Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

パンツはパンツだ

2012-10-06 03:31:40 | コラム
坂上忍ほどではないが、社会的に許される範囲内の神経質で、

たとえば自転車の駐車のしかた(直線の状態を維持)、
服の畳みかた、
洗濯物の干しかた、
灰皿の使用法(「灰」だけを入れ「吸殻」は入れない)、
リモコンの置きかた(もちろん背の順に並べる)、

など自分ルールが決まっていて、いろいろとうるさい。

あくまでも自分「だけ」の話で、他者がどう振る舞おうが気にしない。(だから「社会的に許される」と思っている)

ほぼ毎日雑巾がけしないと眠れないし、
洗濯機のなかに洗濯物を溜められないので少量でも洗う―ゆえに水道代・電気代は余計にかかっているはず―し、
自宅の出窓は雨が降ると必ず雨粒が付着してしまう構造なのだが、その度に窓を拭くし、
自転車をよく磨くのはチャリ好きというのもあるが、それ以上に神経質だから、、、なのだろう。

ぴかぴかじゃないと気が済まない。
シンメトリーだと高揚感に包まれる。
「きっちり」「かっちり」していないと、日常生活までだらけてしまう、、、ような気がする。

きったねー顔をしているクセしてね。
デキモノだらけの、スネゲだらけの、傷だらけの身体のクセしてね。
いやだからこそ、その他をキレイにしておきたい・・・のかもしれない。

つまりあれだ、自分がぶっかけAVを好むのは、美人顔がザーメンで汚されていくという背徳感? にあるというわけだ・・・って、理屈がおかしい?

まぁいいや。

そんなわけで、パンツを日に何度も穿き替える。

自慰後・エッチ後は可能なかぎりシャワーを浴びるようにしているが、状況的にそうはいかない場合だってある。
だから「せめて、、、」という理由から、パンツを替える。これが、ケース1。

尿モレしているわけではないが、小便の度に替えたいという気持ちがある。
ただそれではストックがもたないので、在宅の場合は2度の小便でパンツを替えるようにしている。これが、ケース2。

日に最低4回はウンコをする異常体質―だって食事は、日に2回なのに―であり、しかも「ゆるウン」である。
だから2度のウンコでパンツを替える。これが、ケース3。

さらにいえば汗っかきの体質であり、少し動くと「尻汗」をかく場合がある。
このときも、もちろん替える。これが、ケース4。

ごく稀にだが、このケース1~4が同日の別々の時間帯で発生? することがあり、そうすると1日で5~6枚のパンツを要する日が出てくる。

ミニスカ女子高生ではないのだから、見られる心配もないのにね、
オメーは風俗嬢かよっ! って話である。


さて。
ほんの少し前までは女子用のパンツをパンティということが多かったような「気がする」が、いまは男女の区別なくパンツということが主流となっている。

パンツと映画で想起するのは、タイトルの時点で反則な『パンツの穴』(84)だが、しかしこのタイトルで、よく菊池桃子は出演しようと思ったよな。
意外と、強いひとなのかもしれない。

トム・クルーズとダンスティン・ホフマンが共演した名作、『レインマン』(88)におけるパンツのエピソードも忘れられない。
Kマートのパンツをほしがるレイモンド(ホフマン)に、「どこのパンツだって一緒だよ」と諭すチャーリー(クルーズ)。
何度いっても聞く耳を持たないレイモンドにチャーリーは激高し、空を仰いで叫ぶのだ、

「パンツはパンツだ!」って。


そう、確かにチャーリーがいうとおりだ。
「見せパンだったとしても、ありがたいわ」と、芸人のインパルス板倉が『アメトーーク!』でいっていたが、パンツはパンツ、どんな理屈をつけようが、我々男子にとって女子のパンツとは、理想郷みたいなもの? なのである。


※『レインマン』より、監督バリー・レビンソンの才能がはっきりと分かる抜群の絵つなぎを。

兄の才能に気づく→時計を売り、スーツを新調→カジノへ

ハンズ・ジマーの音楽も効いていて、さすがのつくり。




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怒れる牡牛の物語

2012-10-05 00:15:00 | コラム
第14部「今村昌平の物語」~第4章~

前回までのあらすじ


「惜しくない。俺の一生、こげなもの」(映画『復讐するは我にあり』より、主人公・榎津巌の台詞)

