Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(522)

2024-12-14 00:10:00 | コラム
す「な」→「な」み

海なし県に生まれたゆえ、海は憧れよりも恐怖心のほうが強い、、、みたいなことは何度も書いている。

なぜ怖いのか。
あの、繰り返される波の動きがもう怖いのではないかと思う。

全能感でも味わいたいのか、波に乗って楽しむサーファーなんて異常者だと思うよね。
デカければデカい波ほどありがたい!なんてフツーじゃないよ、
その恐怖をSFとして表現してみせたのが『インターステラー』(2014)の、とある惑星で発生する「巨大すぎる波」だろう。


あそこまでデカいともう、逃げようとする発想も浮かばなそう。
デカすぎてもう、飲み込まれても「逆に」助かるのかも!? とまで思っちゃいそうな。

さて、映画における波の描写は「海が出てくる映画の数」に比例する。
海を映すのであれば、そりゃ波まで捉えるっしょ? みたいな。

だからもう、数があり過ぎて挙げるのを放棄した(^^;)(^^;)

その代わり「あれ今年は波の年?」と思った、91年発表の3本の映画を取り上げたい。


『バートン・フィンク』



劇作家フィンクの脳内世界を辿り、カンヌで3冠に輝いた…個人的には、未だコーエン兄弟の最高傑作。

ホテルに掛けられた絵画『「波」と「女」』とそっくり、というか、絵画そのもの―そんな海に辿り着いたフィンク。
辿り着くというより、フィンクが絵画の世界に入り込んだと表現したほうが適切なのか。

カモメが落下(??)していくラストショットも、寓話として完璧だったと思う。



『ハートブルー』

キアヌがアクションスターとして開眼した青春アクション映画の快作。

若きFBIは、海に魅せられたのではなく、海や空とともに生きるような犯罪者ボーディ(パトリック・スウェイジ)に魅せられてしまったのだ!!



『あの夏、いちばん静かな海。』

北野映画の海は、犯罪や死、ヒトの業などと密接に結びつくが、この映画にはそれがない。
この映画だけは、それが微塵もない。
しかし。
ないにも関わらず、ひょっとすると最も北野映画らしく映る、、、気もしてくる。

このあたりが、映画監督の作家性を考察する面白さであったりするのです^^



あすのしりとりは・・・
な「み」→「み」ちとのそうぐう。

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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(523)』
コメント
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