・・・
『映画は止まらない(3) ~映画界2024回顧~』