「(中略)いわゆる映像美ほど、今村から程遠いものもあるまい。思わせ振りな抒情とも関わりがない。あくまで論理的であり、実証的であり、散文詩的である。今村昌平は、甚だしく古めかしく、反時代的ですらあるが、そこがまたわれわれにはこたえられぬ魅力と映るわけである」(石堂淑朗)

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殺人を扱った映画は多い。
多過ぎるといっていいくらいだろう。

「なんらかの形で」殺人を扱っているのは、すべての映画のうち(だいたい)7割くらいにのぼると思われる。
そのなかで刑事(侍、保安官、、、この際、兵士をも含めてしまおう)を主人公としたものが6~7割を占め、残りが殺人者を主人公にしている。
あくまでも、おおよその内訳である。

「そっち系」の物語を紡いできた、これからも紡いでいく―という筆者の志向・嗜好もあって、殺人者を主人公にした映画を積極的に観るようにしている。

楽しむために観るというより、勉強のために観るといったほうがいい。

以下は、たいへん参考になった作品である。

『М』(31)
『白昼の通り魔』(66)
『青春の殺人者』(76)
『復讐するは我にあり』(79)
『ヘンリー』(86)
『アメリカン・サイコ』(2000)
『モンスター』(2003)

異様な展開が待っている『М』にも、消費主義を笑ってみせる『アメリカン・サイコ』にも衝撃を受けたが、
殺人者の解釈として最も納得がいったのは、オオシマの『白昼の通り魔』と、イマヘイの『復讐するは我にあり』だった。

ふたりの日本人監督は「殺人に、たいした理由などない」と結論づけ、あらゆる事象に理由・原因を見つけようとする我々を突き放してみせる。
高校生だった筆者は、『白昼の通り魔』の佐藤慶が「どこでどう過ごそうが、結局、俺はひとごろしになった」という告白を聞いて、あぁそういうものかもしれないな、、、と思った。

『復讐するは我にあり』には主人公の幼少期が描かれるが、だからといってそこに殺人者としての萌芽を確かめることは出来ない。つまり幼少期の描写は単に幼少期を描いただけであり、それ以上でも以下でもない。(はずである)

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『青春の殺人者』では製作を担当したイマヘイの『復讐するは我にあり』は、佐木隆三の同名小説を原作としている。
凶悪犯として名高い西口彰をモデルとした小説で、佐木は本作で直木賞を受賞した。

黒木和雄や深作欣二と映画化権取得を争ったイマヘイは、佐木からサインをもらうと、小説を読み込んで脚色化する、、、のではなく、事件関係者の取材を重ね、小説とは異なる主人公像を構築していった。

「なんか、ちがう気がした」からだそうだが、
黒木は小説の流れに沿って脚本化するつもりだった/深作はアクション調で映画化を目指していた・・・
ということを考えると、結果論でいえば、イマヘイが映画化権を手に入れて「吉」だったのかもしれない。

イマヘイ版で主人公は、詐欺とセックスを繰り返しながら「邪魔になったものを殺す」男として描かれる。
こだわったのは「血=血縁」で、背景を貧困や社会に求めないところがイマヘイらしい。

主人公・榎津は、父親に向かって「ひとごろしをするなら、あんたを殺すべきだった」という。
エンディングは死刑に処せられた榎津の骨を、父親が海に放る―散骨―のシーンだが、つまりこれが榎津の暴言に対する父親の応えだった。

強引な結びであることを承知していえば、ひとごろしの物語を子ごろしの物語として完結させる意地の悪さに、筆者はイマヘイの真骨頂を見た。
なぜそのよう―子ごろしの物語―に捉えたかというと、これほど怨念のこもった散骨の描写に、触れたことがないから、、、である。

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「怖いものみたさ」という欲望に訴えた『復讐するは我にあり』は、イマヘイ映画では異例のヒットを記録する。
批評的にも概ね好評で、とくに父親を演じた三國連太郎は国内の演技賞を「ほとんど」独占した。

50を過ぎたイマヘイは、映画監督でいえば脂が乗るころだろう。
ヒット作が生まれたことによって次回作が撮り易くなったはずで、実際、2年後に『ええじゃないか』(81)を発表している。(『復讐~』の前作は、なんと9年も遡ることになるのだ!)

歌って踊るヤケクソ精神がパワフルに描かれる『ええじゃないか』は、「にっぽん」の土着性を主題としてきたイマヘイらしい題材であり、沢山の女優の尻をいちどに拝める―という特典があった? にも関わらず、興行的に「大」惨敗してしまう。

それでもめげずに「にっぽん」を描き続けるイマヘイは、次回作として深沢七郎の『楢山節考』を選んだ。

83年、イマヘイ版『楢山節考』の完成。
わざわざ「イマヘイ版」と記すのは、『楢山節考』の正しい? 物語を知りたければ、58年の木下恵介版に触れるべきだから、、、である。
イマヘイ版のそれは、姥捨て山を主題としていない。黒澤の『羅生門』(50)が「名ばかり」であるのと同様、イマヘイはべつのことに興味があったのだ。

だが意外なことに、イマヘイ版『楢山節考』は、カンヌ映画祭でパルムドールを受賞「してしまう」。
そのことにより、姥捨て山の映像作品といえばイマヘイ版である―という認識が一般的に広がり、

「左とん平が豚とセックスしますけど、そういう感じのシーン、小説でもあるんですか?」

などという質問を筆者にぶつけてくる若い映画小僧まで出現するようになるのである。

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※『復讐するは我にあり』予告編





つづく。
次回は、11月上旬を予定。

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本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。

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フリーズドライは生意気か

2012-10-04 00:15:03 | コラム
映画小僧ではあるが、熱心な『スター・ウォーズ』シリーズ(77~2005)のマニアではない。

なにかのシリーズでマニアを名乗るとするならば、
マニアのことを「ピーカー」という『ツイン・ピークス』(89~91)のマニアである。

元々が(総監修を務めた)デヴィッド・リンチ好きであるし。
未だ観返しているくらいだし。

とはいっても、『スター・ウォーズ』がSF映画のエポックメイキングとされていることに異論はない。
あのテーマ曲を耳にしただけで胸が高鳴るし、なんだかんだいってペプシのボトルキャップまで集めていたし。

好きなキャラクターは、チューバッカ、(露出度の高いシーン限定で)レイア姫、それからハン・ソロか。

ハン・ソロといえば、やはり炭素冷凍のエピソードだろう。
この世には面白いことを考えるひとが居て、この冷凍ハン・ソロを家庭で再現? 出来るよう、製氷キットが作られている。

これ だが

おぉ、ちょっとほしい。
この氷でハイボール呑んだら、フォースを得られるかも、、、なんて。


炭素冷凍から、話を膨らませて。

フリーズドライって、すげー技術だと思う。

(電子レンジ同様)なにをどう説明されても原理は分からんが、簡単にいえば、

「-30度で急速に凍結→真空状態で水分をなくし乾燥させる」ことをいう。


独り暮らしを始めて20年ほど経つが、いまになって「やっと」自炊をするようになった。
驚くのは生ゴミが半分以下に減ったことだが、そりゃそうか、コンビニ弁当の容器ってかさばるものねー。

自炊といっても、米を炊き、フライパンでなにかを炒める程度である。
カレー作りで火事を起こしかけたくらいのヤツなので、凝った料理など出来るはずもない。
最初から諦めてちゃダメじゃん! と、きゃわいい女子にいわれたこともあるが、この世には得手不得手というものがあって、そんな風にいうなら君が作ってよ、お礼に部屋の掃除をするからと返しておいた。

自炊始める前までは「味噌汁なんて必要ない」と思っていたが、なきゃないで寂しい。
だからといって「一から」作るという気にもなれない。
ではインスタントでいいかというと、サイコロより小さい豆腐というのが納得いかない。

で、フリーズドライの味噌汁を購入したというわけ。

何度も書くが、舌の偏差値が低いクセしてね。
金が有り余っている、、、というわけでもないのに。

たぶん、原稿料が少しだけ増えたことで調子に乗っているのだろう。

フリーズドライの味噌汁といえば、アマノフーズ。
ここのオンラインショップで、60食のバラエティセットを購入。
豚汁や白菜、京風やなめこ、茄子などなど。

これがあるだけで、食事の時間がグンと豊かになった。

なったのではあるが、ちょっと生意気なんじゃないか・・・とも思う。

発泡酒ではなく、純正のビール。
5箱ワンセットで売っているボックスティッシュではなく、カシミア。
コーヒーだって、ドリップよりも金がかかるカプセルで淹れている。

中途半端な高級志向から、多重債務者だった過去が浮かび上がる。

・・・と、ここまで考えて「ま、いっか」と開き直る自分は、きっと消費主義の申し子なんだろう。


※シリーズでいちばんの出来か。
雪上対決の完成度といったら、ない。




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則天去私

2012-10-03 00:15:00 | コラム
そくてん―きょし【則天去私】

天に則(のっと)り私を去るの意。
夏目漱石が晩年に文学・人生の理想とした境地。自我の超克を自然の道理に従って生きることに求めようとしたもの。漱石自身の造語。
(『大辞泉』より)

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きのうの音楽につづき、書物で「自分にとっての、そのときどきに相応しいもの」を選出しようとしたのだが、
映画や音楽は「気に入ったら、何度でも触れる」積極性? があるのに、
書物に関しては「表現の力を再確認するために読む」ということ以外で読み返すことは「まず」ない、つまり「そのときどきに相応しいもの」を選出することが出来ないことに気づいた。

なんか、ちょっとだけ格好いい? が、
エロ本だったら、しわくちゃになるほどページを繰るクセしてねー。


映画監督リュック・ベッソンが雑誌の企画で生涯のベストテンを挙げた―スコセッシやミロシュ・フォアマンの作品が多かった―際、
「すべてにおいて完璧な映画に出会うと、映画監督を辞めたくなる。そのくらい、落ち込む」とコメントしていた。

その複雑な感情、すごく分かる。

自分の場合、映画よりか書物にその傾向が強い。
やろうとしていることが脚本や批評、コラムにあるから、、、だろうか。

きょう挙げてみた10作+αは、2度3度ではなく、少なくとも5度は繰り返し読んだ作品である。

読む度に打ちのめされ、読む度に「ことば紡ぎを辞めようかな」という気にさせてしまう、ある意味では悪魔の書。
しかし無視することも出来ず、ときどき手に取ってみたくなる。
取ったが最後、表現のパワーに圧倒され終わりまで投げ出すことが出来ないが、読み終えた直後から圧倒的な敗北感というか絶望感というか厭世観に襲われる。
その、繰り返し。


いままで観てきた映画の総数は・・・
16歳以降、確実に年間200本は超えていたので、単純計算すると45000本くらいは観てきたのか。

音楽は意識したことがないので分からないが、確実に映画よりは多いと思う。

そんな音楽よりも映画よりも少ないだろう・・・と推測出来るのが、ことば主体で表現されたもの、つまり書物。
「読み過ぎた」ということはあり得ないわけで、同じ作品を繰り返し読むより初対面のものに触れたら? といわれたこともあるが、
「表現の力を再確認するため」というのを目的とした場合、これだけで充分、、、だったりもするのだ。

あくまでも、自分にとっては―だけれども。


(1)夏目漱石『それから』

たぶん、最も多く読んだ小説。
これを読んでモノを書こうと決意したのだが、じつをいうと「則天去私」の意味は、いくら読み返してもさっぱり分からないのだった。

漱石、ごめんなさい。

(2)(3)小林よしのり『東大一直線』『東大快進撃』

ギャグ漫画としてスタートしたにも関わらず、最後は笑いではなく戦慄に包まれた。
最終回「前」の10回分くらいは、もうほとんど神の領域に達している。

(4)松尾スズキ『この日本人に学びたい』

自分のコラムの原点。
自虐とリズムの技術を沢山学んだ。

(5)業田良家『詩人ケン』

漫画と詩の、奇跡的な融合。
ページを繰るのがこれほど「もったいない」と感じさせる漫画は、ない。

<6>落合信彦『葛飾発アメリカ行き』

ほとばしる映画愛。

<7>ロジャー・コーマン『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか』

トップ画像。
なにかのテレビ番組で「不平不満をいうよりも、すすんで灯りをつけましょう」というナレーションがあったが、そういうことが延々と書かれている。
現状への不満とは、結局はイイワケ。映画をやりたいんだったら、とりあえずカメラ抱えて街へ飛び出そうぜ! といっている。

<8>中島敦『山月記』

『詩人ケン』が好きなのも、小説と漢詩を組み合わせた本作の存在が大きい、、、のかもしれない。
短い物語だが、想像力がおおいに刺激される。

<9>筒井康隆『大いなる助走』

愉快痛快、毒はある種の読者に勇気を与えてくれるものだと知った。

<10>吉岡忍『М 世界の、憂鬱な先端』

飽くなき探究心を持ち、分からないものの正体を探ろうとする。
ノンフィクションの、真髄を見た気がした。

そうか、「則天去私」分かんねぇ! とかいっている場合じゃないのだ。

<α>永沢光雄『おんなのこ AV女優2』

同じようにAV嬢へのインタビューをおこなうものとして、(吉田豪のインタビューより)勉強になること多し。


※ロジャー・コーマンの映画は、いつでも元気と勇気をくれる




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偶然の音楽

2012-10-02 01:11:18 | コラム
スマートフォンの爆発的な普及により、着信メロディ(以下、着メロ)や着ボイスの商売が成り立たなくなったという。

あぁそうか、と思う。

日常の8割をマナーモードにしているにも関わらず、ケータイ時代は阿呆みたいな数の着メロをダウンロードしていた―そんな自分でも、スマホにしてからはひとつもダウンロードしていない、、、のだから。
その代わり音楽をスマホに取り込み、一曲をまるごと着メロにしている。
わざわざ着メロサイトに登録し、月額料金などを払う必要がなくなったんだよね。

ちなみに現在の着メロはPerfumeの『⊿ エッジ』(文末動画参照)で、これは8分間もある曲。
もし着メロサイトで全メロディをダウンロードするとなったら、けっこうな金額を請求されるのではないか。

なぜこの音楽を選んだのかというと、Perfumeでいちばん好きな曲であるし、着メロにも相応しいと思ったから。


そのときどきに、相応しい音楽。

自分にとっての相応しい音楽を、それぞれ挙げてみよう。

ちなみにきょうのタイトル『偶然の音楽』とは、ポール・オースターによる小説であり、タイトルに魅かれて手に取ったという思い出がある・・・だけで、もちろんコラムのテーマとは無関係である。


<シナリオ執筆前の、構成を組み立てるときに聴く>

マイケル・ナイマン『Anohito No Waltz』

クラウンのCMで使われていた。

<実際にシナリオを執筆する際に聴く>

YMO『テクノポリス』

ややテンポが速いが、少し煽られたほうがいい。

<元気を出すために聴く1>

ザ・ローリング・ストーンズ『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』

いちばん好きなバンド。
トップ画像は、こんど発売されるアルバムジャケット。

<元気を出すために聴く2>

ももいろクローバーZ『ピンキージョーンズ』

今年は、こればかり聴いている。

<引越し作業の手伝いなどで聴く>

ももいろクローバーZ『労働賛歌』

♪ 働こう、そのひとは輝くだろう ♪ って、10代の女子に励まされたらね。

<ジョギング中に聴く>

ヴァンゲリス、映画『ブレードランナー』テーマ曲

100kmでも走れそう、、、な気がする。

<チャリ運転時に聴きたい>

LOVE PSYCHEDELICO『Freedom』

「聴きたい」となっているのは、実際には聴いてないから。
チャリ+ヘッドホンは、ぜったいにいけないのだ。

<道場でのトレーニングで聴く>

Perfume『Dream Fighter』

なんといっても「ファイター」の曲だから。

<練習試合の前に聴く>

ももいろクローバーZ『Chai Maxx』

最近は、ほとんど試合なんかしないけど。

<酔いどれているときに聴く>

ジェファーソン・エアプレイン『Somebody To Love』

彼女の歌声と(自分の)酩酊感が、ひじょうにマッチするから。

http://www.youtube.com/watch?v=AihWtmn9IOM&feature=fvwrel

<怒りに燃えているときに聴く>

ナイン・インチ・ネイルズ『Burn』

<絶望感に浸りたいときに聴く>

ザ・ドアーズ『The End』

<恋に恋したいときに聴く>

椎名林檎『幸福論』


アイドルとテクノとロックのごった煮で、メチャクチャだけどね!!





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